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 その日、ベルは鏡の前に座り、自分の姿をじっと見つめていた。

 いつもよりも着飾った姿の自分。漆黒のドレスを身に纏った自分の姿は、傍目に見ても綺麗だと思う。

 いつもなら綺麗に仕上がった自分の姿に気分が高揚するのに、今日は気分が浮上することはなかった。むしろ、下降していく。

(とうとう…やって来てしまったわ。今日が…)

 ベルはぎゅっと手を握った。

 今日は夜会の日。そして恐らく、ベルが断罪される日でもある。

(覚悟はしていたわ。だけど、やっぱり…)

 実の兄、それも仲の良かった兄の手によって断罪されるのは、つらい。想像するだけでも胸が張り裂けそうだった。

 こんな調子で夜会に出て大丈夫なのだろうかと思う。取り乱したりしないだろうか、と不安で、不安で堪らない。

(怖い、怖い…逃げてしまいたい…助けて…誰か…)

 ぎゅっと目を瞑って浮かんだのは、不敵に微笑む少年の顔だった。

 ベルに外の世界の話を聞かせてくれた少年。表情が豊かで、ベルが持っていないものを持っている少年。

 そして、ベルを外の世界に連れ出してくれると言ってくれたひと。


「ヴェン…」


 小さく呟いたその名は宙に溶けて消えた。

 彼の名を呟いただけで、不安でいっぱいだった心が軽くなった。

 彼の名はベルにとっては魔法の呪文だった。


「───呼んだか、お姫様?」


 ふわり、と風がベルの頬を撫でる。

 ベルはすぐさま背後を振り返ると、窓に足をかけて不敵に微笑む少年がそこにいた。

 今日は夜会の日だ。いつもより警護は厳重になっているはず。

 なんて、大胆不敵なことをするのだろう。見つかって捕まったらどうするのか。


「ヴェン…どうして…? 今日は来ないでってお願いしたのに…」

「お姫様が不安なんじゃないかと思ってさ」


 ヴェンの台詞にベルはドキリとした。

 まるで、ヴェンは今日何があるか知っているかのような台詞だ。

 でもそんなはずはない。今日起こるであろうことは、ベルしか知らないことなのだから。


「今日は夜会なんだろ? お姫様、最近は夜会に出てなくて、今日は久しぶりの参加だって言ってたじゃねえか。だから緊張を解してやろうと思ってな」


 俺って超優しいだろ、とニヤリと微笑むヴェンに、ベルは知らずに入っていた肩の力を抜いた。

 そしてふふ、と笑みが零れた。


「…ありがとう、ヴェン。でも、自分で優しいって言うのはどうかと思うわ」

「自分で言わないと誰も言ってくれないんだよ」


 少し不貞腐れたように言うヴェンを見て、ベルは再度笑いを零した。

 不思議だ。ヴェンと話をしているだけで、不安でいっぱいだった心が軽くなって、私は大丈夫だと思えた。

(ヴェンは…本当に、不思議なひと)

 こうもあっさりベルの心を解してしまう。まるでなにか、特別な魔法をかけているかのように。


「笑えるなら、大丈夫だな」


 そう呟いたヴェンの表情はとても優しくて柔らかかった。

 そんなヴェンの表情にベルは一瞬、見惚れてしまう。

 ヴェンの顔から視線が外せない。いったい、どうして?


「今日は流石にあまり長居するとまずいから、帰るな」

「え…ええ。わざわざありがとう」

「俺が好きでしていることだから、お姫様が気にすることじゃない。じゃあな、お姫様。夜会がんばれよ」

「ええ」


 微笑んで頷いたベルに、ヴェンは満足そうに笑う。

 そして窓から出ようとして、不意にその仕草を止めてベルを振り返った。

 いつもと違うヴェンの動作にベルは戸惑う。いったいどうしたのだろう。


「……言い忘れてたけど」


 ベルが首を傾げると、ヴェンはベルの顔を見てニカッと笑った。


「今日のお姫様は、いつもよりも綺麗だ」


 え、とベルが目を見開く。

 そのベルの表情にヴェンは面白そうに笑い声をあげて、今度こそ「じゃあな」と告げて去っていった。

 部屋に一人取り残されたベルは呆然とヴェンが去って行った場所を見つめる。

 その時、部屋の扉がノックされて、侍女が入ってきた。


「姫様、そろそろお時間です。……姫様?」


 返事をせずにただ一点をぼうっと見ていたベルに、侍女が不審そうに声を掛ける。

 ベルははっとして慌てて振り返り、侍女に向けて微笑みを作って「わかったわ」と返事をした。

 それなのに侍女はまだ不思議そうな顔をしていた。


「姫様、どうかされましたか? お顔が赤いようですけれど…」

「え?」


 ベルは慌てて自分の頬に両手を当てた。

 その頬はいつもよりも熱い気がした。


「体調が悪いようならば無理をなさらない方が…」

「いいえ。別に体調が悪い訳じゃないわ。だから、大丈夫よ」

「そうですか…?」

「それに、今日の夜会を欠席するわけにはいかないもの」


 今日の夜会は絶対に欠席をしないように、と父から厳命をされていた。

 だから欠席をするわけにはいかない。

 大丈夫だと言い張るベルに、侍女は少し納得できなそうな顔をしながらも、「姫様がそう仰るのなら」と引き下がった。


(…ヴェンのせいだわ。ヴェンが、あんなことを言うから…!)

