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236 遭難者



「あ」

 堅い。でも柔軟性と僅かな湿り気と。


「こ、これ樹木だな」

 視界が悪くて、転移が終了したのかもわからない。とにかく足が滑る。


「ふう」

 どうやら斜面にいる。身体が傾いているのだけど、ともかく暗くてどんな場所だか不明。


「ええっと、あれ」

 しっかりと掴んでいる樹木の枝に、なんだかブラブラした物体がある。


「これが俺の衣装」

 そうだ。登山中に濃霧に迷った洋次が、知らなかったとは言え、時空の扉の妖精フンダを踏んだことがオルキア転移の引き金になった。

 それが判明したばかりの事情なのだ。


「ああ。ま、半年くらいだもんな」

 半年で著しく成長も体重増減もなかったようだ。チキュウで身につけていた衣服は、自然にサラージュでモンスターの歯医者さんスタイルと交換された。


「じゃあ?」

 これで視界良好ならば、下山する場面だ。


「ったく。夜なのか昼なのかもわからないじゃないか」

 行きも視界ゼロだったけど、ご丁寧にまた数メートル先が斜面なのか絶壁かも断定できないくらい深い霧の海に投げ出されているとは。


「ったく。空が」

 夜だろうか。真っ暗で、しかも濃霧。太陽や星空で角度を推測する基本技術が使えない。もちろん、携帯スマホなどは、転移最初の早朝にメアリーがキレイに選択して砧で粉砕している。道具の中に磁石もあったけど、じゃぶじゃぶ水洗いされているから戦力外だ。


「枝ぶりと、この木肌で」

 切り株などで年輪が詰まっている角度が、乱暴に北側だとか。苔が南側は少なくて北側は多いとか。


「でも」

 そもそも、ここドコ?

 方角が正確にわかっていても、危なくて動けない。


「まあ日の出まで待つか」

 そう結論した。暴力的な転移だったから、食料とかの持参がないから我慢の一日半日になる。


「それにしても」

 暗いし肌にまとわりつくような湿り気を含んだ霧だ。体温が下がるのは歓迎できないから、命綱代わりの木々を掴まり伝わって移動するべきだろうか。


 ──。


「え?」

 なにか聞こえた。


「でも? 山の中だぞ」

 でも聞こえる。


「……。たすけて?」

 洋次には、そう聞こえた。


「遭難者か?」

 暗くて濃霧。この状況で迂闊に移動した登山家が、斜面から滑り落ちた可能性がある。

 ならば、迷っているヒマはない。


「せめて視界が利けばなぁ」

 命綱として、木々にタッチしながら、足場を確認しながら超低速で移動。


「だれかーーー? いますかーー?」

 少しは距離を縮めているらしい。空耳って疑うような音はやはり助けを求める悲鳴だったのだ。


「どこだ。どこで?」

 明瞭に声が聞こえるけど、近々じゃない。


「待ってろよ」

「おーーーーい。助けてーーー」

 助けはわかっている。でも二次災害が救助を実施するに立場で最も忌み嫌われる愚行だ。洋次は、確実にゆっくり進む。



「おーーい」「たすけてよーーー」「だれかーーー」

「ええっと?」

 なんだろう。

 既視感デジャヴってか耳に残る空耳なのか。


「この声は?」

「だれかーーー?」

 この声は。


「誰だっけ」

 それくらい洋次は、半年あまりでサラージュ住民になっているのだ。


「だれかーーー」

 距離は詰めているハズだけど、声は期待したほどボリュームが上がっていない。


「大丈夫ですかーーー?」

「……」

 エサを求める雛鳥のような絶え間ない助けを求める声が止まった。


「大丈夫ですかーー?」

 どうして返事がない。


「でも要救助の叫びがあったし」

 幸いにキコローは、洋次の荷物。メアリーに預けたというか、放ったらかしにしたからメアリーが保管してくれていたリュックサックを取り出す。


「よし、ロープとかちゃんと入れてくれてる」

 せっせと洋次は木立の尾根道らしい場所でレスキューの準備をする。

 でもそれは、斜面の下にいる登山者には、コワい沈黙だった。


「板橋くーーーーん」

「ねーー助けてよーーーー」

 この声は。


「もしかして?」

 登山部の二年女子の先輩の声ではないのか。だとしたら、最初に聞こえた助けて、は?


「板橋ーーー。頼むーーーー」

「部長」

 ロープを一番幹が太そうな木に縛る。


鉤縄かぎなわみたいな留め金がなぁ」

 それでも一二度ぐいぐいと引っ張って結び目が揺らがないから、一時的な人助けには十分だろう。


「板橋ーーーー。頼むよーーーー」

「はいはい。どうも」

 人を村八分ハブっていて、この卑屈で弱々な態度はどうよ。

 そんな想いを秘めながら洋次は斜面を下る。

 相変わらず暗闇と濃霧で視界はゼロに近いけど。


「これは」

 洋次が危惧した状況。

 山の天気の急変だ。

 雨は視界と体力を奪い、足元が滑りやすくなる。つまり、尾根道のような狭路では滑落してしまう危険性が著しい。

 しかも濃霧に包まれていると、先行者が滑っても発覚が遅れて、第二第三の滑落の犠牲者が連発する。


 足を滑らせた人間が無意識に誰かを掴んでしまって集団で滑落なんてマンガ的な事故は、十二分にありえるのだ。


「……先輩。それに副部長に」

 洋次だけを外した登山部の合宿だろうか。オルキアとチキュウの時間経過が同時進行ならば、もう実りの秋の頃合。部長副部長たち、三年生がまだ部活動をしているのは想定していなかった。


