84 英雄は歯医者の治療台には一人もいない
「あは。妾をだまし討ちせり稀人が萎れる様は愉快なり」
「ミーナー、貴女のための治療ですよ。そもそもはしたなく抵抗するなど令嬢失格」
馬車の窓からペンティンスカ嬢。
「ふん。お菓子を食べたら歯が痛くなるのが理不尽であるぞ」
いやそれが当たり前です。
「かくなる次第でして、稀人洋次」
「代官様もご苦労様ですねぇ」
「苦労は仕方なし」
「あれ?」
ライジン族がオルキアでの名称らしいけど、洋次的にはカミナリ様。カミナリガールにしか思えないミーナー。
「も少し引き寄せておれば、一撃必殺であったが。残念至極」
「ミーナー様」
貴族に叙されているミーナーの実家、カンコー家はカミーラとは衣装デザインが微妙に違う。どう違うのかの指摘を的確に実施するほど洋次はファッションには明るくない。
でも。
「両手を腰に当てるってさ?」
老齢のメイドにエスコートされて下車するペネ。地面に足をついくや否や、婚約者らしいコンラッドに小走りするなかなかの乙女っぷりだ。
「ほうら。稀人様もエチケット違反だとご不興ですよ」
不興。そりゃないんじゃない? とツッコムくらいに解釈していいんじゃないか。多分。
「ライジンのムダ打ちは魔力がもったいないのであるぞ」
「左様ですか。おっと失礼致しました」
一度立ち上がって拝礼しながら片膝をつく。
「お助け頂きまして」
「ああ、善い善い。やや不満は残るが其方は妾の主治医も同然。先に、当方が礼を欠いていた。許せよ」
「いや、その」
「では。宜しいですかな、稀人洋次」
慣れないし堅苦しい会話をコンラッドが終了させた。
「その前に、皆の者」
カーバラの領主の娘、カンコー・ミーナーの号令一下。日本の作務衣にそっくりな衣装の男たちがわらわらと登場した。総数は五人、それぞれタイプが違う刃物を持参している。
「片付けよ。それから革をなるだけ傷つけるな」
頷いただけで倒れ臥しているサーペントに群がる男たち。
「では」
漆黒の服の襟を質しながらのコンラッド。背景には蛇の解体ショーって見事な剣と魔法な演出だ。
「予後と申しましょうか。抜歯後のミーナー様のご様子などを確認してはくれまいかと」
「ホントは医者などイヤじゃ。でも吸血族の稀人は奇異だから我慢するのじゃぞ。よいな」
「誠イタズラ気ままにて当方困惑しております、稀人様」
「こちらは商売ですから、喜んで」
診察は秒殺でした。
「実はミーナー様の件の歯なんですけどね」
散策の予定だったから視診しただけ。でも化膿や腫れなどは一切ない。
「幸いに乳歯でした。だから抜きやすかったらしいですね」
「にゅ? うし? それは生え変わる赤子の歯の意味でしょうか」
それ以外ないんだけど。
「ですから、新しい歯が……」
不意に立ち上がっていた。
「なにか、見えますかな」
「サーペントが気になるか」
「まぁ。ミーナー嬢」
「あの、一体ナニを?」
「おやこれは奇な物言いである。敵を屠れば後は御印頂戴ではないか」
「〝みしるし?〟」
「あ、本来は首級。首を刎ねる行為でありまするが、ミーナー様の場合は」
「ほうれ。サーペントは捨てる場所がないモンスターである」
「ミーナー。白手袋が汚れましてよ」
「笑止。返り血は戦士の誇り。ライジンはどんな小さくても女でも戦士である」
「はぁ」
申し訳ないけど、洋次はある名著の一節を引き出して含み笑いを我慢してました。
『英雄など、酒場に行けばいくらでもいる。その反対に歯医者の治療台には一人もいない──銀河英雄伝説・田中芳樹、著』
洋次はその、英雄を消し去ってしまう診療台の主なのだ。




