75 長話になりそうだから
「今日のお仕事も一組だけか」
石板には一週間分のスペースを確保している。でも、予約はすきまだらけだ。
「まぁ、皮肉だけどミキサーに集中できるし、黄楊の乾燥には一年欲しいそうだし」
誰もいない尖塔内の診療室は気持ち悪いほど静かだ。
「ウソ、ついちゃダメだよな。まだ信用も需要もないんだよ、ここの稀人様は」
自虐的になる習慣がついている。
「暖かい?」
バンシーが洋次がレンタル中の尖塔を訪れたなら、寒い北風だ。
「東風?」
ひゅるひゅる。無重量の風の精霊の幼生体が洋次の身体に巻きついてから塔のてっぺんまで上昇した。
「コチが来たってことは?」
不思議に洋次に接近したり干渉するバンシーを除いて精霊たちが単独で動いていた記憶がない。
「今晩は。コチを前触れにしました。ご無礼ではなかったですか?」
「メアリー」
風魔法が得意な副作用なのかエルフ特性なのか。風の精霊たちに好かれているメイドのメアリーだった。
「無礼だなんて。こちらは塔をお借りしている身だから。あ、黒いマント」
メイドとくれば黒いメイド服にカチューシャ。それは間違いなくメアリーの着用しているけど、アニメとかの作業用としては白地──特に胸などが──が多いタイプじゃない。本当本物の掃除洗濯も実行する真っ黒なメイド服を着用している。
「ええ。もうすぐ日が暮れますから」
「マント、脱ぎますか?」
ハンガーも置いていない仮宿だった。
「いえ。すぐ帰りますから」
真っ黒。それは正しいメイドの制服だけど、この黒にプラスしてマントの装甲で強化しているメアリー。
「メアリーっていつも真っ直ぐだね」
あちこちは凸凹なのに。
「あの、明日の予定ですけど」
「ええっとハリス領を貫通している街道に面した町の広場で、許可をもらった?」
「洋次」
稀人まれびとと呼ばれ慣れているけど、真実は十六歳の高校生、本名板橋洋次。
メイドだけじゃなくて家令補佐を兼任しているけど、実は十五歳のエルフのメアリー。
「メアリー」
その距離三センチ。
「ちょちょっと」
なんてことだよ。洋次は自分からバックステップでメアリーとの距離を離した。
「カミーラお嬢様について確認したいことがあります」
「そ」
洋次がワルキュラ家からレンタルしている尖塔は本来偵察と防衛の武具庫の役割だ。
そのせいか騎乗のまま通過できる大きい扉があるけど、現在は封印中。裏口サイズの通用口から出入りしている。
「食卓で話しましょう、メアリー。長話になりそうだから」
「仰せのままに」
結局洋次の要請を了解したメアリー。
「……どうぞ」
「はい」、フードを外すとロングでさらさらの金色の波が起こる。困ったな、この瞬間新品の芳香剤を百個くらい開封したかおりが漂った。かも知れない。
「いつもは後ろ髪で縛っているのに」
「仕事中は縛ります。おかしいですか?」
「いえ」
「失礼でしたか? まさかご立腹とか?」
「あ、マジ」
本当に真っ直ぐな美少女メイドさんだ。