「大丈夫ですか」

 山の用語でテラスと呼ぶ、傾斜が収まったミニ盆地に、学生登山家の集団が固まっていた。

 濃霧で確認はとれないけど、テラスからの下山も、この暗闇では無謀だろう。


「板橋。部長がさ」

「部長?」

 面白いな。

 今までは洋次が避けていた顔ぶれが、どうでもいいくらい平然と並んでいた。現在、どっちかって部員の方がバツが悪そうに喋っているのは、気のせいなんだろうか。


「ああ。尾根道から足、滑らせてさ」

 ビビビ。突然のフラッシュ。


「マブ!」

 眩しい。洋次は、光源から顔を背ける。闇夜だとLEDライトの眩しさでも、網膜を痛めてしまうから、注意しなきゃね。


「あ、ごめん。でもホント、板橋クンだよね。よかったーーー」

 袖を引っ張らないでください。その言葉を飲み込んだ。電池の温存だったのか不意に点灯されたLED式の懐中電灯は、また沈黙する。


「で、部長は?」

「あっち」

 レーザーポインターじゃないけど、再度点灯した光の到達点に、()()人がいた。


「部長」

「ああ。板橋。お前か」

 部長副部長だけじゃない。

 洋次はある違和感に支配されていた。そう、この場に集まっている全員だ。


「そのさ。今はどっちが正しいとかじゃなくて、頼むよ板橋」

 副部長が頭を下げる。この人、部長のイエスマンで、洋次をハブるどころか、洋次の気配を察すると大声で悪口雑言の百貨店だったんだけど。


「捻挫した」

 ぶっきらぼうに短く。部長が呟いた。つまり、尾根道から足を滑らせて斜面を落ち、足を捻挫して登山道に復帰不可能になっていると白状したのだ。


「登れないんですか?」

「おい、この斜面だぞ」

「下は?」

「何度もライト照らしたけど、険しいね。石ころ落としたら、すごい音が反響したから」

「ヘタに道具なしに降りたら、真っ逆じゃね」

 となると助かるしゅだんはたった一つに絞られている。


「尾根道の樹木にロープ結びましたから。これで戻れる。と思います」

 ざわわわわ。

 暗闇で、しかも濃霧でも一同にショックが走った雰囲気はわかる。


「登れるの?」

「ええ。その鍵爪とかアンカーで止めてないから。でも女子が一人ずつなら」

 ざわわわわわわわ。


「ああ。落ち着いて」

「い、板橋クン。それってイジワルじゃないよね?」

「はあ?」

 目の前に女子は五人。

 でもその前にちょっと待て。

 どうして、皆同じスタイルなんだ。洋次が部長と登山中の濃霧下の反応で対立した、〝あの日〟の登山スタイルとマッタク変わっていないなんて。


 そりゃ──そりゃあ私服でも登山の衣装なんて何着何種類も持っていなくても不思議じゃない。でも、帽子から参加メンバー。多分髪型とかも違いを発見できないなんて。



 ある?



 洋次が、この既視感の突風の襲来で発生する疑問符をクリアできなくても、事態は進んでいる。


「ねえ。せめて山道に戻りたいよぉ」

「部長と一緒にOBの先輩たちが落ちて、その部長を助けようって、ズルズル皆斜面を降りて戻れなくなっちゃったんだから」

 典型的なヒサンな事故と不幸の連鎖で、フィーバーしてるな。


「そうなんですか?」

 遭難時にこんな問答していちゃダメだ。

 洋次は、前向きに、でも慎重に救助活動を遂行する決意をした。


「じゃあ。この中で紐とかそれに代用できるアイテムある人、手ぇ上げて」

 洋次のロープだけでは、山岳部全員が利用するには正直不安だ。だから、一人登るごとにロープを補強。更に理想はロープを結わえる樹木も複数にすれば、安全性は上昇する。


 だけど。


「……。誰も持ってなかったんですか?」

「荷物を結ぶくらいの長さなら」

「テラスは尾根道から、十数メートルあるんですよ」


 一年女子はともかく、登山歴も豊富な三年も挙手をしなかった。部活でもこんなメンバーで、登山をしていたとは。


「わかりました。ともかく、一年女子から一人ずつ」

「おい」

 ここで副部長が洋次の肩を掴んだ。ハブられキャラのお前が仕切るなと脅すつもりなのか。


「離してください。部長は私が肩を組んで一緒に登ります。最後に」

「わ、か。わかったよ」

「じゃあ、一年女子から登って」

 なんと部長が足を滑らせて、その救助で大人数の二次災害が発生したのだ。


「じゃあね。ありがと」

「登りきったら、声がけしてください」

 一年女子がロープを伝わる。

 そして既視感は、確信にシフトしつつある。


「ねぇどのくらい動揺しているかテスト。今何月何日?」

 バカバカしい引掛けに、でも帰ってきた答えに洋次は内心心臓が爆発するくらい驚いていた。



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