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215 本業に戻ろうとしている


「もうすぐだよーー。メアリーオネエちゃんが牛の乳絞ってくれてたから、すぐできたよーーー」

「アンーーー」

 洋次は実はサラージュ城の厨房に踏み込むのは初めてだった。

 これでも稀人。レンタル尖塔での自炊を除けば食事の支度はメアリーの領分だった。脇の甘さやドジっ娘属性もあるメアリーだけど、仕事や立場はキッチリ仕分けている。

 だから洋次は──男子厨房に入らずだったのだ。


「あのね、あのね。メアリーオネエちゃんが、ハチミツを集めてくれてたの。だから、今日の練乳は特別あまーーいよ」

 アンの頬。額。そして腕に汗が光っている。


「そうなんだ」

 だから洋次は叱るのは明日にしようと決めた。って洋次もかなり甘いね。


「じゃあ、はい」

「あいよーー」

 初対面じゃないけど、姓名までは知らないサラージュのお母さんが、錫製のポットに練乳を注ぐ作業を手伝っている。背中におんぶした赤ちゃんは熟睡爆睡だ。


「はい、まれびとーー」

「はい?」

 なみなみと練乳が詰まったポットをゲット。


「これ、みんなにあげて」

「あげる?」

 お約束に従ってポットを頭上に掲げる洋次。


「じゃないよーーー。がんばったオネエちゃんやみんなに〝れんにゅう〟を食べさせてよーーー」

「そういうことか」

「それ以外あんのかい?」

 サラージュでもどこでも、オバさんは厳しい。


「でも、練乳がこんな短時間でできるの?」

 普通なら半日一日グツグツ煮込まなければならないはずだけど。


「あんたねぇ。サラージュのカアチャンをなめないでよ」

 ポッ。

 オバさんの指先から松明たいまつみたいな炎が燃え上がる。


「魔法使いのレベルじゃないけどね」

「火起こしくらいなら、あたしもできるよ」

 別のご婦人が言う。

 左手に小さな男の子の手を握って。


「それは……助かります」

 台車を持参するべきだった。アンの無事を確認するために手ぶらで全力疾走したのが悔やまれる。



「分隊長。小耳に挟んだのですが」

 シロアリ人の暴走も収まり、マラムからの出張買い出し分隊は本来の任務に復帰する準備をしていた。


「シロアリがまだ抵抗でも致しているのか?」

 枯れ木よりも朽ち木。半日前は輝かしい光を反射していた軍刀は、藁一本も刻めないほどくたびれていた。もう溶かしてしまう以外活用法はないだろう。


「そんな怖い話し冗談でも漏らしませんよ。で、実は我々が求めていたミキサーなんですけど」

 事実上の副官、当番兵の姿は見ものだ。

 なにしろ、上半身は下着も含めてシロアリ人に食われてしまい、でっぷりとした下っ腹を晒しているのだ。


「ああ。予算は肌身離さず我が懐にあるから安心致せ」

「いえ、実はこの地、サラージュがミキサーの生産地だと」

真実まことであるか? だが、余は以前ハリスで買い求めたのだぞ」

「ハリス領は主要街道に面しているので販売を依頼した模様」

「なんと。それから如何した?」

「実は」

 キョロキョロ周囲を偵察してから囁く。


「私が何気に呟いたところ、サラージュがミキサーを贈りたいと申し出がありました」

「なんと」

 慮外。つまり想定していなかったラッキーに口元が緩むマラム分隊のトップ。


「素通りしたハリスに引き返さずとも事が済むようです」

「それは上々」

「予算は?」

 プレゼントされたら城塞司令官から預かっている予算は、そっくり浮いてしまう。


「それは司令官閣下に返却する」

 この辺はバイアは貴族。融通が利かない。

 当番兵は露骨に落胆の色を現したけど、気がつかないのかスルーしたのか。


「ミキサーの担当者と対話を希望する。案内あないせい」

「はぁ」

 シロアリ人やサラージュだけでなく、バイア中尉も本業に戻ろうとしている。




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