85 サーペントはお宝
「ほうれ。革、肉、骨。そして脳髄に毒袋。サーペントはお宝じゃ」
「ミーナー。稀人が呆れてましてよ」
「そうなのか?」
「いや、ぼぅっとしてすみません。でも、そうだ」
忙しすぎたのは言い訳にならない。洋次には入れ歯だけじゃない。もっともっと解決するべき問題が山積みだ。
「稀人洋次」
「ああ。洋次で構いませんよ。そうか」
入れ歯や義歯の素材ばかりに意識を偏らせていた。でもサーペントを英雄的に撃退してしまったミーナーが、どんだけ治療を拒んでいたか。
「あれだけ強くで」
「本当、あれで暴れるから治療叶わなかったんです。困った娘」
くすくす。こちらは全く無垢な白手袋で笑いを隠すペネ。
「狂戦士でもイヤがる治療か」
コンラッドの各種の支援も、ミーナーの抵抗が発端だったんだ。だから、虫歯は治療も大切だけど、それよりも大切な課題がある。
「新しい歯の、虫歯予防も必要なんだ」
「虫歯の? 防げるものなのですか?」
「防げるさ。防がなきゃなんですよ、コンラッド代官」
「それでは、ミーナー嬢。虫歯を抜いた後は問題はありません。後一、二回口の中が化膿しているか医師。ニンゲンのお医者様に看てもらってください」
「なんと。医師は嫌いであるぞ」
砕けた物言いになっているとか態度など。とてもお嬢様らしくなくなっていた。ライジン族貴族の娘、ミーナーは両手を後頭部に回した。見た目、『降伏のポーズ』だけどコンラッドもペネも黙っているから、このボディランゲージもチキュウのそれとは異っている。
「ところでさ、稀人」
「ミーナー様」
立場上あまり厳しく叱れないコンラッド。とても優秀な官吏、公務員らしいんだけどね。
「サーペントのどの部分を希望する? 鱗、肉? やや頭骨と目玉は不許可であるぞ。あれはトドメを刺した戦士の報酬である故な」
「鱗?」
「頭骨は持ち歩けぬし牙も嫌う軟弱な令嬢も居ってな。故にサーペントの鱗が手柄の数であるのよ」
「ミーナー」
「苦しゅうない。稀人にも手柄のおすそ分け也」
鱗。うろこ、ウロコ?
「そんなに貴重品なんですか。貴族の令嬢が草むらをあさるほど?」
「いや」
洋次の隣に直立したコンラッド。行政や領地経営では優秀な代理人も、子供レベルのお宝探しの代行はしないらしい。
「ミーナーのご趣味でしてな。あるいはポリシーか」
「ポリシー? サーペントの解体がですか?」
「佐に非ず。 首級と牙は同等。鱗はその代用也」
「さ? どんだけ戦士設定なんですか? 私なんて剣だって腰に下げてるだけですよ」
「やや」
ミーナーも草むしりを中断して仁王立ち。もっともこの異世界に仁王信仰なんてなさそうだけど、ね。
「不都合であるな。戦闘と冒険を知らぬ人生などムダであるぞ」
「そうれはそれでハードですけど」
「稀人に鱗を下賜致すぞ。あるいは男子、精のつく肉を求めるか?」
ミーナーが提示した鱗を見てビックリ。食卓にあがる金目や鯛を基準にイメージしていたサーペントの鱗は、B四サイズの台形だった。
「まだ屠りて間も無き新鮮なサーペント也」
「チキュウじゃ風当たりが強いけど、家の壁とかにライオンの首を飾る感覚なんだな」
「一枚下賜致す」
鱗、一枚あげるよの意味だ。
「うわっ滑るっ」
鱗は皮膚が変質したパターンが主流らしい。爪なども鱗からの変質の部類とか、違うとか。
「なんだかヌルヌルしてる」
通常亀などの甲羅は硬い分重いし打撃欠損に弱い。
