16 風の精霊が
夢をみなかった。
「痛っーー。あちこち痛いぞ」
痛みとそこそこの話し声で目覚めた。ええっとと周囲を見回す。
「本当に振り出しに戻る、だな」
メアリーの右アッパーで最初の気絶をした後で運ばれた場所、だと思う。
「時間は、朝?」
丸太小屋の隙間から注ぐお日様の角度が鋭いし眩しい。腹時計も、ひと晩の経過を示してぐうぐる鳴っている。オルキアの初日は、丸太小屋の床に転がって過ごしてしまったようだ。
「起きるか」
ゆっくりと起立すると、ポンチョに使用した布がはだける。ポンチョの上にもう一枚。布団をカバーするような薄手の布だ。
「メアリーだよな」
枕元になってしまった場所に、折り畳んだ衣服が据え置かれている。これは、洋次が地球での登山中の衣装ではない。
「これで町人その一って衣装が完成だよ」
襟口が緩んでいるし何箇所も綻びたシャツ。半ズボンだろって疑問符を投げたくなるズボンは原色不明な迷彩的な色褪せが逆に新鮮だ。
「これが稀人の日常服。じゃないだろ」
そうだ。自分の服を取り戻せばいいだけだ。
「……だめよぉ」
「……」
メアリーが、丸太小屋のそばにいる。どうやら一人ではないらしく、小声も聞こえるから昨日喋っていたハッタって名前の子供と一緒だろう。
昨夜は走ったりぐるぐる巻きされたり噛まれた崩れるように寝入ったりしたけど、結局まともな飲食はしていない。それって稀人を引き止めたにしては待遇が酷くね?
脅かしてやろう。
お互いに事情があるから、放置プレイでも正直メアリーに立腹していない。だから、メアリーがきゃっ! と悲鳴を挙げれば、ゴメンごめんと笑って御終いにしよう。だってメアリーは超美少女だし、カミーラは可愛い。成り行きでも二人の圧力と弾力は、その……いいものだったから、ね。
「あえて、昨日のポンチョのままで!」
丸太小屋からダッシュする。目標は、メアリーと一緒に会話してる誰か。
「だからぁ。あ!」
扉を開けばメアリー。黒いワンピースの裾を摘んで足首までご披露して、足首まで真っ白いメアリーは水を溜めた木の枠──盥──で足踏みしていた。
「第一メアリー発見」
ってどうして第一がいて第二は、どこだ?
でも確かにメアリーの脇に一瞬だけ傍にいた……気が……したんだけど。
「きゃぁ!」
消えた。メアリーに重なっていた影が消えた。
「いやぁっ」
やあメアリー、おはよう。稀人さんが起きましたよ。
洋次なりに朝の一声を考えていた。
「大丈夫?」
でも叫び声でどんだけ驚いたのか、洋次の驚き顔を見た途端メアリーの身体は上下が逆転した。つまりひっくり返ってしまった。
「だい、じょうぶです」
全身ズブ濡れのメアリー。驚いちゃことに顔面に貼り付いた髪の毛とか上下逆転した体制を整えるよりも、足首を隠そうとして奮闘している。これが、オルキア式の風紀なのかな。
「あん、見ないでくださいよ」
盥の言葉も知らない洋次には、行水の単語も続かなかった。一部分を除いて細身のメアリーは盥を湯船代わりに、着衣入浴か行水のスタイルになっていた。
「ああ、ゴメン脅かして悪かったよ」
でも、でもだ。洋次は半テレながら疑問質問を抑えきれなかった。
「ねぇメアリー」
「お食事ですか、それならばこの後で」
じゃぶん。メアリー盥に立つ。でも、音は一つだけなんだ。
「じゃなくてさ、今メアリー、誰とお喋りしてなかった?」
ぼたぼた。多分水をタップリ含んだ衣服を絞っている音だな。
「聞こえました? 見ましたか? どんな人影でしたか?」
「いや、そーまで断定を要求されるとちょっと自信がなくなるけど。もしかしてハッタ君がいたのかな」
「ハッタ様ですか」
「うわっ」
盥行水で結構ズブ濡れになったらしい。ふんわりサラサラしていたメアリーの金色の髪の毛が頭部や額、尖った耳近くに密着していると表情も別人に錯覚するから不思議だ。
「ハッタ様は隣領の方ですから毎日はいらっしゃいませんよ。昨日は偶々です」
「ああそうなんだ。そう言えばオルキア王国は貴族制だから隣の市町村じゃなくて」
「そうです。領地です」
慣れれば面倒くさくないシステムかも。
「でも見えた、気がしたんだよなぁ。さっきまでメアリーの脇に」
足になんだか重量感がある。重量って、でも精々子供くらい。
「そうだ、今俺の足に巻き付いて?」
「巻き付いて?」
尖った帽子を載せている小さな子供が足に絡みついている。甘えているか、遊んでの要求だろう。
「ほら、この子だ」
蔦か藤の木みたいに洋次の脚に腕を回して上目で様子を伺っている子供、こいつ、誰?
「春風!」
「コチ? へぇ元気そうな子供だね。ほら一瞬で」
消えた。素早く抱きつきから離脱したのではなく、消失してしまった。三角形の帽子も姿かたちも一切の痕跡なく。
「消えた」
「消え? ようじ、見えたの?」
「えっ? ツッコむとこ、そこ?」
だって消えてしまったんだ。子供でもニンゲン一人があっという間に。それなのに、メアリーがこだわったポイントは視認。ズレているぞ。
「ようじ、コチは精霊です」
「よ? 精霊ってフェアリーの格上の、アレ?」
コクコクと頷くメアリー。さて、こんな時でもメアリーから滴る水が綺麗だとかその水になりたいと考えてた性少年がいましたけど、今はセット・ザ・ラック。棚に置いておく。




