女神アクア
「シュウキ?」
「……俺の居場所じゃない」
ここは、楽園のような場所だった。「悪魔」には似つかわしくない場所だ。俺なんかが居たら、この少女にも、迷惑がかかることだろう。とても、ひとりで住むような場所ではないことは感じ取っていた。ここは、どこかの豪邸か、それとも組織の中のようであった。
「居場所じゃないと思うのなら、しちゃえばいいんだよ!」
「そうはいかない」
そうだ、どうしてこの少女はここまで俺に拘るのだろう。ただの好奇心旺盛なだけなのだろうか。確かに、少女の瞳は嬉々としていて、俺のことを「悪魔」や「厄介者」とは思っていないようには見える。
だが、少女はちゃんと知っている。俺の正体を……。こんなケース、初めてだった。俺は人間嫌いが加速していた為、少女とどう向き合えばいいのか、段々と分からなくなっていった。
「なんで? ここ、AZだよ? シュウキなら、入れるって!」
「AZ……?」
聞き覚えはあった。ただ、俺の想像したものと、それが合致しているかは分からない。
「そう。アクティブゼンラ。略してAZ。水の神、アクア様を祀る戦士が集う場所。ここ、レイガン星の南半球を治めている組織だよ?」
やはりそうかと、俺は内心で頷いた。ここ、レイガン星は北半球を治めている「ゼナードレイク」通称「ZR」と、南半球を治める「AZ」があることは、子ども時代に習っていた。「ZR」の領域を、俺はずっと歩いていたはずだったが、少女のイヤリングの力で、一気に南半球へとやって来てしまったようだ。北半球の人種の方が、気性が荒く、世界自体も荒んでいるところがある。そこは、氷の神「ゼルク」を祀る世界だからかもしれない。
俺の生まれはその、北半球の方だった。南半球の人間と触れるのは、思えば初めてのことだったかもしれない。南半球の人間にまで、俺の名前は轟いているようだが、扱いは別なのだろうか。
「ママに紹介するよ!」
「ちょ……っ」
ペースは完全に少女のものとなっていた。俺は手を引っ張られながら、駆け出す少女に合わせて走らされた。左右には、お洒落な洋風な建物が建てられている。
「あれはね、寮なの。家が無いなら、あそこで過ごすことも出来るからね!」
聞いてもいないのに、少女はまるで俺を施設案内でもするかのように、色々と指で示しながら、駆け抜けていった。とても楽しそうな様子だ。こんな風に人に触れるのも、考えてみればもう何年も無かった。
少女が足を止めた場所は、大きな正面玄関だった。クリスタルのようだが、外から中の様子はうかがい知れない。
「アイルG1。セリナ、ただいま帰りました!」
(アイルG1……?)
どういう組織編制をされているのかなんて、一般人には分からない。ただ、こんな子どもが組織の一端を担っていたなんて、世界とは分からないものだと感じた。もっと、御偉いさん……年配の人が、世界を仕切っているのだと思っていた。北半球もこんな若者が仕切っているのだろうか。だから世界は、ろくに統率もされず、腐りきってしまっているのだろうか。
「……セリナ、隣の男は?」
どこからか、声が響いた。機械を通しての人間の声だ。中からはこちらの様子が見えているらしい。それに気づいて俺はただ、俯いた。
「シュウキだよ?」
「シュウキ?」
機械音の相手は、俺の名前だけではピンと来なかったのだろうか。北半球では、名前だけでも知られていることだが、やはり南半球では少し違ってくるのだろう。しかしそうなると、少女が全てを知っていることと矛盾が生じるため、淡い期待を持つのはやめようと思った。
「そう、シュウキ。ママに紹介するから、一緒に入れてあげて?」
「……」
機械音は黙った。いきなり、見知らぬ男が一緒に来ては、AZとしても対応に困るのだろう。
「俺は帰る」
この場から去ろうとした、そのときだ。痺れを切らしたかのように、少女はクリスタルに向かって叫んだ。
「大丈夫だってば! オウガ、入れて!」
「……分かった」