でも鱗は枚数があるので軽量化しやすく、代替えが効く。でも元々皮膚だった名残と保護のためにヌメリや粘液、体液などが付着している場合も珍しくない。
「軟弱なり。サーペントの類は滑りを持つのが自然。でも、其処が善い」
黙っていればそれなりの美少女なミーナーは、なかなかワイルドだ。
「でも、このヌメり臭くないですか?」
「臭そうぞ。故に煮て滑りは除くものよ」
「煮るんですか。あれ、この鱗、ふにゃふにゃしてる。鯛とかの鱗より柔らかかも」
「〝たい〟が何物であるかは知らぬがヌメリさえ拭き取れば団扇にもなろうぞ。でもやはり煮たほうが善い」
半透明のサーペントの鱗を団扇のように仰ぐ。そこそこ柔らかく、硬いまでは及ばなくても腰はある。
「鱗は好かぬか? ならば肉を所望か? 軟骨なぞ乙であるぞ」
「肉も軟骨も好きですけど、あくまで鳥とか牛豚の方でお願いしたいのですけど」
解体中のサーペントはまだ仄か湯気をだしている。それだけ新鮮なんだけど、スーパーなどで切り分けられた食品に馴染んでいる。違う、自分で手を汚していない洋次には強烈な光景だ。
「ああ、でも昔は蛇と鰻を『まむし』って混同してたって老年教諭が」
おっと地球の地がバレる。
「失礼。蛇肉ですか。ミーナー様、その白い部位は?」
「これであるか。これはサーペントの喉元の軟骨也。大変美味であるぞ」
「困った令嬢でしてね」
「あ、コンラッド代官」
どうやらコンラッドは洋次派。ハンカチを口鼻に接着して防臭しているし、態度がドン引きっぽい。
「事狩りに関してはライジン族は容赦がないのです。小官も肉料理には多少煩いのですが、さすがに目の前で捌かれると」
「何を言う。この軟骨は最高であるぞ。稀人、生で如何かな?」
まだ血液とか付着している軟骨を差し出された。
「令嬢」
「もうミーナー様ったらぁ。ねぇコンラッド」
洋次やミーナーを無視してイチャラブしているペネ。そのお相手のコンラッドは代官の立場もあるから、困惑顔だ。だから、洋次はイチャラブに関しては知らんぷりしてあげています。
「軟骨。そうか、モンスターのサイズに比例しているのか」
洋次がイメージした軟骨は、掌に収まるくらい。でも、ライジン族貴族の令嬢ミーナーが天空に掲げた獲物はラクビーボールよりも大きそうだ。
「生でも乙であるぞ」
「令嬢」
コンラッドの軽目の諌めはするーされて、サーペントの喉軟骨を手渡された。
「柔らかくて、でもそこそこ硬い。これって」
ある感覚が脳裏で騒ぎ出す。
「これって歯型を抜くにはちょうどいいんじゃ?」
折り曲げたら、ゆっくりと復元する。そして折れた跡は微かに白濁している。
「さすが異世界。これが異世界、やっぱり異世界だ!」
「稀人?」
「コンラッド。サラージュの稀人はご病気ですか?」
「軟骨だ! そうだ、ゴムやシリコンが入手できないなら、素材を現地調達すればいいんだ!」
太陽にサーペントの喉軟骨を翳す。
印象材を求めていた洋次。最初に検討した地球の素材に類似したアイテムではなく、異世界の異世界ゆえに入手できるサーペントの喉軟骨に活路を得た。
「はは。これだよ」
このまま安直に軟骨が印象材、つまり歯型を採る素材になるとは考えていない。
「ないなら探せばいいんじゃないか。どうせシリコンの化学式も知らないし、突然ゴムがゲットできるなんて甘々な期待なんか捨てちまおう」
「稀人。冒険であるか、戦闘があるならば協力致す」
「まぁ協力って素敵な響き」
「左様ですな」
背後のガヤを無視して、地道な素材選びが始まる。




