109 歯型
「いいかい、アンがいるから怖がらないでくれよ、イグ」
「わたしはここだよーー、イグ」
カミーラ以外に洋次の背中を押したのがオオトカゲのイグ。食べ物屋のアンには兄弟同然の仲良し家畜モンスターだ。
(ぎゅぅぅぅ)
「よしよし、いい子だ」
「へぇ筋書き通りだね、ちゃんとぶよぶよを口に入れたよ」
「だからさ、ホーロー。稀人様がチキュウのカガクで色々試行したんだから大丈夫だよ」
「んならさ、コダチ。あんたトカゲの口の中に手ぇ入れなよ。したらさ、『ガブリ』って食われるよ」
「お前なぁ」
背後で幼馴染ショートコントが展開されているけど、洋次は真剣にイグに歯型を噛ませた。正確には歯型を採集するための印象材の半ジェルタイプを甘噛みさせるのだ。
「じゃあ、イグ。ちょっとだけガマンだぞ、ちょっとだけ」
「イグーー。がまんだよーー」
イグには小さな鼻──鼻孔と言います──がある。餌や食物を途切れなく食べるためにちゃんと鼻呼吸をしているんだな。
「イグに鼻があってよかったよ」
鱗由来の印象材が固まるまで一分弱。念のため一分間のガマンをしてもらいます。
(うぅぅ)
洋次には壊れたけど入れ歯やミキサー食などで今感触を持っていてくれているらしい。地面にピッタリ貼り付いていた下顎が宙に浮く。洋次と目を合わせたのだから驚かされる。
「ありがとう、イグ」
(ふゅぅぅ)
「でも動かないでな」
イグの頭をなでなでする。個人の趣味に踏み込むのは失礼だけど、トカゲとか爬虫類好きの感覚ってヘンだと思う。冷たすぎて好きになれない。
「でも全部イグみたいな患畜だったら獣医も『モンスターの歯医者さん』も来年には百人単位で増えるのにな」
「ねぇまれびとーー。それどーーいういみ?」
「ああ、イグはアンと仲良しで嬉しいなってさ」
「え、へへへ」
身体をくねくねさせるアン。一人っ子のアンにはトカゲでもイグは兄弟同然なんだ。ホメられて嬉しいに決まっているじゃないか。
「おい」
ああ、アンの父親のニコが不機嫌だ。ミキサー食は手間がかかるから、食べ物屋の主人としてはまだイグはお荷物になる。最悪の時期は脱しているにしても。
「そろそろ〝はがた〟。いいんじゃねぇのか。あんま長いと家畜は暴れっぞ」
乱暴に鳥の骨付き肉を切断する音が響く。
「ご指摘通りですね。コダチ、頼むよ」
「はい、イグの顎を押さえるんですね」
「ほら頑張れー男たちーー」
「あのさぁ。声だけかよ、元気なの」
イグの下顎を持ち上げながら視線は力仕事中の男子を茶化しているホーローを睨んでいる。
「コダチ、それでは」
耳を澄まさないと聞こえないレベルで、粘着物質が剥がれる音がした。
「よし、このまま」
ぺりぺり。Uの字型の歯型がイグの歯列から引き剥がされる。
「イグーー。ごくろうさん。はい、ごほうび」
「うわっ虫だよ」
イグのご褒美の虫──コオロギにそっくりだ──にビックリ、飛び跳ねて後退すホーロー。
「お前そこ〝だけ〟は、オンナなんだな」
「だってさぁ」
「ふん」
ごりごり。今度は鳥より大きサイズの動物の肉を解体するニコ。
「せめて店に集るゴキブリでも食ってくれればまだマシなんだがな」
「とーーちゃん。ダメだよーーウチにそんな虫いないんだからねーー」
営業政策。
「で、ここまでは順調」
採れたての歯型に石膏を流し込みながら。
「まで。までってことは次があんの?」
「だから、俺、私の影から喋るなよ、稀人に、洋次に失礼だよ」
「いいってコダチ。正直私も」
何匹確保していたんだろう。イグに籠に捕まえたコオロギをどんどん与えているアンに関心するやら、引くやら複雑な気分なんだ。
「じゃあ、アン。次の歯型だよ」
「わかったーー」
アンはとことこと移動。歯型採取に興味があるのか、店の仕込みを手伝っていない。
「下の歯はそのまま載せるんだろ、上はどうするんだ?」
「あれニコの親父さん」
「ああ、そうですね。あれ?」
どうやら歯型。歯医者の言葉もなかったオルキアに住む人たちにとってはそれなりに興味があるイベントのようだ。
「おい、気づかれたぞ」「やべぇ。俺も〝はがた〟とられちまうんか?」
がやがや。戸口からたくさんの顔が並んでいる。
「お、おい。店ん中入るならなんか注文しろ」
店先から境界線を超えて領民が覗き込んでいた。その数、現在は五、六人。
「ニコ、これどんな仕込みだよ」「やっぱトカゲ潰すんか?」
「あの、あまり騒ぐとイグが興奮しますから」
「まれびとーー大丈夫。イグは人気者だから、このくらいへいきーー」
「あ、そう」
最終的に十数人。せっかくだからドノヴァン獣医師とトマ薬師にも御足労願いました。
「おお、はがた、ですか」
「折れた骨の保護で石膏で固める療法は耳にした覚えがありますけど」
「歯型は名前の通り、歯医者の領域ですけど、まあ治療がてらのお話しにでも」
歯型採取のための素材。これはサーペントの鱗を煮て作成している。




