208 男女の戯れを聴き立てる暇があるならば、馬を急かせよ
「わ、私は」
微妙な沈黙を破る話題の人、いやシロアリ人。
「やや」
竜と洋次たちからは二十メートルほど。乱戦の最中では、生きているか死んでいるかを別にすると、一般テミータたちに埋もれていたシロアリ人に大勢の注目が一点集中する。
『公王を診察すれば時期王位を狙うベティメの一派が暴発する手筈であろ? 何しろ同じ閣僚席、準男爵でもベティメ家が貴様が継いだアジュタント家よりも格上だからな』
パッと見次期公王はベティメ準男爵だったんだ。
「でも」
シロアリは王の次は副王。メスってか女性陣も同じで女王に副女王と続く。王位を狙うなら副王派が一番当たり前なんだけど。
ぽっ。左腕が刹那暖かくなる。
「洋次、アジュタント閣下は公王陛下の実弟で御座います。ですから」
メアリーが耳打ちするため洋次とくっついたから感じた温もりだったんだ。
「副公王よりも次期公王が射程距離にあったんだ」
『もしやと思ったがな』
「え?」
思っていた。洋次やサラージュ住人的には突然現れた竜ことエンシェントドラゴンが、どうしてそんなテミータ公国の事情を知っているんだろうか。
「竜。もしかして?」
首根っこって人間なら襟の部分だ。その箇所をしつこく触る人種は、洋次はそれ程数多くは知らない。
『ティネリ、如何する?』
洋次の少ないキャパの脳みそが、とある仮定や結論に至る前に厳粛に冷酷に事態は進行する。
「愚かでも我が弟。竜王陛下の一存に委ねまする」
『そうか。洋次』
逆鱗って本来触れてはいけない場所、実用的にはセリフとかに適用される。でも本当ホンモノの逆鱗を自分で弄りながら竜は語る。
『稀人として。サラージュに迷い込んだ一男子として、この策略家をどう始末する?』
「私はサラージュの損害を償ってもらえれば、それで構いません。その、処分は私個人は不要です。で、宜しいですか、カミーラ殿下」
洋次のすぐ傍で祈るように手を折り重ねているカミーラを伺う。
「稀人洋次卿の判断を支持します」
洋次には背景がサッパリだ。でも事実として次期伯爵継承者って、庶民的感覚だと雲の上のカミーラが居住まいを正して。
つまり一度すっと竜に向き直ってドレスの裾を摘んでお辞儀をする結構正当な作法を交えながら竜に返礼する。どんだけ偉いんだ、竜って。
『では、板橋洋次。其方には不本意に感じるやも知れぬが、余が一連の始末を執り行おう』
一度だけ天空を突き通すように一直線になる竜。
「待って下さい」
ある予感がした。
でも、洋次の中止勧告は、イヤな連想が湧き上がるタイミングは遅きに逸していた。
「コンラッド、聞こえましたか?」
部隊を指揮するためだろうか。貴族の乗車としては珍しく天蓋だけのオープンな馬車の人、ハリス家ご令嬢のペンティンスカ、略称ペネ。
「確かに。剣呑を通り過ぎて」
正直深いりはしたくなかったペネの婚約者のコンラッドが返答する。万単位で死亡シロアリが発生した場面をまだ剣呑と表現するくらい、この高級公務員には瀕死のサラージュでも他人事なのだけど。
「「御者」」
意見が割れた。ペネは加速を求め、コンラッドは引き返しを希望していた。
「フラカラが心配です。それにワルキュラの皆さんも」
「ええ。小官の支配地域ではないですけどね」
コンラッドの担当は代官職。複数かつ広大な地域を貴族や金持ちの地主から管理運営を代行するのが本業な人だ。
「でも」
やや頬を膨らませたペネ。
「その様なお顔。初めて拝見致しました」
「そうでしょうか。でも」
ペネは馬車に乗車。コンラッドは愛馬に跨っている。
「ペネ」
そんな砕けたもの言い。ハリス家の守護一角獣のフラカラが聞いたら、ユニコーンの象徴である白い巻角で串刺し確定だけど。
「貴女は普段は真剣で、少々憂いたお顔をされていました」
「それは……コンラッド、戦場でするお話しですか?」
ペネはいつも白い手袋をしている。これもある意味お嬢様アイテムだ。
そんな白い手が握られる。怒っているのだ、お嬢様なりに。
「とても大事な話しです。正直フラカラは厄介者でしたし、貴女は領地のために中央に口と顔が利くから私との結婚を承諾されたのではと疑ってました」
「そんな」
「でも、安心しました。ささ。御者殿。男女の戯れを聴き立てる暇があるならば、馬を急かせよ」
乗馬に鞭打って先行するコンラッド。
「こ、コンラッド」
ハリス家の本隊もサラージュ城に急行する。




