37 洋次よウマに乗れ
板橋洋次にとっては異世界なバナト大陸にもウマ。ウマそっくりの生物がいて、運搬運輸の重要な役割を勤めていた。犬も牛もほぼ同じだ。図鑑で一々照らし合わせたんじゃないけど、植物も気候も大差がないようだ。
つまり雲は雨雪を伴う気象現象だし、風と季節は一致しているケースが主流だ。空も、晴れていれば地球と相違点はほとんどない。
「ああ。空が青いぞ」
右頬が痛い。さっきどこかでぶつけたらしい。
「やがて洋次はオルキア王国の重要な地域、サラージュの住人となる。洋次の魅力をやっと気づいた〝彼女〟との間が深くなるのは自然の成り行きで、二人の間には愛の結晶と、あいだぁ!」
ポカン。洋次の頭部に鈍器、じゃなくてオモチャの剣の一撃がヒット。
「これ、ようじ。〝チキュウ語〟で楽しい妄想をしておるな。早よ起き上がらぬか」
「ああ、ヴァン殿下」
ヴァンって名前しか教えてもらっていないこの子供。カミーラが次期当主になるサラージュとは隣接したモクム領の、こいつも次期当主、将来は伯爵様なんだそうだ。
カミーラの十二歳もどうよって思えるけど、もしかしたら九歳で殿様伯爵様になるって貴族制はいかがなんだろう。
「まったく並足二十歩で落馬する男がおるか?」
ヴァンは、やがて伯爵になるカミーラをお嫁さんに、洋次のいっこ下の十五歳なのにボンキュッボンなメアリーを第一側室にと壮大な人生設計をしている。だから、時々サラージュにお忍び訪問するのだ。
「でも、殿下」
ゆっくりと身体を起こす。荒地に大の字になっていた乗馬初心者の洋次に容赦ないヴァンが接近している。
「ヴァンと呼んで苦しゅうないと何度も申しておろ。さ、ウマを追い掛けて鞍に跨るのだ」
「ならヴァン、その刀振り回すのは止めてくださいよ」
ぺしぺし。洋次はオモチャの刀で尻を叩かれながらウマを追跡する。
「甘えるでないぞ。そなたはオルキアどころか大陸唯一の『モンスターの歯医者』。患畜のために、お、お、おう?」
「往診ですか?」
「そうそうそれであるぞ。往診のため馬を走らせる必要があるのだ。今の内に修練せず、いつするのだ」
正論だし厳しい次期伯爵様だ。
「ありがたいんですけどね、で、ヴァンにはわざわざお忍びの時間を割いて俺を呼び出して乗馬を指南するメリットあるんですか?」
やっと逃げていたウマの手綱を掴む。幸いに道草を食っていたから追いつけた。
「なにを寝言を言うか。そなたは現在はサラージュのまれびとでも、近い将来余のまれびとになるのだぞ」
「ああ、カミーラとの結婚がデフォなんだ」
メアリーの側室か愛人はアウト・オブ・ラックだとしても、カミーラとの結婚はそりゃ魅力的だろうな。
「さ、一応早よ、こちらに戻れ」
しつこいけど、ヴァンは何かにつけて刀を振り回している。あれは小さい身体の補填なんだろうか。
「急ぐ理由があるんですか。時間がない、とか」
ヴァンが帰ればスパルタ乗馬教室はエンドとなるのだ。
「そなたな」
「戻りますよ、戻りたいんですけどね。でも急かす理由はなんですか」
意外とウマは簡単に方向転換してくれない。鞭を使用したくないし駆使できない洋次はストンすとんと鞍上でポンピングしている。つまりウマにナメられているのだ。
「ようじ、そなたの真横。右手に大木がみえるであろう?」
「ああ、ずっと先、何百メートルものロングレンジにどデカイ木がありますけど、なにか?」
「その大樹から西はモクム領なのだ。そなたはまれびとだから構わぬが、サラージュの領民は入らぬ、立ち入り禁止なるぞ」
「え、マジ?」
この荒れ地は洋次が隠れ家を作ろうとしたり、大量の鳥を確保した場所だ。
「そう言えば、俺が鳥肉にかけたあの果実が成る樹は西の方にだけ生えている」
「おお先日の味付けはあの果実なるか。なるほど理解した、ニコはサラージュの民だからな」
「ニコさんが果汁をかける味付けを知らなかったんじゃなくて、入手できなかったのか」
どうして西半分だけに柑橘系の実が成る樹木が生えていたのかは後日談、だろうか。
「まあそうなるな。他所の領地に無許可で入ることは慎まねばならぬ。ところでようじ」
くいくいっとシャツの裾を引っ張るヴァン。
「この土地の西半分はモクムの飛び地で、サラージュの民は入ってはならぬ。一方、モクムの人間はこの飛び地の管理の目的でサラージュを通過する。これをどう思う、ようじ」
「ええ? すご、く、メンドくさいなぁ~なんて」
一方的じゃないかってツッコミを我慢した。その言葉に、我が事得たりと笑うヴァン。どうやら誘導されてしまったらしい。
「そうだ、面倒くさいのだ、非効率なのだ。だから一刻も早く余とカミーラがけっ……こん……」
「ああ、原点回帰のね」
ヴァンの個人的な恋バナだけでは済まない問題があるらしい。
「状況を理解したか。ならば、そろそろ本題に戻れ」
「やっぱウマに乗るんだ」
内腿が攣りかかっているので、グズグズと手綱を握って時間稼ぎをしていたのがバレた。
「鞍に乗れないのか、なんなら台を呼ぶが」
「遠慮します」
ヴァンが促した台ってのはニンゲンが土下座体制で踏み台をする行為。これは庶民の洋次には何様号令だ。
「まずはウマから落ないようにっと」
ぽか。ぽか。ぽ、か。
「いい加減に致せ。走るのだ」
洋次の安全歩行に痺れを切らしたのか、ヴァンの右手の一部になっている剣がウマの尻を殴打。ウマは急加速する。
「あ・の・なぁ~」
今回は十歩で落馬しました。




