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92 サラージュが必要とする限り。岩にカジりついても帰りません


「では、改めて、洋次と申します」

「〝せい〟は? なんとか洋次だろう」

「ああ、姓ですか。久しぶりなんで、忘れていました。板橋洋次と言います」

「帰らんのか、チキュウに」

「ちょ、爺さん」

 なんてズケズケな物言い、逆に気持ちがいいくらいだ。普段の自分の喋りを客観視したのかホーローが水を挿そうとする。


「稀人は不意に現れ、不意に帰る。死んじまうヤツもおるがな」

「しばらくは帰りません」

「お前、どうやってここに来た。自分の意思や能力か。違うなら帰らないと誰が決められる」

「わ、私は」

 拳を握ればいいんだろうか。頭痛がするくらい叫べばいいんだろうか。


「絶対帰りません。サラージュが必要とする限り。岩にカジりついても帰りません」

「ほう。大層な決意だが、実に下らん」

「だだだ」

 イジは何族だ。転移した瞬間、即オルキア語が通じて日常的な文字が読めた洋次でも理解不能だ。


「ねぇお話しだけでも、さ」

「まれびとー、アン、こわくないよーー」

 と言いつつ洋次の背後に回り足に係留杭のように巻き付いているアン。


「俺の技をどう使うんだ。少しはこのムダ乳娘の通信で教えられてるから知っているが」

「要点から切り出して宜しいなら、お話しします。私は『モンスターの歯医者さん』です」

「歯? ああ、確かにそんな事が書いてあったな」

 なるほど。レームとイジの匂いの発生源の一つが確定した。オルキアでは珍しくないようだけど、二人共歯を乱暴に扱っている。口臭が激しく不快なんだ。


「その歯です」

「ふん。歯など、どうするのだ。しかもモンスターの歯を」

「歯を失うモンスターは死んだと同じ。でもそれはニンゲンの勝手ではないかと」

「勝手ではない。世の中の摂理だ。第一、モンスターにしても動物にしてもムダに長生きさせてどうする。弱ったら殺せばいい。その為に生き物は産まれた刹那、いや生まれる前から〝ついてる〟」

「ねぇねぇ、アンには〝ついてない〟よーー」

 皮肉な現実なんだけど、匂いは慣れる。厳しい慣れ、だったけどウンチとか平気な子供は慣れが速かったってことかな? レームのついてるに過剰に反応した。


「はいはい、お嬢ちゃんはちょっとお料理に専念してね」

「えーー、もしかして、ついてるってでっかい(ホーロー)お姉ちゃんのおっぱいのことーー?」

 ホーローがアンを背後から抱き抱えて退場させる。


「……ガキは苦手だ」

 人嫌いで子供好きはいないだろうな。


「それでも、歯医者は必要だと考えます。モンスターだけではなく、ヒューマン族にも」

「ほう。歯だけではなく医学全般に無知だが、木材とどう関係する。まさか角材でモンスター本体を殴り倒すわけではなかろう」

「最初は治療器具として、可動アームが欲しいんです。理想はドリルが回転させます」

「なんだかわからんが。おっと、イジの辛抱が限界だ。その鍋の料理、分け与えてくれないか」

「ばばば」

 もしかしてお頂戴。イジは太くて黒い指を口元に当てていた。手首から涎らしい液体が落ちている。


「食べてもらうために用意しました。あ、レームさんの分は」

「構わん。イジ、有り難くご馳走になれ」

「たたた」

「ああ、弱火だけど熱い、よ」

 レームが許可をした瞬間、鍋に手を突っ込んだイジ。


「ははは」

 まあマナーとか色々ツッコムことはあるんだけど、美味しく食べているらしいから放置。


「ムダ乳娘の入れ知恵だな。まあ一食浮いたから感謝する」

 レームが動く度にこぼれるフケ、虱か蚤みたいな生物に埃かゴミ。レームにあかんべーで返しているホーローと合同で無視する。


「歯医者を要約すると治療の主要な作業に削るがあるんです。ドリルは現在、ランス師匠から譲ってもらいますけど、手先がブレます。両手が塞がり治療効率が激減します。だから可動アームを造って欲しいんです」

「最初、と聞こえたが」

「説明を続けます。後は、ランスやコダチと共同になるでしょうけど、治療専用の椅子。そして、ここが肝心なんですけどホーローと共同で入れ歯を作成してもらいたいんです」

「い・れ・ば・?」

「ホーロー。アンとイグを連れて来て」

「イグー、おいでーー」

 とことことアンとイグがレームに近づく。


「おっとマズい。イジ、鍋を持って離れてろ」

「いいい」

「じゃあわたしが、おいで、イジ」

「いいい」

 ホーローに黙って従う、いや先入観では凶暴なイジは、物静かで大人しい。ただ、かなり臭くて食欲魔人っぽいけど。


「油断するとあのオオトカゲを食いちぎりそうだからな」

「ああ、それは私も危惧しました。で、イグの歯を見てください」

「トカゲの歯?」

「ほらーー。稀人が歯がなくなったイグを直したんだよーー。すごいすごい」

「歯が外れた?」

「久しぶりに装填しました。これが私の製作した義歯です」

「これで。食せるのか」

「それが。真剣な問題として、亀裂がおこりました。幸い顎骨には悪影響はなかったんですけど」

「しかし、歯が抜けたらエサも食えなくて死ぬだけだろ」

「ですから、レームさんとホーローの協力が必要不可欠なんです」

 自分の顎を指でなぞるレーム。失われたらもうお仕舞いが当たり前な老人には、こんな失敗作でも刺激的だったらしい。



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