 ベルはヴェンに八つ当たりをした。

 そうだ、こんなに顔が熱いのも、顔が赤いのも、全部ヴェンが悪い。

『今日のお姫様は、いつもより綺麗だ』

 そう告げたヴェンの台詞がずっと耳の奥に残って、離れてくれない。

 なんだか胸がこそばゆくて、むずむずする。それでいて、もう一度その台詞を聞きたいような気がするのだ。

 自分でもよくわからない感情に戸惑う。

 だけど、ヴェンのあの台詞のお蔭で、ベルの心の中から不安というものがだいぶ薄れた。

 …そのかわり、別のよくわからない感情に戸惑っているわけだが。





 ベルは内心の動揺を隠し、颯爽と王宮内を歩いた。今日の夜会は王宮内で開かれる。

 顔には微笑みを貼りつかせ、漆黒のドレスを翻して堂々と歩くベルの後ろには、ジャンが続く。

 会場に入れば場内のあちこちから注目を浴びているのを感じるが、気にしていません、という顔をした。

 いつものことであるので、いつの間にか本当に気にしなくなっていたのだ。慣れというのは恐ろしい。


 会場内を歩きながらアイリたちを探す。

 彼女たちはとても目立つので、そう時間を掛けずに見つけることができた。

 今日のアイリの姿は、ベルと対照的になるような、真っ白なドレスだった。

 今日のベルのドレス姿も、アイリの姿も、ゲームのスチルで見たそのままの姿だった。

 アイリのその姿を見て、ベルは確信した。

 ───私は今日、断罪される、と。


 アイリの周りには、いつものように取り巻き達が彼女を囲んでいた。

 とても楽しそうに会話をしている彼女たちの輪の中にラウルの姿も見つけて、胸が痛んだ。

 だけどその胸の痛みを無視し、ベルはアイリたちからそっと視線を逸らした。

 きっとベルが公衆の面前に出るのは今日で最後だろう。

 だから胸を張って堂々と、前を向く。

 誰かがもしベルのことを思い出してくれるのなら、その時にベルはとても王女らしい人だったと思い出せて貰えるように。



 色々な人と会話をして喉が渇いたベルは給仕の者から飲み物を貰い、喉を潤す。

 そして飲み物を持ったまま歩いていると、「きゃあ!」とすぐ近くで悲鳴があがった。

 悲鳴に振り返ればそこにいたのはアイリだった。ベルは間の悪いことに階段の近くにいて、その階段の一番下にアイリは倒れていた。

 その姿を見て、ベルは知る。

 とうとうこの時が訪れたのだと。


「姫様! なんてことを…!」

「酷すぎる…」

「アイリに謝罪を!」


 慌ててアイリに駆け寄ったあと、取り巻き達はベルを口々に責めた。

 ベルは何もしていないというのに、なぜベルは謝罪を要求されているのだろう。

 いや、わかっている。アイリがそういう風になるように仕向けたのだ。


「酷い…あたしは、王女様と仲良くなりたかっただけなのに…」


 アイリは瞳を潤ませ、ベルを見つめる。どうやら彼女に大した怪我はないようだ。

 段々と人が集まってきて、何があったのかと囁き出す。

 そしてアイリとその目の前に立つベルの姿を見て、「まさか、王女様が…」「そんな馬鹿な…」と騒めく。

 ベルは彼らを冷めた目で見つめ、「誤解です」とよく通る声で告げた。


「私はたまたま通りかかっただけです。言いがかりをつけないで頂きたいわ」

「言いがかりだと…? アイリは実際に階段から落ちたんだぞ!?」

「私がアイリ様を突き落としたという証拠があるのですか?」


 「なんて白々しい…!」と取り巻きたちが険しい顔をする。

 周りがベルを見る視線も、批判的なものが多い。どうやら完全にベルは悪役と化しているようだ。

 まさに、ゲーム通りの展開だ。


 周囲からこんな風に見つめられることが辛いなんて、知らなかった。

 屈辱で体が震えた。王女としての矜持が、今のこの状況を許してはならないと告げる。

 だけど、どうやってこの状況を覆せばいいのだろう。そんなことはどう足掻いたって出来るはずがない。なぜなら、これは乙女ゲームの物語だから。

 シナリオ通りに進んでいく。シナリオから外れることは決してない。


 ふとアイリの顔をベルが見つめると、アイリはベルを見つめて嗤っていた。

 先ほどまで涙を滲ませていたはずなのに。

 そのアイリの表情にベルはカッとなった。だけど、ここで取り乱したりしたら、完全にベルが悪者になってしまう。そしてなにより、ベルの矜持がそうなるのを許さなかった。

 ベルは必死に怒りを抑え、静かな目でアイリを見つめた。

 アイリはとても満足そうな笑みを浮かべている。そんなアイリの表情に気づいている者はきっとベルだけだろう。


「それでもあなたは王族か!」

「ラウル殿下からも言ってやってください!」


 ずっと黙って成り行きを見守っていたラウルに白羽の矢が当てられた。

 ラウルは表情を変えず、ベルを見つめた。

 ラウルとベルの視線が交じり合う。その時、ほんのわずかにラウルの瞳が揺れた。

(お兄様…?)

 しかし、ラウルはすぐにそれを上手に隠し、無機質な瞳をベルに向けた。



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