100 外される胸のボタン
「忘れそうだったけど」
ぉぃ。
「実はワルキュラも問題山積でして」
「でも、カミーラ嬢の歯は、雪の女王のそれにも劣らない美しき白。穢れなき純白。乙女の輝きであります」
「そうでしたか?」
ライジン族のミーナーをお茶会目当てにダマして治療する目的で、石板に隠れていたから、まじまじとは観察していない。
「そうでしたと」
「ペネ嬢が言ったんですね」
「は、い」
「ああ。なるほどねぇ」
洋次とペネことペンティンスカは二回しか遭っていない。美少女な貴族のお姫様は文句なしの条件に思えたけど、ワガママな一面も伺えていた。
「あーー。コンラッドが困っていても腕組みとかしてましたね。でも現在のカミーラ嬢の歯は」
どんなに綺麗でも牙のない吸血族は、大人の儀式が遂行できない。メアリーが代案した付け歯は、鮮やかな失敗に終わっていたし。
「あれはカミーラちゃんのコンプレックスなんだけどなぁ」
「でも我が将来の伴侶には宝石を鏤めたティアラよりも羨望せし逸品」
「人それぞれだなぁ。あれは子供、大人になれない呪縛なんだけど」
「じゅ、ばく、でありますか?」
「中央からの派遣の貴方はご存知でしょうけど、成人の儀式未完了のカミーラちゃんは正式な領主ではない。だからサラージュは領主不在の扱いをされているから、結婚の届けとかを、代理人の居住する土地まで旅しなければならない。それが人口減少の要因の一つです」
「その不便は本官が善処致します故」
「そちらも大感謝してます。ですけど、歯、ですか」
「左様。歯であります」
若干前進的ではあるけど振り出しに戻る。
「正直、作法通りに扇で口元を隠してばかりで、予備知識がほとんどないんですが、歯医者に相談するほどの不具合でしたか?」
「ミーナー嬢のような抜歯を迫られているとか、痛みを訴えてはおりませぬ。ですが、カミーラ嬢の歯は美し過ぎるのです」
「そう、だったかな」
カミーラが口元を隠さないで笑うとメアリーが叱っていた記憶しかない。
「それで、ご自分もあの様な、カミーラ嬢のような歯になりたいと、この処常にそう申しております」
「ご自分ですか」
洋次にとって貴族社会は、他人事でしかない。貴族として最下部の騎士──準騎士が存在するはするけど──と中央の顔が利く代官。
「つまり、チキュウで『ホワイトニング』を希望されているんですね?」
「ホワイト! 稀人様万々歳です。チキュウでは、既に斯様な魔術が確立されていたとは」
「あーーー」
ただいまの決まり手は、突き出しで稀人の勝ち。そんなアナウンスをBGMに、待ったをする洋次。
「ホワイトニングは美容整形と同じで」
「せいけい?」
美容整形。そんな言葉を知らなそうなコンラッド。
「需要の割に安全な対策がないんです。安易な白、脱色は反対します」
「ですが」
「ああ。最近、このパターンが」
衣装店と生地屋のイト。そしてコンラッド。涙ダーダーな男に肉薄されっぱなしの稀人、またの名をモンスターの歯医者さん。
「どうにかして頂きたい」
「コンラッド代官の頼みですから。最大限善処しますけど」
「有難い。では、如何様に美しき白に?」
「その前に、ペネ嬢とお話しと診察できますか。もちろん、コンラッドの同席臨席で」
「では、お待ちくだされ」
「ちょ、ちょっと待って」
「待ちきれませぬ」
仕上がりも見事なコンラッドの衣装。生地が黒なら、どんな名門貴族の執事なんだよって疑いたくなるほどの高級素材の上着のボタン。当たり前に、準宝石を削ったボタンが外される。
喉元の真下の第一ボタン。
「あの、ここは治療室でして」
胸元の第二ボタン。
「こ、コンラッドさん」
少しだけ開いた懐に自分の手を忍ばせる。ゆっくりと出現する灰色の物体。
くっくっ。この形状、鳴き声、サイズ。
「は? 鳩?」
「如何にも」
コンラッドは懐に鳩を忍ばせていた。
「手品師ですか、貴方」
あんたと呼びたい衝動を寸前で回避していました。
「はて、何故に? 鳩は官吏の必需品であります」
「そうで、すか」
大昔。携帯電話なんて存在しなかった。発明されても、通話圏内はとても狭く『レンタル代金だけで十万円』した時代、緊急の呼び出しのために医療や報道、警察消防などの関係者のポケベル携帯は珍しくなかった。
そのノリらしい。
「では、失礼」
「……。そうか、メアリーはコチたちがいたから伝令に鳩が不要だったんだ」
パタパタと微かな羽ばたきを残して鳩が飛び去る。
「ホーローもレームと鳩で連絡しているらしいしなぁ」
「全く、鳩の十匹二十匹は持ち合わせぬと業務にも私生活にも差し障りが御座います。餌や手入れも意外と手間ですがな」
「ですか」
まだまだ洋次はオルキアの住民になり切れていない。そんな一幕だ。
こんな感じで百話。(笑)




