227 ニセモノのモンスターの歯医者さん
「サラージュじゃない。カミーラには」
経済復興とか、終結したばかりのテミータ公位継承の紛争も大切な問題なのは間違いない。
「でも」
忘れていた。忘れて活動するしかなかった過酷な現実が、またしても洋次の前進を阻んでいる。
「カミーラの牙」
カミーラ。
まだ幼女から少女に揺れ動く年齢で、大人としてサラージュ領の継承を求められる立場に居る、ワルキュラ家の伯爵家令嬢だ。
ワルキュラ家は吸血族。
ここが、チキュウの貴族と根本的に問題の次元が異なる点だ。つまりカミーラは、吸血族の成人の通過儀礼として、
『稀人に自分の歯で吸血をする』
この儀式が成人と認められる不可欠要素なんだ。
でも、カミーラには、どうしてだか生まれつき首筋などを噛めるほどの牙や犬歯が生え揃っていない。まだフラットな乳歯のままなのだ。
「ニセモノのモンスターの歯医者さん、か」
サラージュは復興する。
そして中央政府の重鎮の末席にあるキコローの薫陶賜れば、領主としての知識経験だって、あっという間に備わるだろう。
でも、成人と認められないカミーラは、正式な領主にはなれない。
洋次がニセモノのモンスターの歯医者さんならば、カミーラの仮であっても非正規の領主となってしまうのだ。
「洋次、洋次」
大したものだ。昨日までは、洋次の足にくっついていたバンシーが自在に飛行している。
「ねえ洋次ったら」
おしゃべりまでしている。これまでは単語を幾つか並べている三、四歳児レベルが外見と同じで十歳前半の口調だ。
困った事に、洋次がそんな飛躍的なバンシーの超光速成長にプラス思考で驚嘆する余裕がない。
「あれ。洋次」
バンシーが洋次の肩に手を載せた。
「なんだよ? あれは馬車?」
馬車に率いられたグループがサラージュ城に接近している。
「あれば、ヴァンだよ」
「ヴァン? ああ。モクムのヴァン殿下」
ハリスがサラージュの東隣なら、モクムは北隣の伯爵領。
詳しくはナイショだけど、ヴァンにイタズラされたメイドのメアリーが洋次のファーストサラージュ住民として、その豊かすぎる胸で体当たりしたんだった。
「少人数だけど、部隊を率いて?」
ヴァンは何度かワルキュラのカミーラを正妻に。メアリーを側室にと、子供にしては堅実なのか壮大なのか断定しにくい将来設計図を描いていた。
「カミーラ。カミーラ、無事であるか?」
「モクムの殿下」
コンラッドを挟んでカミーラとテミータ。外周円にプラム夫人とミーナのカンコー母娘にハリスの令嬢ペネ。会談を要人に任せてメイドのメアリーが真っ先に隣地の次期当主をお出迎えする。
「おお側室、無事で何より。正夫人は?」
「あちらにて」
「おや。テミータの襲来と伝書鳩からの便りであったが?」
「ご懸念の騒動は全て収束の次第」
「おお。我がモクムの軍勢はムダであったか。でもカミーラの無事を我が目で確認したことこそが、今回の褒美」
どすん。
今日のヴァン殿下はニンゲンタラップを使用しないでサラージュの地面に降りた。
「カミーラ。良いか?」
「で、殿下」
自己中に行動するのは、やはり貴族の子弟だからか。ヴァンは一直線に会談のテーブルに接近する。
「ヴァン殿下。会談の途中で御座います」
「それは承知しておる。だが、結局カミーラが成人に達していない現在、全て仮の契約条約ではないか」
そうだ。
こんな場面、サラージュがこれからシロアリ人、テミータ公国やハリス、カンコーとスクラムを組んで経済発展を遂げようとしても、最初の地雷を除去しなければ全てが徒労に期してしまう。
「だが」
カミーラの白い手袋に包まれた手を取るヴァン。
「ヴァン」
「余とカミーラが夫婦になり、サラージュモクム連合伯爵領になれば全て解決するではないか? 徒に古風な因習にこだわる義務など、若い我々にはないのだ」
そうだ。
そうなんだよ、ヴァン。
「でも」
二つの伯爵領が合体して、サラージュの領主当主不在も解消されて問題が解決する。
そうだろうか。
ヴァンと結婚は、そりゃ慶事、いいことだ。お隣さんとケンカしたりするより何万倍も素晴らしい。
でも、ヴァンと結婚しても、カミーラが吸血族として成人していない事実は消えないんだよ。
「でも」
でも、稀人の立場。そしてカミーラとヴァンとの関係。
洋次は、結婚で非成人説を粉砕するヴァンに口出しができない。
「ヴァン」
そして──。
カミーラは、困惑して二の句が継げない。
テミータ新公王ノゥは事情がわからないから黙っている。それは、ハリスやカンコーも同じだ。
「私は洋次を信じます。それに今はテミータとの」
「おおそうか。これはしたり。ならば、我がモクムもゼヒ、有効な関係を構築したい。宜しいか?」
「それは無論であります」
そんな政治的な交渉と復興の予定を洋次は見送るしかなかった。




