110 歯型採取を実施します
「では、お集まりの皆さん。最近尖塔に閉じこもり気味ですけど、サラージュの稀人の洋次です」
「おおーー」「知ってた」「だから?」「早よなんかしろ」
すっかり大道芸扱いになっている。せめて発表会にしないと。
「それでは、アンの兄弟のイグの」
チラっ。様子を伺ったら、アンはニコニコしている。ちなみにダジャレではない。
「歯型採取を実施します」
「おーー」「なんだ、はがたって?」「早よやれ」
こんちくしょう。
「まず、下の歯は印象材だけでも容易に採取できます」
「それなら、なんとなくわかるぞーー」「おれもだーー」
マジレスすると外野がうるさいんですけど。
「歯型を取るために、印象材を利用します。印象材は硬すぎず柔らかすぎず、そしてそこそこ熱や圧力に負けない素材が求められます」
「おーー」「それから?「早よやれ」
……負けないもン。
「一部の歯型でも全体の歯型でも、その重さに耐え切れないと曲がってしまいます。そうすると正確な歯型にならない。入れ歯義歯が合わなくなります」
と、ここで沈黙。そもそも入れ歯義歯を知らないのだ。
「そこで、この枠組みです」
テニスラケットのフレームのようにほぼ一回転した木枠。Uの字型で、イグの歯茎を包めるサイズに指定してある。今回の制作はホーローだけど、次回以降は木工の専門職のレームに依頼する予定だ。
「この木枠の溝に少し時間を置いた印象材を載せて」
ここからはツッコミ、ガヤや野次は気にしていられない。
打ち合わせをしてあるから、掛け声ナシ。目配せでコダチと木枠をイグの上顎に接着させる。
「アン、お願い」
「わかった。イグーー。へいきだからねーーー」
下顎で経験済みでも、モンスターにとっては突然フレームで攻撃された感覚に襲われる可能性がある。アンがイグを宥めてくれるフォローは必須なんだ。
「コダチ、二十秒、頼む」
「一分でも頑張ります」
頼もしい支持者の返答を受けて洋次は木枠から手を滑らせる。木枠とイグの顎を紐で結ぶのだ。
「一本、に、ほん!」
(ぐあぅぐ・・・)
「イグ、ちょっとがまん、な」
「イグーー」
人力での固定では、今後を考えると実際的じゃない。経験値やノウハウを蓄積したらもっと安定した固定方法を考案するべきだろう。
「はい、三本」
紐結びは終了。残りは歯型採取に計算された時間までイグを暴れさせないことだ。
「洋次、メアリーが身体を拘束する魔法を使いませんでしたか?」
「えーー、あのデカ乳エルフぅー?」
「ああ、魅了ね。でもメアリーはメイドに家令補佐と忙しいから今日の実験には計算から外したんだよ」
「そうそう。それでいいよ」
「だからさぁ。ホーロー」
後頭部に手を回して腰をひねっているホーロー。ヒューマン族の細工師のホーローとエルフのメイドの間にどんな関係があるのかねぇ。
「さて、そろそろいいかな」
お城。カミーラからお借りした一分間砂時計の砂が残り僅かだ。
「着けるのも時間勝負。外すのも勝負、頼むよコダチ」
「ああ、はい。わかったなホーロー」
「イグーー。がまんだよーー」
「ええっと、紐は私が外すんだよね」
「そう打ち合わせしただろーー」
「コダチ、行くぞ」
じゃれあっている余裕はない。それに今回見物人が増えてしまったので失敗は致命的なんだから。
「おおお」「これかぁ」
下顎の歯型に続いて上顎も成功。素早く石膏を流す。
「それでは、流し込んだ石膏が固まれば最終的にこうなります」
根本的に義歯を知らないから、これからの過程は省略。
「なんだこれ」「見たことあっぞ。イヌの頭にそっくりだ」
箱から取り出したのはこちらも木製の歯型モデル。
「いえ、正確には頭の一部。歯の部分です」
「じゃあこれをウチのトカゲに着けるんか?」
「はい。歯型から義歯を作成します」
……。
見物人たちは、歯型がそのままイグに装着して機能すると期待してたっぽい。そう考えても当然だろう。
「帰ろっか」「意外とつまんねぇな」
一人また一人と『ニコの店』から消える見物人。
「あれれ帰っちゃったよ」
「残念ですね」
義歯のモデルを箱に収納しながら朗らかに応じる。
「仕方ないさ。義歯が必要に歯がどうにも悪くならないと要らない技術だから」
「ねぇーーまれびとーー。これでおわりーー?」
ぴょんぴょんと跳ねながらアンが質問する。
「まだまだこれからさ。もうちょっと我慢してね、アン」
「ンだ、まだミキサーかよ」
日本式だと牛刀だろうか。大振りの包丁の背でトントン肩を叩きながらニコが不平を漏らす。
「結構メンドいんだぜ。いくら娘のためでもさ」
「おっさん、無料でみきさーもらったんだから文句言うなよ」
「ホーロー、お前は黙ってろ」
「ねぇけんかはダメだよーー、そうでしょーー、まれびとーー」
「そう、そうだな」
箱の蓋を閉じた。
「歯型採取は成功したんだから、取り敢えずよし。コダチやホーロー、その他の協力者と一緒に開発するさ」
「あ、それでは私たちは」
ドノヴァン、トマ師たちは一足先にご帰宅する。




