87 これでプラマイゼロ
サラージュの城内。敷地としては同居している洋次なんだけど、城の後継者のカミーラとメアリーとは行けば即会えないのが、ウザいと問われたらウザいよと答えるだろう。
「私もお会いした事はありません。大昔にお暇を取ってますから」
メアリーの返答は素っ気ない。ちなみに、〝お暇〟は、退職の遠まわしの表現なんだな。
「空振りかぁ」
「ですけど、住所原簿があるはずです」
「そ。閲覧できます?」
正確に稀人洋次とエルフメイドのメアリーの会話を活字化するなら、それぞれ語尾を繰り返し、つまりエコーがかっている。それくらい広くて硬質な通路での会話です。
「お目当ての人物の原簿がどこなのか不明ですので、失礼ですけどご一緒に探して頂きますけど、宜しいですか?」
「もちろん」
「それでは」
半身身体を捻ってお辞儀。資料を保管している部屋に洋次を誘導するメアリー。
「くび、れ」
この曲線なんか、世界遺産級なんだよなぁ。だから近くて遠いんだよ。
かつん、こつん。
若い男女の靴音だけが廊下に響く。
「こちらの部屋になります」
期待していた『資料室』とか『管理庫』なんて表札はない。無機質にその他の部屋と区別できない扉があるだけだ。
「図書館だね、これは」
「そう、チキュウでは呼ぶのですか。私は昔、〝しょこ〟と教わりました」
「しょ、こ? 結構古目な表現だね。そうだ」
「はい。職人の原簿とは別のお話しですか」
相変わらずガードが硬いメアリーだ。洋次が半歩接近すると一歩遠ざかっている。
「そうなんだけど」
「ならば先に職員の説明を。お名前はレーム氏。御年は六十以上の殿方です。ドワーフ族でご家族はいないはずです」
「レームさんね、了解」
索引表のない大百科事典の一コマを探すような作業が始まる。
「それにしても、随分放置されてます」
「そうだね。税収記録の原簿と、これは婚姻証明書の申請用紙?」
「本当にバラバラ。あの、洋次」
「うーーん? これも違うな」
「洋次」
「家畜の登録? 滅茶苦茶だな」
「あの、稀人様とお呼びしなかったから怒ってます?」
「え?」
ビビ、ビクン。
洋次のキャパが少ない脳内に巨大な文字盤が湧き上がっていた。
『これだ!』と。
メアリーが両腕を前に組んでいる。いわゆるモジモジの姿勢。もしくは待機中のメイドさん。
家令補佐もしているメアリーは、どうしても純粋なメイドとして洋次とは接するチャンスが少ない。だから、資料室で腕を組んでいるメアリーが逆に新鮮で斬新に感じてしまっていた。
「なん、なんですか?」
「お具合でも? あの、先ほどのご質問ですけど」
「ああ、そうだね」
少し砕けた物言いをした。でも、この点はメアリーは気にならないらしい。
「作業をしながらで宜しければ、どうぞ」
「はいはい、そうだね。時間がもったいないからね」
「あの、本当にお具合が?」
半歩だけ接近した。これでプラマイゼロ。




