神隠し
日が長い7月と言えども、夕方の6時をすぎた頃から山間部に位置する山ノ神村は辺りが薄暗くなってくる。すると日中のアブラゼミに代わってヒグラシの甲高い声が森の中から響いてくるようになる。
二人を乗せた軽乗用車が下賀美神社の駐車場に到着した。詩織の父、神崎登は神妙な面持ちのまま助手席で眠っている娘を揺り動かす。
「……んっ、あ……私、いつの間にか寝ちゃってた」
あくびをしながら、詩織は後ろを振り向く。
後部座席にいたはずの翔太はいなかった……
「なんだ、もう翔太の家に寄ったのね……もう、起こしてくれれば『さよなら』ぐらい言ったのに……」
詩織はほっぺをぶくっと膨らませて不満そうに言った。その言葉は翔太に対しての不満だったのだが、運転席から降りずにハンドルに手をかけたままの父は硬い表情のまま言う。
「じつはな詩織……桜木君の家にはまだ寄っていないんだ。……寄る必要がなくなったんだよ」
「……はい?」
「桜木君な……いつの間にかいなくなってしまったんだよ」
「い、いなくなっちゃったって……お父さん、翔太と喧嘩して途中で車から降ろしちゃったとか?」
「いやいや、そんなことはしないよ。それに喧嘩していたのは詩織の方だろう?」
「えっ? 私、翔太と喧嘩なんてしていないけど……」
「駅の改札を出るなり父さんに泣きついてきたじゃないか」
「えっ? ええっ!? うっそー」
「うっそーじゃないよ。桜木君がイチカさんにはいろいろやったのに私には何にもしてくれなかったぁぁぁとか泣き叫んでいたぞ?」
「やめてやめてやめてぇぇぇー!」
詩織は両手で顔を隠して声をあげた。
耳まで真っ赤に染まっている。
「もしかして詩織、記憶にないのか?」
「ううん……何となくは覚えているけど……なぜあんなことを言っちゃったんだろう。私があのとき何を考えていたのかは思い出せないの。イチカちゃんと翔太が仲良く話しているとなんかイライラして、その後のことは思い出せない……」
「そうかぁ……」
神崎登は、軽乗用車のフロントガラス越しに夕焼け空を見上げてため息をついた。
「……お父さん、まさかとは思うけど……警察に捕まっちゃうようなことは」
「するわけないだろう! 仮にも私は下加美神社の神主だ。そのようなことは……していないぞ?」
「……今、語尾が上がったよね? 」
「いやいやいや、考えただけで実行はしていないから。なんといっても桜木君は父さんにとっては大切な娘にたかる蠅のようなものだからな。追い払いたいという気持ちは常にもっているぞ?」
「そんな告白されても困るんだけれど私……じゃあ、翔太は今どこにいるの?」
「だから……突然消えてしまったんだよ……まるで神隠しに遭ったように!」
「えっ? 神隠し!?」
詩織は父の言葉から何かを思い出したように天を仰いだ。
カラスの群れが夕焼け空を気持ちよさそうに飛んでいた――
*****
時を同じくして、ここは中学校の屋上――
イケメン顔の黒装束姿の土地神が腕を組んで仁王立ちしていた。
不機嫌そうな顔で、足下に正座している翔太を睨んでいる。
一方の翔太は、額から脂汗を流してコンクリートの床を見つめている。
床に置かれた神器の扇――
白神神社の本殿で黄龍を封印した際に、ピキッとヒビが入っていた。
「これは、我が愛しき巫女を守るために、お前に貸した物だ。そうだな?」
「はい、その通りです……」
「お前の力を誇示するために貸したものではない。そうだな?」
「はい、仰せの通りです……」
土地神は床に置かれた神器の扇を手に持ち、翔太の目の前に突き出す。
「それなのにお前は、自分の力を誇示するために数多の悪霊や妖怪、そして魔物をこの扇子に封じ込めてしまった。そうだな?」
「はい、……あっ、でも、二匹の龍に関してはちゃんと詩織を守るために――」
「黙りなさい!」
土地神は翔太の頭を扇子でビシッと叩いた。
すると、扇子のヒビから妖気がわずかに漏れ出し、目の玉がぎょろりと大きい妖怪が姿を現した。これは翔太が京都駅前で退治したはずの一匹である。
「う、うわぁー!」
翔太は妖怪にじろりと睨まれ、声をあげながら仰け反る。
土地神は、薄目を開けて妖怪を一瞥し、さっと扇を広げて風を送る。
すると妖怪はふわっと身体を浮かせて屋上の隅に押し出される。
そこには大橋先生が鴉天狗を封印するための石が積まれている。
石の中に妖怪は溶けるように消えていく――
「黒龍と黄龍を封印したのは良い。そうしなければ巫女も危険な目に遭うことになったろうからな。しかしそれ以外はすべてアウトだ!」
「で、でも神様……悪霊や魔物に出会ってしまったからには退治しないと……それが俺らの使命ではないのですか?」
翔太は正座し直し、両の手を握りしめながら土地神に尋ねる。
正義感の強い翔太には、どうしても譲れないものがある。
その様子を見た土地神は、ため息をつく。
そして、諭すような言い方で語り始める。
「いいか少年よ……この世に蔓延る魔物はすべてが悪ではないのだ。そもそも悪とは何だ。正義も悪も表裏一体、一方からみれば正義も、相手からは悪に見えるものだ。神、人、魔物もみんなそれぞれ正義の名の下に生きておる。だから、むやみに魔物を悪と決めてはいけないのだ。わかるか?」
「……よくわかりません!」
「アホウ! そういうときはウソでも分かったというのだ!」
「でも……」
「でもではない! まあいい、お前にもそのうち分かるときがくるだろう……なあ、先生!」
と言って、土地神は屋上の入り口に腕組みをしてもたれかかっていた人物に声をかけた。
「ちょっと-、都合が良いときだけ先生扱いするのはやめてよねぇー」
大橋先生が不機嫌そうに言い返した――




