18 もう一人の次期伯爵、ヴァン(ハッタ)
「ウソは言いたくなかったんだけどなぁ」
洋次が静止ゴーレムみたいに機動停止な爆睡していてもメアリーはポンチョに紐を通して、そして洋次の地球の衣服を漬け置きの前処理を施していた。結果滑ったけどメイドとして、するべき仕事を、したのだ。
「町の皆さんは地球の服に慣れていませんから、この格好でなら少し散策して構いません」
とてつもない小声でメアリーから靴を借りて外出許可を貰った。メアリーのトーンダウン、それは異世界人として手品か魔術のように即座に驚嘆する知恵も技術もない洋次に失望したからだ。
役立たずです。そう白状した。
でも外見だと同年代のメアリーは、声を抑えただけで洋次を見送った。既に何往復かしていた場所は、お城と呼ぶべき敷地面積と防衛力を構えていた。
数百歩程度では外出もままならないお城から町への途上、つい呟いていた。
「罵倒される方が、まだ気楽なんだな」
無意識に首筋を触っていた。昨夜だと思うけど次期伯爵様になるワルキュラ・カミーラ嬢、ちゃんが噛み付いた傷はカサブタとして塞がりつつあった。
「それなら、手早く血ドバッを済ませちゃおうか? それが可能ならばだけどさ」
成人の儀式が終わればカミーラは正式な領主様にご就任だ。目的がどんなものでもクリアするなら、悪くはないだろ。
今日の第一町人と行き違う。チラ見しても無反応。お互いが見えている時は自然体を装い、通過すると急ぎ足になるとても分かりやすい反応が、むしろ新鮮でもあった。
「うーん。視線も痛いぜって」
町人、厳密にはサラージュの領民さんだけど何人かは洋次の焼き串を購入したり、食べ物屋のニコ・ゴリさんと一緒に洋次をぐるぐる巻きして見覚えがあるやら、ないやら。
「問題は儀式が未完了なんだよな。あの歯で吸血できるのかな」
事件が続発しすぎて忘れていた案件があった。吸血鬼の犠牲者、生贄って、これも吸血鬼になるんじゃないのか?
「でも日光浴びても平気だし」
指を交差して十字を作成。苦痛も変化もない。
「ま、十字架が弱点って地球の吸血鬼だしな」
ここはバナト大陸のオルキア王国の一地方、サラージュ。借り暮らしのカミーラのお城から町までは徒歩で二十分。
「馬車だと?」
後方からカンカンカンカンと金属音。これは早鐘って前時代の警報なんだけど、そんなファンタジーな設定を知らないとタイヘンなことになる。
どうタイヘンか?
「げぇ」
町に向かって歩いている途上、金属音がした。煩いなと舌打ちしながら道の端っこに寄ったけど不十分な回避で、馬面が洋次の尻に突っ込んだのだ。
「やめてくれよ、危ないじゃないか」
言い終わらない間に地面にダイブしていた。振り返ると同時の攻撃があった。
バシュッ。
全長二、三メートル以上の射程の鞭が撓った。この男、馬車の運転手(御者)なんだ。
四頭立て。つまり一台の馬車を四匹の馬で牽引するタイプ。小型車だと一頭立てもあったような気がするから、デコっている重量でプラス三頭馬を追加している計算になる。
「無礼者、こちらに有らせられるは、伯爵家御令息なるぞ。その御前に立ち塞がる阿呆に馬の鼻汁の褒美を与えたのだ、有り難く頂戴せぬか」
伯爵。聞き覚えがあるけど、昨日までだったら異次元のご身分だったのにトンでもないセカイに飛んでしまったと今更ながら実感する。
「ウソつくなよ。次期伯爵当主はカミーラ」
下顎に鞭が命中した。さすがによろめく。
「こちらはモクム伯爵家の次期当主なるヴァンダール殿下。下賤な吸血鬼の令嬢と同列は屈辱である」
だそうです。
「やめよ」
金メッキや光り物みたいな成金趣味でデコれば伯爵の馬車だって見間違わない親切デザインらしい。どんだけ光ってるんだって馬車の客室箱から、幼い声が響いた。
「殿下」
「やめよ。と命じたはずだ。それから降りるぞ」
……。この声、聞き覚えがないか?
