90 歯ブラシ
「ねぇメアリー。悪いけど、もう一度笑ってくれる?」
「……」
「そりゃ唐突だけど、その。歯、歯だよ。歯を見せてよ」
「でも私はモンスターではありませんよ。エルフですけど。それに歯は悪くないはずです」
「あのねぇ、ドン引きして身を捩って防衛しないでよ」
後退するメアリーに迫る構図の洋次。
ハタ目には美少女メイドにセクハラするヘンタイ主人である。
「イヤです」
「そんなぁ。あ、そうか」
自分の口腔、口の中に指を入れる。
「そー言えば俺」
思案中だからって私自称を置き忘れているぞ。
「ここサラージュに来てから歯ブラシ使ってないな」
「歯ブラシ? まぁさすがは稀人様です」
あれあれ。ちょっとだけメアリーが笑った。十五へぇに、八十五ホメ殺しと推測。
「まぁ砂糖とか使ってないし嗽と楊枝で」
洋次が楊枝。正直これだけは言いたくなかったんだけど。
「おーーい、メアリー、どして目を閉じてるのーー?」
「極々薄めは開けてます」
「だから抑揚のない言い方しないでよぉ」
「稀人様。私は幾人もの稀人と接していて、〝おやじぎゃぐ〟を聞き及んでおります。あまり、この類を連発されますと、メイドとして今後を考えなければなりません」
「おーーーい、メアリー。慇懃な物言いしながらチャッカリ離脱しないでよぉ」
「失念しておりましたけど、稀人様はあくまで当家の令嬢の客人であらせられるので」
「メアリー」
「いやらしい真似は謹んで頂けますね?」
がくんと首を折る。
「そんなつもりじゃなかったんだけど」
「でも、いやらしかったですよ。お嬢様には、斯様な過ちを為さりませぬように」
「努めます」
「はい、では要件はなんでですか、洋次」
「あ、噛んだ」
「そーゆーーうー!」
いつも頑張っている割には可愛らしい拳骨が握られる。
「そういうお話ぶりがいやらしいのです」
「上目遣いだね」
それに口元がクスッと笑ったように微妙に動いた。これで安心。もうメアリーは臨戦態勢から注意報レベルに落ち着いた。
「あのですね、その確か口腔ケア、つまり虫歯の予防についてなんですけど」
「口腔ケアは存じ上げませんけど、虫歯の予防なら理解できます。一応モンスターの歯医者さんのご意見でハレンチな事柄ではないようですね」
「まだ警戒警報かなぁ」
じぶんから半歩後退しながら、後頭部をぼりっと一かき。
「口の中を過度に酸性化してなければ問題は少ないんですけど、虫歯予防について」
「虫歯ですか。確かに私には虫歯は存在しません」
「それは」
確認済みと口を滑らせるとまたメアリーが警戒してしまうからね。
「私たちエルフは町エルフも真エルフも、ある樹木の葉を飲んでます。多分、それが予防になる噂を耳にした経験があります」
「そうそれ。チキュウやニホンでもお茶で口腔ケアはできるんだ」
「でもそのお茶ですか、販売についての協力はお断り致します。エルフ族は、その〝おちゃ〟の利権に関係して不具合が生じています」
「え?」
メアリーが、セクハラとは違う顔つきで拒絶する意思表示をしている。お茶に関しては後日のお楽しみにしようと決定しました。ニホンジンのお家芸、先送りですな。
「そうか。じゃあ歯ブラシは使っているのかな?」
「歯のブラシ、ですか? それなら貴族の子女、ご婦人で何人か」
忘れていたけど、メアリーはワルキュラ家に代々お使えしているメイドさんじゃない。稀人限定でも数人、複数のメイドを経験しているから、そこそこ上流家庭の事情に詳しい。
「歯ブラシそのものをメアリーは知っているんだね。上出来だ」
「歯の、ブラシを、を、どうするんですか?」
噛んだのはスルーしまう。可愛いからイジりたいんだけど。
「まずは生産。あ……」
「どうしましたか?」
「歯ブラシ製作もレームさんが必要なんだ」
「まあ」
振り出しに何回戻っただろう。イラつく気分を抑えて、再度シンキングタイム。
「じゃ、あ」
「歯ブラシ、必要なんですか?」
「必要です。とすると」
フラッシュバックじゃないけど、ある人の姿が脳裏に浮かんだ。
「レームさんは、サラージュに住んでる保証がないし、協力してくれるとは限らないし」
「そうですね。洋次?」
許されるなら、ずぅぅぅっと眺めていたいメアリーのエメラルドグリーンから視線を逸らす。
「ホーロさん、だな」
「あの粗暴な細工師にですか」
ナゼなんだかメアリーと細工師のホーローはお互い相性が良くない。洋次も、正直得意な女性じゃない。
「「仕方ない」ですね」