オウガと呼ばれた機械音の者は、渋々了承したようだ。閉ざされていた扉が開かれる。すると、中は普通のコンクリート式の建物のようで、政府組織らしい景色が広がった。
「ありがと! さ、シュウキ。行くよ!」
(俺の意思はお構い無しか……)
少女は黄色のワンピースを翻しながら、カツン、カツンとヒールの高い靴で床を鳴らしていった。俺はここまで来ては後にも引けず、少女に続いた。
「ここを曲がったら、水の間だから!」
「……母親が居るのか?」
「うん! みんな居るよ!」
少女はきらきらとした笑みを浮かべながら、俺の手を離して扉を開けた。すると中には数人の、自分と同じくらいの背格好の少年が立っていて、その中央にはクリスタルで出来た椅子に腰を掛けた、ワンレンボブスタイルの、如何にも気品がある、透き通るような水色の髪の毛の女性が座っていた。瞳の色は水色に近い青だ。
「ただいま戻りました!」
「セリナ、どういうつもりだ。部外者をいきなり連れてくるなんて……聞いていないぞ」
外ハネ茶髪短髪の少年は、ムスっとした表情で少女を出迎えた。俺のことは、当然のことながら歓迎ムードではない。半眼でややつり目の少年は黒のベストに黒のパンツ姿で、両腕を組んで俺に睨みを利かせていた。それに臆するつもりはないが、特に張り合うつもりもなかった俺は、少年の視線に自分の視線をぶつけながら、ぶっきらぼうに述べた。
「俺も聞いていない。帰ればいいんだろう? 帰るさ」
踵を返してこの場を去ろうとするのだが、セリナは俺の右腕を再び強く掴んで、まるで「逃がさない」とでも言っているようだった。
「シュウキ……そう。あなたが、シュウキなのね」
椅子に腰を下ろしていた女性が、ゆっくりとした仕草で立ち上がった。白のマキシワンピースに身を包み、大変清楚な大人だった。髪の色は珍しいが、染めているようには見えない。地毛でこの色なのだろう。
この星の人間は、二十歳を超えると何故か老化スピードが遅くなる。その為、見た目から年齢を割り出すことは難しい。仕草だけを見ていれば、「大人」であることは容易に計り知れるのだが、どれくらいの年齢の女性なのだろうか。
「私の名は、アクアと言います。はじめまして、シュウキ」
やわらかく、あたたかい声だった。こんなにも温もりのある声で、名前を呼ばれるなんて思いもしなかった。少女、セリナも俺に敵意を持ってはいなかったが、この「アクア」という人物は、俺とは真逆の世界に居るものだと、肌で感じ取った。
(アクア……?)
そういえば、AZが祀っている神の名前が「アクア」じゃなかったか? そうだとしたら、この女性が、AZの神……この星の半分を占める世界を治める者ということだ。
「あなたのことは、伺っています。大変でしたね。これまで、よく生きていてくださいました」
ヒールを履いているにも関わらず、背丈は俺よりやや低い。神は、俺にゆっくりと歩み寄って来た。そして、俺の左腕に視線を向ける。
「長袖をいつでも着ている理由は、そこにあるのですね」
「……あんたも、知っているんだな」
「アクア様……知り合いですか?」
長めのウルフヘアの茶髪の少年が声を掛けていた。その少年の目は穏やかで、つり目の少年よりは、物腰が柔らかそうだ。
「伝えても良い?」
神は、残酷なものだと思っている。
「……好きにすればいい」
だから、この目の前に居る神もきっと……残酷なのだと、思っていた。
「嫌なら良いのです。あなたの意志をもって決めなくては、何事も意味を成しません」
「え……っ?」
この神は、強制はしなかった。ただ微笑み、俺の手を取りそっと握った。色白で華奢で、細く長く伸びた指は、とても女性らしく、「神」と呼ばれるに相応しいとも思えた。
「怖がらないでください。私たちは、あなたの敵ではありません。少なくとも、ここに居る間だけでも、心を休めてください」
そして神は、じっと俺の目を見つめた。
「あなたは、独りじゃない」
澄んだ瞳に、嘘はつけない。俺は、胸の奥底から何かが沸き起こるのを感じた……その、瞬間だった。
「……シュウキ」
俺は……泣いていた。