30 風の精霊たちが
大袈裟で文学的な表現をすると、こうなる。
バナト大陸の一部、オルキア王国。そのまた一地方のサラージュに、一人の稀人が出現した。
稀人の特典を早速活用した洋次は、宣言した。モンスターの歯医者になると。その職業は地球でも、実は事例が少ない。獣医ペットクリニックは過当競争なくらいある。でも、歯に限定した獣医師、洋次は知らない。ましてサラージュでは人間と動物、それぞれ一件ずつ。寂しすぎるくらいだ。
元々親が医療関係者じゃないから、地球には誰某って名医が開業しているかもって可能性はトボけましょう。
「メアリー、ごめんなさいね。どうしても急ぎたいの」
洋次が認定される予定の稀人には付属する膨大多数の特典がある。
詳しく内容を説明されてビックリ。基本的にやりたい放題だ。
禁域と指定されていない場所なら移動も商売も自由。
地球や日本などの文明国では不可欠な免許や専門学習がなくても、ほぼ全職業の開業の許可が与えられる。
稀人が誤診やいい加減な対応でも、犠牲者が一般庶民だったら、〝異世界の医術薬品が合わなかった〟の理由でオシマイ。まぁ、徒弟制度の延長で医師薬師になる中世ヨーロッパ風、つまり前時代的な社会だから、こんなトンデモな規則が横行しているんだろう。
「お嬢様、これも家令兼任の業務で、ですから」
また噛んだ。
「しかし」
これまでに何度かメアリーにジト目や睨まれていた洋次が目を細める。
王都。つまり日本では東京に当たる都にメアリーは出張する。旅立つが正確かな。
「通信手段が未整備だと、書類とか王都に持参しなきゃなんて大変だね。でも徒歩で王都ダキアまで徒歩で五日前後か。そうすると……」
「そんな長時間お嬢様を危険な目に晒せませんよ」
「だよねーー。で、この精霊さんたちの出番?」
単純計算で往復十日。常識的に考えれば、荷物満載の馬車の用意は必須だろう。でも、書類や女子としては驚異的に少ない衣服を収納しているっぽいカバンと、例の真っ黒い傘だけがメアリーの所持品だった。
「これが衣装も旅装束なん?」
メアリーのスラックスを連想させる衣装に、つい多少クダけた物言いをしました。すると速攻修正指示。
「言葉を選んでくださいませ。お嬢様の御前ですよ。これと言うのも」
「うわぁ大アップ」
マンガとかだとどんだけの巨人族ってくらい特大サイズで睨まれてます。
「破廉恥な誰かさん達のせいです」
「あ、町の人たちも巻き込んだ」
「ふん」
メアリーは風の精霊たちにおいでおいでと手招きする。合図を待っていましたと、メアリーのあちこちにくっつく精霊さんたち。その数が、一人二人……。
「いくら風の精霊たちと一緒でも単純に片道百五十キロ以上をここに居る〝たった四人〟で飛ぶんだ、凄いねメアリーも精霊さんたちも」
「「え?」」
これから王都に出向くメアリー。見送るカミーラとあわせた鈴音のような声がハモった。
「メアリー、私は相変わらず東風しか見えませんけど」
「昨日、三人とも見えたとは伺ってましたけど」
「でもさ」
洋次はメアリーの足元を指差す。
「この緑色の三角帽は東風だろ、メアリーのスカートの裾を摘んでいるのが南風、それから西風は羨ましくて」
西風はメアリーの胸に埋没中です。
「でもこの子は、昨日見てないな」
「北風! 来ちゃダメだって言ったでしょう」
ビクビクんっ。
メアリーが声を張り上げると、北風って呼ばれた妖精は洋次の足元に隠れた。そのワンアクションで、糸を引くくらい流れるさらさらな灰色髪の妖精。それが北風だった。
「この子。だけ、女の子の精霊なんだ」
「違いますよ」
「なんでため息?」
カバンを地べたに置いて、広げかかった傘を畳んでいるメアリー。
「あの時は忙しかったので詳しい説明を省略したのは申し訳ございません。正確にはこの子たちは精霊の幼生体、見た目は五歳児くらいですけど、実像はありません。波長が合う人には感じたり見えるだけなんです。風ですから、性別もないんです」
「へぇ。天使と同じだな。よろしくね、四人とも」
「あまり」
「ん?」
洋次の足で隠れている北風を見下すメアリー。顔色は、寂しそうかな。
「この子とは関わらなくて構いませんよ。不幸の風ですから」
「ああ。偶然だけど、地球でもバンシーってのは」
これから死人が出る家の軒下だったか戸口で哭く精霊だったかな。物語によっては不死族扱いだったり。
「いい子にしてなさい。貴女を忘れたわけでも嫌いでもないんだけど、これはお仕事ですから」
「そうです。大事な仕事を頼みます。バンシーちゃん、わかりましたか?」
「いやカミーラ姫、北風真後ろだから」
諭すように語るカミーラの視線の先にはバンシーの姿はない。カミーラが四人の精霊の中で東風しか見えないのは真実のようだ。
「まぁ。素早い風ですこと」
北風の動きが掴めないカミーラは足元をキョロキョロさせる。
「そうですね、風だから移動も一瞬ですね。じゃあメアリー。いってらっしゃい」
洋次はバイバイと手を振った。手を振る行動に目的や意図があると北風は思ったんだろか。
「「!」」
北風。不幸の風。なるほど納得。
北風幼生体が巻き起こしたっぽい前兆のないヤバい風は、イタズラ過ぎる風だった。これから上空を飛行するメアリーは万全の対策済みで裾がひらひらしただけだった。でも、ドレス姿のカミーラには直撃になった。
「無礼者」
スカートの花びらが全開したカミーラではなく、メアリーから往復ビンタを受けてしまいました。




