160 穴だらけだ
「松脂を無料でもらえちゃうなんて」
騎士階級で紋章に一角獣を使用しているハリス家にとってフラカラの存在はとても重要らしい。この気難しジイさん一角獣の回復はそれくらい有難いってわけだ。
「いざサラージュに帰還」
もちろん、歩行と速度がほぼ同じ洋次の乗馬技術だ。
サラージュ領に戻れた頃には、西日が差し込む時刻になっていた。
「ふんふん、と。そろそろ麦の採り入れだね」
農業経験がなくても熟した麦の穂の色合いはわかる。
「あちこちいい色をしていて」
とことことこ。呑気な乗馬は、一応動いている。
「あ、どうもーー」
名前を完全把握はまだまだだけど、サラージュ住民とも顔見知りになっている。
現金収入が期待できる仕事をくれた稀人。少しばかりサラージュの人たちとも繋がりが太くなっていて、いいなって感じる。
「いや、挨拶っていいよな」
もちろん、まだ洋次と目を合わせない人もいる。慌てて畑を熱心に覗き込んだフリしたり。
「そうだよな。異世界人だし、それに穴があるし」
いや、待て。どうも洋次を避けているだけじゃなさそうだ。
「あちこち、穴。あ、穴?」
ひらりと下馬。農業従事者数名が固まる穴に駆けだした。
「ああ稀人様」
「なんだよ、これ」
「ちょっと見せてください」
麦畑に穴が空いていた。
「このサイズ」
土竜や小動物のサイズではない。子供だったらギリ、トンネルとして利用できる直径の穴。
「おおーーーい」
音の反響がある。そして反響音が穴の深さが尋常じゃない証明になっている。
「あの、これは?」
洋次ならば、この不可思議な穴の正体がわかると期待しているようだな。
「ええっと、サラージュにはジャイアントモールは出現しますか?」
シロアリ人と交戦中だと説明されていた。
「いやーー。仔犬くらいのモグラならおりますがーー」
「なんなんですか?」
「ちょっと待ってください。落ち着いて」
穴に手を突っ込こむ。用心しないと落下してしまいそうな大口径。そうチキュウのマンホールくらいの大きい穴に肩口くらいまで乗り出していた。
「内壁が、自然土じゃない」
なんと形容するべきだろう。土の柔らかさや脆さのないトンネルの内壁。当然、自然現象で穿たれた地盤沈下や陥没ではないと断定できる。
「トンネル。シロアリ」
それは不自然、間違いじゃないかと洋次は疑った。治療依頼のために来訪したシロアリ人は、サラージュ城内の洋次のレンタル尖塔のすぐ根元にトンネル出口を開通させていた。
「まさか出口を掘り間違えた」
洋次はシロアリを害虫の認識しかない。生態や行動原理などは、多分家屋を破壊する悪い虫の先入観で誤解しているはずだ。この点は、高級な公務員のキコローに指摘さてている。
「稀人様。あっちの畑にも穴が」
「そうですか。あのーーー」
距離推定百メートル。現在洋次が足元にいる穴と別の穴。
「尖塔、違う」
二つの穴の延長にサラージュ城がある。
これは、シロアリ人たちが、城の内部に直通する出口をトライアンドエラーで開通させてしまった結果なんだろうか。
「待てよ」
あり得ない話ではない。科学的にトンネルがどこに通じているかわかってはいないんだろうから。何回か試し掘りをしても不思議じゃない。
でも、治療依頼で訪れたシロアリが、間違えた出入り口について一言も話題にしなかったなんて。
「あの、この穴はいつ発見しました?」
「昨日麦の熟し具合を眺めに来た時はなかったけんど」
「昨日? 間違えなく?」
「おらの畑だ、おれの麦だ。間違えるわけねぇ」
農民の主張が正しければ、いや正しいだろう。そうなると一連の穴は昨晩か今朝作られた穴出口の貫通ミスじゃない。
「まさか」
治療を願うシロアリの一派がある。反面、庶民には大枚金貨五枚を投げ与えて治療を拒む一派がある。
「警告、か」
「稀人様。なんなんです、これ?」
「なんかつぶやきませんでしたか?」
「あ、いや」
まだ半身穴に身を乗り出していた洋次は見た。
不安げなサラージュの農民たちを。得体の知れない怪奇現象に怯える人を。
「ご安心ください。これはシロアリ人の通過の後です」
パニックを誘発したくない。でもウソもイヤだ。
洋次は、最低限の情報を公開しようと決めた。
「シロアリ? 人?」
「おっかねぇーー」
待った。マッタ。まった。
両手で降伏のポーズをつくり、一応宥める。
「お忘れですか。私は、サラージュの稀人は『モンスターの歯医者さん』です。ですから、昆虫人も患者さんとして訪れるんですよ」
「んでも」
「穴、危ないじゃないか」
「そうですね。シロアリ人の治療がひと段落したら、枝道は埋め戻してもらいましょう。彼等、シロアリ人のチカラで自分たちで」
「そ、そうですか?」
大きく余裕をもって頷く。それくらいの演技力が不思議と備わっていた。
「取り敢えず板でも張っておけば安全です。後で埋め戻しましょう」
「そうですか」
農民たちは納得していない。でも、不確実な推測で不安を煽りたくないので、洋次は口を噤んだ。
「お手間ですけど、穴がどこどこに幾つあるのか、教えてください。それから、ゼッタイ穴には入らないこと。お願いします」
この時初めて洋次は馬の手綱を強力に引っ張っていた。馬に対する遠慮とかおっかなびっくりなんて、していられなかったのだ。
「まさか、警告?」
予想がハズれて欲しいと願いながら、いつよりは早駆けをして。




