136 下働きの町エルフ如きを護るだと?
メアリーの白磁器のような頬を撫でるのかと疑う動きをしていたキコローは、一発平手打ちを放った。
「第二。乙女たる汝が成人男子と同席する不覚。恥を知れ、この町エルフめ」
「おい」
メアリーには町エルフは、悔しい区分けだ。それを既知、知り合いでありながら、知っていそうな関係で口を滑らすなんて。
「メアリーはメイドだ。色々ヤボ用だらけの私の身の回りを世話してくれているんだ」
「そうかな。戸口には小荷物を授受する窓口があるようだが。それを使えば事足りるであろう」
「ああ、初日に使ってた」
そうだ。メアリーは洋次の異世界転移の夜間、洋次が寝入っている隙に部屋を整えていたし、食事の差し入れも戸口にセットしていた。
「野獣か劣情の化身の恐れもあるニホン男子と同居同室しなくても世話をする手段はあったはずだ。違うか、メアリー」
「メアリーどうして小さく頷くんだ? 待ってくれ。でも私は『モンスターの歯医者さん』として忙しくてタイミングが合わない時ばかりだ」
「いいんです。洋次、それがオルキアの作法です。町エルフ如きを擁護してくださって、嬉しいですから、お控えください。審議官の御前です」
「だから、頭下げないでよ。洋次、またですかって強気でいてよ」
「メイドであり家令補佐の私の無作法はサラージュの恥。キコロー卿、御指導感謝致します」
「感謝しちゃダメだ。キコローは、やり過ぎだ」
正座のメアリーと見下ろしが常なんだろうキコローの壁に、なり切れているんだかいないんだか。
「そうそう。貴様、板橋洋次が本物の稀人なら、もう一撃加えねばなるまいな」
「なんでだよ」
「書類のあまりな不備があるからだよ。でもそれは、貴様」
「キコロー卿!」
タワーマンションに負けない長身のキコローの身体にくっついたように装備されていたサーベルが光った。
「貴様が偽物の稀人である方が余の不快の雲を吹き飛ばせるのだがな」
「キコロー卿。申し訳御座いません。洋次はまだ、オルキアの作法を知りません。御容赦を、御寛容の程を」
「知らねば王国官吏を挑発や口答え罷り通ると血迷うたか?」
「だーーから。光り物見せて無抵抗の女の子イジメるおっさんなんてさ。怖くねんだよ」
どくん。
「頬?」
風が吹いた。違うな、キコローの手首が返ったような。そして頬が生暖かくて、でも冷感があって。
「細身の剣で、きった? 切られた?」
「洋次」
膝が地べたから浮いているメアリーが叫んだ。それとも叫んでから膝が浮いたのか。
「メアリー大声を発するな。大事無いし、大事あっても不躾な小僧には良薬だ」
「ほ、頬を切ったのか」
「そうだ。例え貴様が稀人と認定されても伯爵襲名も滞っているワルキュラの稀人。準閣僚席の余とは格付けが違い過ぎるのだよ」
「そそそそ、そうかい。じゃあ認定試験だか何でも初めてもらおうじゃないか」
「ほほう、まだ屈しないか。気丈なのかアホなのかわからぬ小僧だな」
眉を顰めまたまた襟を直しているキコロー。オルキア王国の稀人の審議官さんなんだって。
「きキコ、ロ、ロー卿。洋次の私物は城で保管をしております。暫しお待ちを」
ふらふらな足つき身体つきで立ち上がったメアリー。
「不要だよ。貴様、板橋洋次」
「なんだよ。また抜くなら細身の剣、仕舞うだけムダじゃん」
「ふん」
顎で癪りながら語り続ける王国の審議官様。この行為って偉いからなんだろうかね。
「余とメアリーが既知。昔ながらの知り合いだと申したな?」
「ああ、それが本当かウソか、どっちにしてもあんたがイヤなキャラだってわかるぜ」
