177 イグが完全体になった
「アン、大丈夫なの」
アンの頭。小さな茶色い玉が、なんとか動いているから食べ物屋の娘さんの無事をメアリーに伝えてくれている。
「へいきだよーーー」
アンは尖塔の入口に到達した。洋次を脅迫したテミータは十秒で崩壊すると警告していた尖塔は、シロアリたちの仲間割れのお陰でまだ無事だ。
「よいしょっと」
尖塔の部品。つまり木製扉はシロアリの常食だ。いくら混戦していても、好きな食べ物から口をつけるのはヒューマンもシロアリ、テミータにも違いはない。
塔そのものは幸いに無傷に近くても木製扉だけは消滅していたから鍵がなくても小さな料理人は尖塔に入れ込めるのだ。
「アン!」
塔内にアンが吸い込まれた。それは、もしもの時メアリーのエアパンチなどの風魔法から隔離を意味している。メアリーが絶叫したのは、このためだ。
でも。
「ええっと。まれびとーはーーー」
高層建築の技術が未発達なオルキアでは、尖塔内部は螺旋状になっていて、節々で板を貼り階層にしている。
やがてアンは目ざとく『イグ』と貼り紙がある木箱を発見。
「これだ。イグ」
「うぎゅぅぅぅ」
イグの前足パンチ。木箱はイグのパンチで陥没した。
「あれーー」
ここは子供とトカゲ。大好きなイグのワンパンチで宝箱オープンにはならない。
でも。
「//けけけけ//」
アンを追撃していたシロアリ人が数人いた。
「ああ、ダメだよアリさん」
もちろん、アンはこんな計算はしていない。でも木箱が穴が開く、つまり木材があると告知したのだ。バトっていて栄養を消費しているシロアリにはご飯だがここにあるよと教えたのと同じなんだ。
「ああ」
数匹、数人のシロアリ人がアンとイグでは解放されなかった木箱を囓る。囓って秒殺で木材はシロアリの胃袋に収まった。
「//は?//」「//いらね//」
箱の中身がアンには問題だったのだ。でも中身は柘植(黄楊)を材料にした義歯、入れ歯だ。
木箱の材質よりは、堅いのだ。これに入れ歯の防腐加工などの処理が、暴走するシロアリが木材を即頂きますを回避させる幸運も重なる。
アンは、入れ歯本体をゲットしたのだ。
「イグ!」
堅いから食べるのをシロアリたちが躊躇った僅かなチャンスをアンは見逃さなかった。っていうか、タイミングなんか考えないのが子供なんですけどね。
「ほら、イグの〝は〟だよ」
アンは、入れ歯の型どりや試作装着を見学していたので、イグの入れ歯装着ならばなんとかなるのだ。
「はぎゅぅぅぅ」
がしゃり。そんな効果音を脳内で補完してください。でも実際はアンがUの字型の総入れ歯をイグの歯茎に装着した。
「うぅぅぅ」
一度二度。オオトカゲらしいイグは義歯を装填された自分の顎を撫でた。それはまるで装着感や、収まりを確認するような仕草だった。結構賢いイグだから、意外とそのものだった可能性もある。
「//けけ//」「//ぎゅぎゅ//」
アンが素早く義歯を拾い上げなければシロアリたちは硬くても柘植製の義歯を平らげてたかも。でも、義歯装備完了。
下の歯だけだけど。
「ええっと、こっちは上?」
まさかアンが装着するなんて洋次も考慮していなかったハズだ。でも、後々のために、それぞれの義歯に、『上の歯』『下の歯』と書き込みを施していた。口腔内に入るから猛毒ではない消し炭で。
「イグ、もう一度お口を開けて」
「はぎゅぅぅぅ」
ジャキーーーーン。
イグが完全体になった。
「//ききき//」「こいつーー」
「なぎゅぅぅ」
ギラリンとイグの目が光ると良いんだけど、まあそこは現実。でも数年ぶりに歯が揃ったイグは一味違った。
「うぎゅぅぅぅ」
義歯の違和感とか装着の不慣れさなんて、マッタク知りませーーーん。
そんな手書き文字でも背負っているようにイグは久々の完全体を喜んでいた。
「//ぬぬぬ//」「なんてことーー」
当たるを幸い、イグ無双。
イグはバリバリとシロアリたちに噛み付いた。
「すごいよイグーー」
真っ暗なはずなのに真っ白なセカイでバンザイをするアン。
「あれ、木箱がまだあるけど?」
アンの目的はシロアリたちにイグの歯を奪われないこと。でもお子ちゃまなアンが別の箱を捉えてしまった。
〝開けてよ、開けて〟
アンの脳内だけでは、そんな声が木箱から聞こえたのだ。多分、きっと。




