54 ああん、ダメですよぉ
「お食事、こちらに」
塔の入口扉のすぐ近くに小机が設置されている。これで乙女なメアリーは男子の居室作業場兼寝室に踏み込まないで業務を遂行できる。
「いつも済まないね」
みっともないほど前後不覚でも稀人。ワルキュラ家の稀人への礼儀なのか、腰を九十度折ったお辞儀をするメアリー。
「あ、あのさ」
「はい」
頭ごなしとか全否定じゃなければもっと叱ってもらいたい。べ、別にMっ気趣味じゃなくて、ゆっくりメアリーとお喋りしていないからなんだ。
「雑務が溜まっておりますから」
それがお互いの理由だ。
メアリーは百八十度急展開で洋次から離脱する。
「これも雑務?」
「失礼します」
「まってく、ください」
背中を向けたままピタッと止まるメアリー。
「その、こ」
なにかメアリーに言いたい。黙って立ち去られるのが辛かった洋次は、無目的にメアリーを足止めしていた。
「なんでしょう」
「だから、こっ」
咳き込んだのもむしろサンキューだった。
「お風邪ですか」
でもまだ背中を見せたまま、なんだね。
「いや、さっきバンシーの旋風で冷えちゃって。ちょっと袖口とか凍ってるし」
「だから、あの子とは関わらないほうがと申しましたよ」
「うーーーん、でもねぇ」
少し寝癖で立っている髪をカキカキした。
「北風は寒いのが当然なんです」
「そうだよね、でも、みっともないな。お酒に負けて、〝コンコン〟咳き込んで」
「次はお気を付けください」
「そうだね。コンコン山の中、だ!」
「はい?」
怪訝の看板を背負ってメアリーがチラッと振り返っている。
「ねぇねぇメアリー。〝コンコン山の中〟だよ」
マジにはまだ足元がヤバい。でも洋次は飛び跳ねてワルキュラ家の家政問題も負担している美少女すぎるメイドに急接近。
「だ、ダメです。近すぎ」
メアリーの頬が赤っぽかってけど、今はそれどころじゃないんだ。
「メアリー、そうだ、山の中で、〝冬〟なんだよ、『宗冬』だよ」
この状況ならアルキメデスが全裸で街中を走った逸話の支持者になれる。
「コンコンで宗冬、つまり『黄楊』、黄楊があれば問題解決に王手さ!」
「王手? しょ、将棋ですか? おっしゃる意味が不明ですぅ」
あれ、メアリー全体に赤いんですけど。
「違うよ、黄楊。ええっと」
頭を左右に撫でる。黄楊の櫛を使っていますなポーズをしているのだ。
「将、いや工芸品とか化粧箱に使う樹木なんだけど。サラージュに自生しているかな?」
「ツゲ? ああ、昔」
「あるんだ!」
普段は純白なのに今は薄らとピンク色の両手で洋次の接近を阻みながらメアリーは補足する。
「私は洋次が初めての稀人ではありません。ご存知ですね」
「うん、で、黄楊、あるの?」
半歩後退している。
「一番最初にお仕えした稀人が」
メアリーのメイドエプロンのポケットからお宝が登場した。
「これをチキュウでは〝ツゲ〟と呼ぶとか。これ」
「こ、これが黄楊かぁ」
実は黄楊そのものは不確かだった洋次。いわゆる蒲鉾型の黄楊の櫛をゲット。ちょい借りしました。
「これだよ、これ」
「ああん、ダメですよぉ」
黄楊をノーカウントで入手した洋次は、正直はしゃぎすぎていた。メアリーがずっとポケットに収納していた〝黄楊の櫛〟を頬に当ててすりすりしていた。見た目はマジヘンタイである。
「この黄楊があれば、イグは解決さ」
「イグの治療は終了したのでは?」
「ああ、そうかメアリーはクラックを知らなかったんだね」
黄楊の櫛をお宝ゲットのように太陽に捧げるポーズをしています。
「ええ」
「天然コンクリートだけじゃあ問題があってね。で、たった今閃いたんだ」
違う。
「じゃなくて、思い出したんだ。北風のお陰でね。勝利の合言葉はどちらも北風から地球人が連想する『冬』。コンコンで黄楊材の義歯で宗冬で総入れ歯さ」
柳生宗冬が一番有名ですが、実用品としての最古の義歯、総入れ歯は総黄楊製の説があるんだな。
「あ、あのぉ。手ぇを離してくださいませ」
片手に黄楊の櫛をしっかり握り、残った手でメアリーを拘束。だってこの感動を素早く誰かに共有してもらって、一緒に喜んで欲しいじゃないか。メアリーは〝洋次の歯〟の関係者だし。
「黄楊で義歯をはめ込む土台をつくる!」
歯床は入れ歯などのピンク色の部分。地球では、現代の日本では人口樹脂系や金属で加工している。
「黄楊の総入れ歯は長い実績がある。で、メアリー。メアリーも顔赤いけど風邪?」
ちょっと残念。でも繋いでいた手を離す。
「いえ、大事ありません。『モンスターの歯医者』としてのご質問ですか?」
「そう、スゴいマジ大事な問題。サラージュには黄楊が生えている? 入手は困難」
「は?」
メアリーの瞳がまるで夏みかん。色彩的には超巨大なブルーダイヤのペア。




