ひび割れる扇子
「イチカちゃん、お昼休憩にしましょう。おむすびと豚汁さんができたわよ。お友達も連れておいでなさいな」
境内の修繕作業を手伝っている人々にあいさつ回りをしている一華に声がかかった。一華は明るく返事をし、本殿に向かう。
本殿の扉は依然閉じられたままである。中の様子を窺おうと木製の扉に耳を当てる。すると……翔太と詩織の妖しげな声が聞こえる。
「あ、あの2人、いったい本殿の中で何をしているの――? 本殿は神聖な場所なのよ――!?」
一華は昨夜、翔太を騙して詩織へ夜這いをかけるように仕向けた。それがきっかけで2人の仲が急接近、本殿の中で何かエッチなことをしているのではないか……
そう思って一華は焦った。変な汗が背中を伝って落ちていく……
本堂の通用口の扉を急いで開け、中に入ろうとするが……熱波のような蒸した空気が一華の全身に押し寄せ、行く手を阻んだ。
一方、翔太と詩織による悪霊退散の儀式は佳境に入ろうとしていた。
「翔太ぁー、もうダメ……私……限界だからぁ……」
「気をしっかりもて詩織! あと少し……あと少しで魔物を封印できるんだ!」
「で、でも……私の身体に妖気がまとわりついて……手が痺れてきて……もう……」
魔物が封印されている壺のフタをわずかに持ち上げ、その漏れ出す妖気を神器の扇に吸収する儀式。詩織が弱音を吐いたちょうどその時、薄暗く締め切った本殿の扉が開かれ、光と共によどんだ空気に流れが出たことに気をとられ――
詩織が手を滑らせた。
『カシャーン!』
魔物を封印していた壺のフタが真っ二つに割れた。
目を見開いて仰天する翔太と詩織。
やがて、壺の中から勢いよく白い霧が吹き出してくる。
「詩織ちゃん、翔君――! あかん、龍が出てきちゃうよ――!」
昨夜、黒龍の出現の様子を目の当たりにした一華が叫んだ。
その叫びに反応したかのようなタイミングで、巨大な龍の首が壺から出現。
長いひげにワニのような口、そしてぎょろりとした大きな目。
黄色い龍の頭部がにょきっと壺から生えてきたような様子になっている。
『キェ――――!』
黄龍の大きく開いた口から聞いたこともないような超高音の鳴き声が発せられる。
黄龍の身体は黄金色に輝き、薄暗い本堂内を一気に明るく照らした。
祭壇の至る所につるされた丸い鏡に反射した光が本堂の壁や床に楕円形の光の円となって、場末のダンスホールのような賑やかな雰囲気を醸し出していた。
黄龍が首をくねっと動かすにつれ、光がゆらりと動く。
上半身下着姿の詩織もライトアップされ、
「きゃっ、見ないでぇぇぇ! 翔太ぁ、こっち見たら承知しないからぁぁぁ!」
詩織は悲鳴を上げるが、それは暑さに負けて自ら脱いだ彼女の自業自得というものある。
一方の翔太は……詩織と黄龍の頭との間に入り、神器の扇を右手に握り、左手を添えて構えていた。
「詩織、一息で仕留めるぞ! 準備はいいか!?」
「あっ、え、う、うん……大丈夫よ!」
自分と同じぐらいの小柄な体格の翔太なのに……詩織の目には彼の背中がやけにたくましく見えていた。
黒装束姿の翔太は神器の扇を両手で振り上げ、
「悪霊退散――――!」
翔太が扇を振り下ろすのと同時に2人の息をそろえて叫んだ。
『キュィィィィィィィー!』
黄龍は断末魔のようなけたたましい声を上げ、黄金に光り輝くけむりとなり翔太の持つ神器の扇に吸い込まれていく。
壺に収まっていた残りの部分もすべて吸い尽くしたと思われたとき、
――ミシッ……――
黒い漆で塗られた扇子の親骨に亀裂が入った。黄龍を退治してほっと一息をつく間もなく、翔太は額から脂汗を流しながら神器の扇を眺めている。
「やったじゃーん、魔物退治おつかれー!」
「あ、イチカちゃん……おうちの中の片付け手伝えなくてごめんね。意外と手強くて時間がかかっちゃった」
「いいよいいよ、魔物退治は詩織ちゃんと翔君にしか頼めへん仕事やさかい! ところで詩織ちゃん。なんでそないな格好なん? さては翔君を誘惑しとったんやろ?」
「えっ!? わ、私は決してそんなことは……あの、暑かったからつい……ねえ、翔太からも説明してぇぇぇ」
黄龍が退治されて再び薄暗くなった中で、詩織が翔太に助けを求める。しかし当の翔太は扇子を見つめてぶつぶつ言っている。
「やばい、やばい、やばい……土地神様に叱られちゃうぅぅぅ」
「翔太どうしたの? 土地神様がなんだって?」
詩織が尋ねるも、翔太はそれからしばらくはぶつぶつ言い続けていた。