164 バイア中尉とエルフの見習い兵たち
マラム守備隊所属、バイア中尉と臨時分隊。
ハリス領に向けて街道を移動中である。
バイアは以前、偶々王都土産で購入した稀人が生産したミキサーを司令官に評価された将校でなのだ。この将校はミキサーの利点には注目していたけど、誰がどんな目的で製作したのかは知らない。
もちろん、サラージュの稀人、洋次の存在と名前を末端の公務員に告知が行き届くにはまだ時間が足りなかったのだ。
「ミキサーを買うだけが、とんだ大旅行になったな」
荷馬車数台に分乗して輸送する予定だった新商品を求めてハリス領に移動したバイアに、命令変更の報せが届いた。
『至急王都に移動し、サラージュに赴任する審議官の護衛をせよ
これは王国軍次席大将の命令で所属長の命令よりも優先するものである』
マラムに所属するバイアには、マラムの指揮系統以外の命令は本来あり得ない。
でも受け取った文面は王国軍の次席大将の直筆署名。
マラム指令の命令よりも優先する一文が、バイアにとんだ寄り道を強いた。
「いない? 護衛するべき審議官が、一人で旅立った?」
王都に駆け込んだバイアは呆気に取られた。
王都から国内西部の地方、サラージュまで。
必ずしも安全な道のりではない。バイアだって決して安くないミキサーを大小合計で二十三台購入するために、荷馬車が三台。どんだけ貴重な品か勘違いする不心得者対策で一箇分隊を帯同させて移動していたのだ。
裸足の貧乏人でも一人旅は命取りになる危険性はあるのに、高級公務員が自殺的な無謀を冒すとは信じられない話しだ。
「高位の人物が、本当に一人旅ですか」
将校のバイアだけが、とある一室に案内されて命令の中止を伝えられる。
「そのようだ。壮行会が終わったら、護衛を拒んでとっとと居なくなってしまったんだ」
王国軍の司令部でバイアは大きな口を開けていた。それを咎めないくらい、無謀な単独行をキコローはしてしまっていたのだ。
「大丈夫なのですか? その審議官」
バイアは、洋次を稀人認定したキコローが、そのままシフトして取締官にチェンジした事実を知らない。当たり前だ、行き違い、すれ違っているのだから。
「さてね。護衛を拒んだのはキコロー準閣僚席ご本人だから、不始末があっても貴殿。バイア中尉の責任ではない故安心致せ」
それで終わりのようだ。
「では元の命令に従え、と?」
「そうなるな。ご苦労」
呼び寄せて、手ぶらで帰れとは身勝手な命令だった。でも、それが組織だ。
「遅延の弁明は次席大将が一筆添えてくれたから止むなし」
口ではそう呟いていても、釈然としない一面もまだ心に燻っていた。
手綱を握った兵士が、騎乗している将校の機嫌を伺う。
「分隊長」
バイアは鞍の上で唸ったり呟いたり、首をふったりと意外と忙しい。
「大事ない。そう言えば補充兵は大過ないか?」
「少々お待ちを」
中尉だと副官とは呼ばないで当番兵と呼ぶ。バイアの当番兵は分隊の進行方向の逆走をする。
「は。二名とも大汗をかいておりますがなんとか」
話題の新兵を偵察。急旋回でバイアの手綱をまた握った当番兵。
「左様か。エルフでもヒューマンに混じって軍隊に入る時代なのだな」
「御意。ですが奴らは町エルフ。特別強力な呪文も使えない模様」
「うむ」
鞍上。つまり馬の背中に揺られたままバイアは顎に手を添える。
「新兵だから未熟ひ弱は止む無き。良く良く見守ってやろう。それと、町エルフは控えよ。あれは名誉溢れる呼び名ではない模様」
「これは迂闊でした。失礼致しました」
バイアの馬の手綱を握り直した当番兵は深く頭をさげた。
「構わぬよ」
しゃべりながら、さっき素通りした道標を思い出す。
「ハリスの隣にサラージュがあるのか」
「は。城塞に帰還する街道とは直通ではありませんが、隣同士だそうです」
バイアは、主要街道が通過するハリスが、ミキサーの代理販売店と化している事情も知らない。だけど、目的地のハリスの隣に、無駄足をさせた張本人が滞在している事実は忘れていなかった。
「審議官と合流しますか?」
当番兵がまた尋ねた。
「いや、とっととミキサーを購入してマラム城塞に帰還しよう。最近国境は静かだけど、本来の自分の任務は城塞の守備なのだし」
まさか、審議官が途上で盗賊などに殺られていないだろうな。
一抹の不安は感じた。準閣僚席の審議官が殺害されたら、フタケタ簡単に空費する足止めを余儀なくされてしまうからだ。
「帰ろう。マラムに」
浪費した時間はキコローに愚痴っても戻らないし、準閣僚席に中尉の身分で発言できる目処ない。
「まずはハリス到着だ。馬や兵たちが腹を空かせている」
「お気遣い痛み入ります。分隊長」
なんとか格好をつけていたバイアだった。
「予約したミキサーが錆びては困るしな」
「左用で」
ハリスで久しぶりに酒で喉を潤すのも悪くないとバイアは考えていた。審議官護衛任務に就くために急ぎ足だったし、気難しい審議官だと裏書されていたので飲酒はガマンしていたのだ。
「あの気のせいでしょうか。ハリスの街道沿いが騒がしいのですけど」
器用に相の手を入れている槍持ちが首を捻る。
「その気のせいだよ。街道は忙しいものだ」
まだバイアは、ハリス領の慌ただしさの理由も知らない。
バイアも、結果としてシロアリ人、ことテミータ公国の内紛に巻き込まれつつあった事実も合わせて。