誰だ、三丁目の山田の次男坊の声だっけ?
「余は降りると申したのだ」
結構厳し目な声の張り上げ方だった。
「御意」
あれあれあれれ。
たった今まで高圧的だった御者が、プルプルしながら御者台から外れて、セダンの取っ手を開放。
そ・し・て・!
御者は大地に土下座の姿勢。違うな、いわゆるニンゲン踏み台を命じられたんだ。どうりでプルプルするのか納得してしまった。
そしてご来光でも発射しても驚かないキャラが扉から出現した。見た目は白人種の子供だけど、馬車にも負けない、トランプの王子様の扮装みたいなデコった衣装のガキがいた。トランプと違うのは、髭がない点と身体のサイズ、そして頭上に冠がないくらい。
「まれびと、死んでなかったのか?」
初対面でこれだよ。どんだけハデな馬車に乗ってどんだけ偉いんだ、このガキ。
「稀人、死ぬ?」
高速記憶巻き戻し。
メアリーにビンタ。昼食会でモンスターの歯医者さんになるぞ宣言。広場での出来事。……人生最大の行幸美少女サンドイッチな成人の儀式。罠を張って……はって、ハッタ?
「ハッタって子供か、君は?」
子供のくせに年寄り臭い喋り方は、上位階級だからなのか。
「怒るぞ。まれびと。ん、そなた言葉が通じるのか」
「まぁ、どう言うワケか通じます」
「通じるか、では覚悟せよ」
ゴチ。膝が感電したんじゃないかって痛みだ。
一瞬だけヒヤリ。ハッタなのかバッタか不明な成金ゴテゴテのガキ──しかも男が握っている凶器が短剣じゃないかと驚いた。
それだけ、膝を短剣が強打したにも関わらず。痛みだけ、出血は確認できない。つまりこの一撃は刃を潰しているかオモチャの痛みだ。実際、分別もない貴族のガキにはピッタリな道具じゃないのか。
「愛するものだけに許しているのが愛称だぞ」
「そりゃそうだ。で、そろそろニンゲン踏み台を終了してやれよ」
おっ。足元を確認するハッタ、らしいガキ。もう小さい身体は馬車の客室から降りているのだけど、〝立て〟の命令がないとOrZポーズは継続しなければならないらしい。この辺はメンドイなと同情心すら覚える。
「気にするな。この男は時々大祖母様のご威光を盾に周囲に威張り散らすから、こんな風に懲らしめるのだ」
「随分と教育的なんだな、ハッタ様は。で、オモチャでも刃物を振り回すのも止めろよ」
「だから、ハッタの愛称は、愛するべき婦人の唇が震えて伝わるものだぞ。それをお前が口にするな」
「へぇ。じゃあなんて呼ぶんですか。伯爵家の坊主? だから刀が危ないぞ」
「こら。坊主は、チキュウでは本心よりの呼称ではないとメアリーが申していたぞ」
「そうそう、メアリーは呼んでいいのかい、ハの字って」
メアリーの右アッパーで意識混沌としている時に、ハッタ様と呼んでいた記憶があるのだ。
「ふむ?」
「ハの字が高等問題過ぎたか?」
「よくわからぬぞ。だがな、メアリーは余の側室、あるいは愛人主席なる女子であるぞ。故にハッタと呼んでも苦しゅうないのだ」
「側室! 愛人!」
つまり、あの超攻略困難な連峰を指先一つで自由に、あんなことや、そんなことをして。
「なにを驚いておる。余は貴族、側室は認可されれば問題ないし非公式なら愛人を何十人設けても不都合などない」
「で、あれをああせよと命じたら、その次は、あんなことをして」
ひょっとして妄想暴走?
「まれびと、いい加減に致せ」
ポカン。またオモチャ剣の一撃が膝下を強打。身体中のネジが外れてしまったような痛みに悶えながら両膝を地面にくっつけていた。
「この危ない、ガキ、がぁ」
「ふん。まれびとは否応なしに貴族とも接しなければならぬ。どうやら余がそなたを指導せねばならないようだな」
「な、なんでだよ」