「それは町エルフを鞭打った仕業のことか? だから私用だと予め伝えたがな。しかもメアリーとて、非礼無作法を遅ればせながら承知している模様だが」
「そりゃ、あんたが偉い公務員で逆らえないからだ」
「ほう。一から十までチキュウやニホンの設定が通用すると夢見ているか?」
「そりゃ未熟でどうも。じゃあ、私が稀人と認めるなら」
舌打ちした音がした。
「「お帰りはこちらから」と申すか」
「洋次、お願いします。キコロー卿にお詫びして下さい」
「いやだね。謝ってもいいけど、それならメアリーにやり過ぎたって、このおっさんが認めてからだ。百歩譲って言うだけ、謝らなくていいぞ。大サービスだ」
「このガキ」
ぎりぎり。伯爵家の稀人よりも上位の公務員、キコローが歯軋りをした。
「国王陛下から宝剣を下賜されし官吏になんたる無礼を。面前の小動物をニセ稀人と断定して処分する。淫らな町エルフと揃って成敗致す。覚悟せよ」
「へぇ。今度はながーーい剣、抜くのが見える」
「申し訳御座いません。平に、平に謝罪します。せめて洋次には御寛容の程を」
もう床の一部と化してしまったメアリー。
「で、抜いた剣。どうするんだい」
「まだなんとかなると甘く考えているか。貴様を刺す。それだけだ」
「じゃあ、どうぞ」
「そうか、まだ謝罪は受けるぞ。処分は変えぬが」
キコローの肘が突き出された。つまり細身の長剣を振り被ったらしい。
「ぬ、ん」
ざくり。洋次の左肩から鳩尾辺りに切り込みが走った。
「うげっ。頚動脈でもないのに、けっこ」
洋次本人が想定した以上の出血。一度だけだったけど血飛沫が飛んだ。
「洋次!」
メアリーの悲鳴が伽藍堂の尖塔に響いた。
「結構出血するんだな。ニンゲンってのはさ」
「貴様」
キコローが突いた細身の長剣の鋒が洋次に残留している。要は刺さったままの状態だ。
「逃げたり避けなかったのか?」
「らしいね。それに避けたらメアリーに当たっだろーが。バカヤローー」
長剣が微動している震源は洋次なんだろうか。それともキコローか。
「下働きの町エルフ如きを護るだと? それで流血して」
キコローがたじろいだ。しつこく整えていた衣服が乱れたから、メアリーが風魔法を使ったんだ。きっと。
「東風、西風、南風。動きなさい」
「め、メアリー。其方」
メートル単位の身長差でも、メアリーはしっかりとキコローの腕にすがって剣戟の追加を阻んでいる。
「北風も動きなさい。この人は洋次を傷つけたのよ!」
「め、メアリー」
そうだ。メアリーには普段はバンシーを除いた三精霊が周囲にいる。どうして今は黙っていたんだろう。
「止め給え。サラージュの下働きが王国官吏に反抗すれば」
「稀人を。カミーラの大事な人を怪我させるなら官吏も野犬も同等です」
「う。ぬ」
おずおず。
いつもなら尖塔内部でグルグルと風を自作して遊ぶコチたちが萎縮している。なんだか動きが鈍い。
「了解した。板橋洋次を傷つけた一件は詫びよう。洋次が余を攻撃しないならば、余も剣を納める。だからメアリー、落ち着きなさい」
「だからって許さない。だって洋次は、洋次は」
メアリーが大泣きして。身体を張って洋次を庇ってくれた。
それは嬉しいんだけど、休戦の好機なんだ。
「稀人。停戦を提案する、先ず傷を癒し激昂するメイドを宥めたい」
「わかった。一旦全てストップ。争いはもう、なしだ」
「洋次は、洋次は」
「泣くな。メアリー。王国官吏、何より其方の主人の稀人の御前であるぞ」
「心配させてゴメン、メアリー」
「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
メアリーが崩れるように腰を落として泣いた。それって不発に終わった『成人の儀式』以来だった。




