変態の定義
硬直する翔太の背後から、詩織の声がかかる。
「んー、イチカちゃん? どうしたの?」
気が動転している翔太は、すーっと鼻から深呼吸のように息を吸い込み、そして――
「なんでもないよ。詩織ちゃんは寝ていて!」
一華の声まねでそう答えた。
声変わり前の自分ならなんとか誤魔化せるだろうと。
しかしそんな無理は通用するはずもなく……
「しょ、翔太ぁぁぁ? ななな、なにやっているの、そんなところでぇぇぇ!?」
部屋の照明を点けられ、ドアにへばりつく翔太の姿を見て詩織が叫ぶ。
すっかり観念した翔太は『しーっ』と人差し指を口に当てて詩織を落ち着かせる。
一華の部屋は和室を洋間風に無理矢理改装した感じである。小さな平机にシングルベッド。壁や天井にはロックバンドグループのポスターや雑誌の切り抜きが所狭しと張られていて、落ち着きにかける部屋である。ベッドの脇に布団が敷かれている。詩織はその布団で先ほどまで就寝していたようだ。
詩織はベッドに腰をかけ腕を組み、翔太は布団の上に正座をさせられている。詩織は目をつむって翔太の『言い訳』を聞いている。
「つまり、翔太はイチカちゃんに騙されてこの部屋に入っただけで、べつに夜這いに来たわけではないのね?」
「そうそう、そんなんだよ。……ところで夜這いって何?」
「えっ、女の子の部屋に男の子が遊びに来ることでしょう?」
「そ、そうか、うん。俺は夜這いに来たわけではないぞ!」
「ならいいけど…… ドアが開かないんじゃあ仕方がないわ。おばさんたちを起こすのも悪いし……」
そう言いながら、詩織はベッドの中に潜り込む。
「えっ? お前はベッドで寝るの?」
「仕方ないでしょう? 翔太をベッドに寝かすわけにはいかないもの! 翔太はそっちの布団を使ってね」
「そ、そうじゃなくて…… いいの? 俺、この部屋で寝ても……」
「だから仕方がないでしょう? ほら、照明を消して早く寝る!」
「お、おう……」
翔太はそわそわしながら照明を消し、布団に潜り込む。すると枕や掛け布団からシャンプーのような香りがしていることに気づく。先ほどまでこの布団で寝ていた詩織の匂いだ。詩織が『翔太をベッドに寝かすわけにはいかない』と言った理由が今の彼には理解できた。それにしても良い匂いだ。彼は鼻から深呼吸するように匂いを嗅いだ。
「ちょっと翔太ぁ! なにやっているのー!?」
詩織ががばっと起き出して声を上げた。翔太の鼻息は詩織の耳にも届くほどであったのだ。
「えっ、何って…… 布団からいい匂いがするなぁと思って嗅いでいたんだけど…… だめ?」
「うえーん、翔太が変態になっちゃったぁ-。布団に染みついた女の子の匂いをくんすかくんすか嗅いだりぃー、イチカちゃんの胸をガン見したりぃー、もう変態じゃんかぁー……」
詩織の半分は泣き真似だろうがひどく感情のこもった演技は、翔太の心を撃った。
「そ、そうか…… 俺はいつの間にか変態の道に堕ちようとしていたのか……」
思春期の男なら誰でも通るであろう道も、彼らにかかれば変態への道という解釈になってしまう。純真無垢な二人である。