142 いつかウソの代償を
「メアリー」
「救いのない慈悲はむしろ非道なる行為だよ。洋次。それに当然の報いでもある。放て置け」
「だけど」
ぐいっ。キコローに肩を引っ張られた。物理的な標高差もあるけど
「悲しくても辛くても認めなければならない事実もある。メアリーは画策した。最初から失敗する『成人の儀式』をな」
「なんだって?」
確かに洋次が地球から転移した初日に、吸血族の成人の儀式ってのがあった。した。
「だって、アレ?」
でもカミーラが異性に慣れていないから、牙がないから願い通り吸血できなかったから不成功になっていたんだ。違うんだろうか。
「どんな稚拙な手段だったかは余は知らぬよ。成功する努力に比べれば失敗する計画はラクだからな。だが、残念ながら余はニセでも失敗でも見逃せない立場なのだ。王国準閣僚席だからな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。ください。私にはもう霧の中に放り出された感じなんだ」
霧の中。
それは洋次が山中で迷い、オルキアに転移する第一歩でもあった。
「では説明しよう。メアリーには改めての確認となる。つまり、誰が悪い云々は今は〝ナシ〟とするから拝聴するように。こちらから尋ねない限りは沈黙を求める。良いな?」
釘を刺したし、ほんの少しだけ配慮したらしいキコロー。
「成人の儀式は種族や家によって異なる。ワルキュラ家をはじめ吸血族は、稀人の血を啜る。それくらいはレクチャーされただろ?」
「ああ。だけど稀人の異性じゃないのか?」
「稀人は絶対条件だが、異性はそうではない。なにしろ異世界転移の正当な稀人は滅多に現れないからな。地元の人間ではないから稀なる人と拡大解釈した実例もあるのだ」
「そうなんだ。で?」
「一々尖るな。よく考えろ思い出せ。洋次、貴殿は〝たった今〟正式な稀人になったのだぞ」
「だからどうしたんだ、よ?」
稀人に吸血して初めて儀式は成立する。それをキコローは審議官として指摘したんだ。
「でも、こうして正式に認定したんだから」
「事後承諾か。それは有り得なくはないが、家名を預かる家令補佐としては不合格だな。それに、手続きとして用を為していない」
「んだよ、それ」
「余はその場に同席していなくても手に取るように見えるよ。儀式にはカミーラ、メアリーと洋次。貴殿の三人のみ。立会人は不在、だろ?」
「そりゃ、そう。だった。けど」
「仮に洋次が稀人だと期待していても、もうこの時点でアウトだ。カミーラのお父上が亡くなった直後ならまだ、許容範囲内だが、結果としてワルキュラ伯爵家は十年以上当主不在でも廃絶処分になっていない。昨日今日急いで儀式を遂行する理由などない」
「理由が?」
「いや」
印璽。多分日本だったら実印とかを押さないと成立しない書類を収めたファイルを小突いたキコロー。
「たった一つ。それは儀式を遂行したけど失敗した実績が欲しかった。違うか、メアリー?」
「そんな、まさか」
大中男性の視線が注がれるメアリーの幅狭い背中。
いつもの洋次だったら抱きしめたい背中が、なんだか冷たい石炭の塊みたいに写っていた。
「バレましたか」
両手で顔を覆っていたメアリー。でも掌が動くと、もう泣き顔はなくなっていた。そりゃまだ涙の濁流の気配は残っていたけど。
「メアリー」
泣いたカラス。家令補佐も兼任しているけど。通常はメイドだから黒いワンピースだから、諺に沿った衣装になっているのが、なんだか寂しいんだけど。
「そうです。私は自称異世界をダマしましたし、結果令嬢もダマしましたけど、なにか?」
~だけど、なにか。
それは洋次が侮蔑の言葉以外ではもっとも嫌う表現だった。それを、まさかメアリーの鮮やかな朱い唇から発せられてしまうなんて。
「ウソだ。だって」
「洋次。もちろん、貴方が稀人だったら二重で助かりますし、事実サラージュを救ってくれています。でも、少し遅いんです。遅かったんです。間に合わなかったんです」
「なんだって」
遅かった。けど間に合うといいな。
それは、転移して間もなく、城内のダブル美少女以外で洋次と接触した食べ物屋の主人でアンの父親、ニコが漏らしたセリフだった。
「サラージュは、まだ人口が減っております。このまま令嬢が爵位を継承しても、先行きは絶望的です」
「だからって」
「洋次。カミーラが爵位を襲わなければ。令嬢のままならばどうなると思う?」
「どうって?」
「サラージュ(ここ)は日本と違う。領主が空位で代官が派遣されていない土地の領民は、婚姻どころか、死ぬことも不可能になる」
「それってゾンビにでもなるってか?」
「立ち上がるな。尖るな。よく聞け。領主代官が不在の場所は、代官が駐在する別の領主の土地に出向いて、代官に申請や許可を求めなければならない」
「それはニコから聞いてる」
「聞いているか。ならばもっとよく考えろ。誰もが国境、領主と領主との境に住んでいないし、住んでいても半日一日余計にかけて他所に出向く必要があるのだ。それがどれだけ負担だかわかるか? オルキアには自動車やバイクなどないのだぞ」
「それは」
脳裏に浮かぶサラージュの荒れた道。あんな難路で長時間を割く生活がどれだけ不便かは、数ヶ月の居住でも納得せざるを得ない。
「でも儀式を終えて、領主になれば」
「成ってどうする。令嬢は法律を専門に履修しているわけではない。婚姻届けや死亡届なら受理可能だが、それだけが領主の任務ではない」
「洋次。ここはサラージュ。貴方にとっては真実異世界なんです」
深々と洋次に頭を下げるメアリー。
「そりゃそうだろ。だから稀人なんだし」
「洋次。このオルキアでは領主が基本的に全ての問題を処理します」
「処理?」
「落し物の紛失から農作物の不作問題。サラージュの事務能力と科学で処理を迫られる家畜の識別問題。
土地や水の境界争いに暴力沙汰から殺人事件の捜査と裁判。
そして遺産などの相続問題。まだ年若いカミーラがある日。成人の儀式の成立を境に雨あられのような現実の難題が嵐か津波のように襲いかかるのだ」
「でも落し物とか」
「そうだな。日本での警察官や裁判官の仕事、領域だよ。でもサラージュは貧しい。専任で裁判を行える人材を雇えない。幸か不幸か城の維持は吸血族の下僕である狼男とコウモリたちが補佐しているが、限界だ」
「洋次。貴方をそして令嬢をダマしていたことはお詫びします。いつかウソの代償を」
キコローは、今度は腰を低くしていたメアリーの肩を牽引した。




