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彼はしっかりとベルを抱えているのだが、風が吹くたびにぶらんぶらんと体が揺れ、そのたびに落ちるのではないかという恐怖が沸き起こる。
なんとか気絶せずに飛空艇まで上り、彼の足が飛空艇の上に乗ったのを確認して、ふう、と息を吐いた。正直、生きた心地がしなかった。
彼はベルを脇に抱えたまま、歩き出す。
「下ろして…!」と抗議の声をあげるが彼はそれを完全に無視し、すたすたと慣れた様子で船内を歩いていく。
そして彼が足を止めたのは、とある船室の一角だった。
「船長、戻ったぜ」
「お帰り、ヴェン。取りあえず、お疲れ様。収穫は?」
「ナシ。目当てのモンは見つからなかったぜ。確かな情報なのか?」
「そうか…まあ、とりあえずそれは置いておこう。ところで、その脇に抱えているお姫様は?」
「あぁ…これ」
思い出したかのように彼は自分の脇に抱えるベルを見つめた。
明るい船内で見た彼の髪の色は限りなく黒に近い紫色で、その瞳は濃い緑だった。
まるで深い神聖な森のような瞳。だけど、どこか親しみやすく感じるのは、その瞳が表情豊かだからだろうか。
「逃げてる途中で拾った」
なんとも簡潔なヴェンと呼ばれた少年の回答に、ベルは拾ったはないでしょう、と抗議をしたい。拾われたくて拾われたわけではないし、拾われたつもりもない。どちらかというと、無理矢理連れて来られた感が強いというのに。
「拾った、ね…随分大きな拾いものだな」
「まぁな」
「……あの。いい加減下ろしてくださらない?」
ベルはようやくそれだけ言えた。
ヴェンは「あ、わりぃ。忘れてたわ」と言って無造作にベルを下ろした。あまりに無造作過ぎて、ベルは思わず転びそうになったのを意地で堪えた。この人の前で無様な姿を見せたくないと強く思ったのだ。
しっかりと立ったベルを見て、船長と呼ばれた青髪の男装の女性が目を見開く。そして恭しく頭を下げた。
「これは、これは…。あなたは、王国の宝と名高いベルナルデッタ姫ですね」
「ええ、そうですけれど」
「部下の不作法をお許しください。こいつは頭の弱い猿でして、あなた様がベルナルデッタ姫だとは気づいていなかったのです」
「はぁ? こいつがお姫様?」
ヴェンが隣に立つベルを疑わしそうに見つめた。その様子にベルはムッとする。
生まれてこの方、王女として育ったのだ。どこからどう見てもお姫様に見えるように育てられたのに、疑われるとは誠に遺憾である。
「この馬鹿猿!」
「いて!」
船長が思いっきりヴェンの頭を殴った。ぐーで、である。ヴェンは殴られた部分を押さえうずくまる。とても痛そうだ。
「私たちは誘拐なんかには手を出さないホワイトな盗賊団なんだとわかっているのか。おまえのやったことは誘拐だ」
「…盗賊団っていう時点でホワイトじゃねぇだろ…」
「お黙り」
ゴン、ともう一発ヴェンの頭を船長が殴る。ヴェンは声に出さずに呻いている。
その様子にベルは意地悪く、いい気味だわ、と思った。
「うちの馬鹿猿が重ね重ね無礼をして申し訳ありません。ですが、姫様には我らのことを忘れて頂きたいのです」
「はい…?」
(黙っていてほしい、ではなく、忘れてほしい…?)
「姫様、私の目を見てください」
船長の言葉の誘導されるかのように、ベルは船長の目を見つめた。
そして、船長の紫色の瞳が赤く染まる。
「姫様は私たちの事を忘れるのです」
そう船長が囁き、船長の瞳の色が元の紫色へ戻っていく。
船長はゆっくりと瞬きをし、私を見つめて驚愕した表情を浮かべた。
「…なぜ、私の魔法が利かない…?」
「魔法…?」
ベルが首を傾げると、いつの間にか立ち直ったヴェンがベルの腕を掴む。
「船長の魔法が利かないってことは…あんた、人と違うだろ?」
「え…な、なんのこと…」
「…まあ、誤魔化すのが普通だよな」
ヴェンは苦笑いをして「見てろ」と手を翳した。
何をする気だろう、とベルはじっとヴェンの手を見つめた。
するとヴェンの手にぽっと小さな炎が生まれた。ヴェンの属性は火なのか、とベルが思ったその時、ふわっとベルの髪が舞い踊った。
え、と目を見開くベルにヴェンはニヤリと笑ってみせた。
「普通の人は、一人に付き一属性の魔法しか扱えない。だけど俺は火と風の魔法を扱える」
「え…」
(あり得ないわ! だって…複数の属性を扱えるのは…)
「複数の属性を扱えるのは魔族のみ、ってか?」
「な…んで……?」
「あんた、考えていることが顔に出てるぜ? そんなんでよくお姫様やってられるなぁ」
うるさいわ! と怒鳴りたいのをぐっと堪えた。
考えていることが顔に出る、とは色んな人から言われていた。今は考えていることが顔に出ないように努力している最中なのだ。放って置いてほしい、と思う。
