233 つまり、フンダじゃなくて
「あのーーー?」
そう言えば、さっき洋次の独り言に反応があったような。
「あのーー?」
「あの、じゃなくて、そろそろ踏まないでくれるか?」
暗いから声の主の正体が不明だし、聞き覚えのない声だ。
余程熟練のボイスチェンジ能力がなければ、見知らぬ人。
「だだだ、ダレです?」
「だからさ、そろそろいいかな、踏むの?」
「踏む? 私がナニかフンダ?」
まるで犬の糞でも踏んじゃったかとビックリするように足をバタバタさせる。
「ああ。そうだ」
「って見えないんですけど?」
ほぼ日没。洋次が踏んだと主張される人物の姿かたちは確認できない。
「つまり、フンダじゃなくて、退いてくれるかな?」
「あ、はいはい」
数歩後退。でも、件の洋次に踏まれた対象が見えない。
「あのーー?」
しゃがんてみる。
「なんだよ。まだ俺が見えないのかい?」
「ええって!」
ぬぬぬぬぬぬ。
洋次の影が動いた。厳密には、日が暮れて影なのか宵闇なのか不確かだけど、でもクロイ何かが地面からにょきっと動いて立ち上がる。
「ああ、やっと気づいてくれたか。助かるよ」
黒い。そして丸い。でも澱みのない流暢なニホン語を久しぶりに聞いた。
「ですから、その?」
落ち着け私。落ち着け板橋洋次。落ち着け。
パニくらないように、深呼吸のように深い息遣いや掌で文字をなぞってみたり。
「おいおい、モンスターの歯医者さんが、そんなじゃ困るなあ」
「ええ、そうですね」
ちょっとだけ冷静になる。ヒューマン語じゃなくてニホン語としてもアクセントも単語も全て文句のない喋り方だ。
「しかも太いいい音質だし」
「まあ、天使の歌声だと言われるな」
はて。
「って、その……」
高校生時代に若干インプットしたモンスターの知識や、オルキアで入手した情報には、闇夜に溶け込むような黒。そう、漆黒で丸いモンスターはなかった。
「ああ、いつも通りでいいけど?」
「いえ、貴方の名前なんて知りませんよ」
「おいおい」
どきーーーーーーーーーーーーーん。
心臓が飛び出すか液状化するんじゃないか。
真っ黒で丸い、でも流暢なニホン語を喋るモンスターの手が洋次の肩にポンと載った。
「ひーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「なんだよ」
落ち着け洋次。頑張れ稀人。
「あああああ、あのぉ」
「まあ、ビックリ仰天もそろそろ飽きてきたから、本題に移っていいかい?」
洋次が気絶しないだけマシってほどに驚愕しているけど、真っ黒なモンスターは全く冷静沈着そのものだ。髪の毛一本──って黒ちゃぶ台みたいで毛なんて発見できないけど──の乱れもない。
「で、どうする?」
「あああ、治療をするならばあああ」
チビっていいですか?
気絶して、キコローかメアリー呼んでもらえませんか。
そんな情けないセリフを言いたくて、でもまともに唇が動かない洋次だった。
「治療? おいおい。俺様は至って健康優良なモンスター。美男で健康とググれば、俺様がヒットするってもんだ」
得意げに喋るクロ。丸くてクロイモンスター。形状を文面で説明すると、そう。真っ黒などら焼きか、巨大なクロがま口。
「それじゃあ、何の御用ですか?」
あれ。どら焼き、あるいはがま口が山型。「への字」になった。
「おいおい、どうしてふりだしに戻るんだ。そろそろだと、こっちは思って来たのに」
「きききき、来た?」
話しがさっきから噛み合っていない。
「だろ。一応モンスターの歯医者さんなんだから、〝噛み合ってない〟のは頂けないよな?」
身体が丸くて腕が短小だからカッコはついていない。
でもモンスター本人は、指揮棒を降るように腕を動かしながらのご講釈をしている。
「あ、あの。先ずお名前と要件は?」
まだ洋次は内心落ち着け落ち着けと自分を励ましながら対応している。
「おやあ? まさか俺様の名前、知らなかった?」
ガバッと開放されたがま口。呆れられたらしい。
「ええ、初対面ですし」
「いいジョークだぜ、お坊ちゃん。お前さん、何回も何回も俺様の名前を連呼したじゃないか」
またしても肩ポン。真っ黒で太い腕が肩に載る。それをおっかなびっくり確認しながら。
「そ、そんな。つつっつもりは」
「フンダ」
ぼそぉっと単語が飛び込んだ。
「俺様はフンダ。時空の扉を操る歌える美男子精霊だぜ」
フンダ。ふ・ん・だ・?
「あ、あのーーー?」
「なんだよ。お前さん、板橋洋次だろ。登山部の部活動で地域からハブられている」
「そんな設定ありましたね」
「ありましたじゃないだろ。だからお前さん、オルキアにいるんじゃないか」
「ここ?」
時空を操ると、この巨大がま口は言った。もしも、その言葉に偽りがないのならば。
「そうだよ。俺様がお前さん。洋次を異世界のオルキアに転移させたんだ。だって」
「だっ……」
だって。
そうだ。部活動の些細なミスを犯した。
部活で登山中発生した濃霧の対応で、部長と対立したのだ。部長が、地元名士の関係者だった事情も重なって洋次は学校内、地域社会で存在を否定されていた。
余りの息苦しさに、山の中に埋もれて隠れてしまいたいと考えていた最中、また霧に包まれた。
「そうだ。私は濃霧から脱出しようとして穴に落ちて」
サラージュ城外にオチたんだ。そして第一サラージュ住民はメアリーの、たわわな……。
「おいおいおい。落ちる前に、どうしたっけ?」
そうだ。どうしたでしょうね?