「俺は魔族の末裔だ。だから二つの属性を扱える」
「私もそうだ。この船に乗っている奴らは皆、魔族の血を引いている」
「魔族の血を…」
ベルは呆然として二人の話を聞いた。
『魔族』とは、かつてこの世界の半数を占めていた一族だ。その名の通り、魔法に長け、普通の人が一属性しか扱えないのに対し、彼らは一属性以上の魔法を扱えた。
『魔族』と『人間』は仲良く暮らしていたが、『魔族』が崇める女神が『人間』の崇める神に反逆を起こし、それに伴い『魔族』も『人間』に対して攻撃をし始めた。
その戦いは激しさを増し、最終的には『人間』の崇める神が勝利を収め、『魔族』はいつの間にか消えてしまった。
というのが一般的に伝わる伝承である。『魔族』は悪者で、『魔族』がいなくなった今でも『魔族』に対する差別と嫌悪感は未だ根強く残っている。大昔の話であるにも関わらずに。
たまに見つかる『魔族』の末裔の子たちの運命は悲惨だ。『魔族』だと判明されると即座に牢獄行きで、運が悪ければその場で殺されることもままあることだった。
だから『魔族』の末裔たちは自分たちが『魔族』の血を引くことを隠す。
ベルも、そのうちの一人、だった。
「…どうして、魔族の末裔が盗賊団に…?」
「夢を実現させるためさ」
船長は先ほどまでの丁寧な口調をやめ、ヴェンと話すのと同じ口調でベルの質問に答えた。
「私には夢があってね。魔族の末裔であることを隠さず、堂々と歩ける世界を作りたいという荒唐無稽な夢が。それを実現させるために、我らがご先祖様が遺した魔石を集めることにしたのさ」
「魔石…?」
「いわく付きのジュエリーや宝石。それらはたいてい魔石と呼ばれる、魔族しか扱えないものなんだ。その魔石にはとてつもない魔力が秘められていると云われている。魔石がいわく付きと言われるのは、その巨大な魔力のせいだ。そんな魔石を集めれば、私の夢も叶うのではないかと考えている」
「どうやって?」
「それは仲間ではない貴女には教えられないな」
そう言われれば黙っているしかない。ベルはぎゅっと唇を噛んだ。
ベルは王族だ。王族であるベルが魔族の血を引いていると分かれば、それは国を揺るがしかねない大事になる。それだけ、魔族に対する風当たりは強い。
こっそりと母であるエンカルナに呼び出され、決して一つの属性以外の魔法を使ってはならないと説明を受けた時のあの、なんとも言えないもどかしさ。
別に悪い事などしていないのに、ただ魔族であるというだけで、まるで化け物のような待遇を受けると知った時の衝撃。
恐ろしくて、そしてとても悲しかった。
堂々と自分を偽らずにいられる世界があればいいのに、と思っていただけに、船長の夢というのはとても素敵だと、叶えられればいいと思った。
そして自分にその手伝いができたら、とも思ったのに。
「…じゃあさ、お姫様も俺たちの仲間になっちゃえば?」
不意にヴェンがそう呟き、ベルは顔を上げた。
ヴェンと目が合うと、彼はニッと笑った。
「お姫様が仲間になれば、船長も教えてくれるんだろ?」
「…まあ、そうだが…。お姫様を仲間に、か……その発想はなかったな」
船長は考え込むように目を閉じ、そしてフッと笑みを浮かべた。
「どうだろうか、ベルナルデッタ姫。我らの仲間になるというのは?」
「え…あの、私…」
「貴女にも立場があることはわかっているし、無理に仲間になれと言うわけでもない。ただ、貴女の今置かれている状況は私の耳にも届いている。逃げたいのなら、私たちが貴女のお手伝いをしよう」
「……どうして…? どうして会ったばかりの私にそんな親切な提案をしてくれるの?」
「同族だからだ」
そう言い切った船長の瞳はとても優しい色を宿していた。
「同族だからこそ、貴女のもどかしい気持ちや、後ろめたい気持ちがわかる。私は、そんな貴女の助けになりたい」
「船長……私」
「ああ、すぐに結論を出すべきではない。ゆっくりと考えるといい。そして、結論が固まったら、私たちを呼んでくれ」
「………」
温かい船長の言葉がじんわりと胸に滲みた。
最近は辛い事ばかりだった。だからこそ、余計に船長の優しさが滲みる。
「ああ…そうそう。自己紹介がまだだった。私の名はマーレ。そしてこの猿はヴェンという。他にも仲間はいるが…貴女が正式に仲間に入ってから紹介しよう」
そう言ってマーレが優しくベルの肩を叩いた。
「この猿に送らせるから今日は帰りなさい」
「はい…」
「人を猿猿連呼すんなよな…」
ぼそりと呟いたヴェンの言葉にマーレはただ笑みを浮かべただけだった。
そんなマーレの様子が気に入らないのか、ヴェンは眉間に皺を寄せてマーレを睨む。
「貴女の出す解答、楽しみにさせて頂く」
それではごきげんよう、ベルナルデッタ姫。
そうマーレが告げると、ヴェンがベルの手を引っ張り歩き出した。
ベルはマーレに会釈だけしてヴェンに引っ張られるまま歩いた。