オプタルト ノーデ
「待って」
気づいたらここにいた。見ていられなかった。メルクとお姉ちゃんがキスをしているのを。思わずお皿を取り落としてしまった。わかってた。それくらい。妹だから。頑張って諦めようとした。でもできなかった。頬を一雫の悲しみが流れ落ちる。一雫の後悔が流れ落ちる。私がお姉ちゃんに勝てないってことくらいわかってた。でも少しだけ、ほんの少しだけ、希望を持ったっていいじゃない。少しだけ、ほんの少しだけ、期待したっていいじゃない。初めて会った、あの砂浜から月を眺める。空は私の気持ちとは裏腹に雲一つない夜空。でも幸いなことに月は出ていなかった。海に写った泣き顔を見なくて済むから。
「はあ……帰りたくないなあ」
つぶやいてみる。ひょっとしたらメルクが聞いて、駆けつけてくれる。少しだけ……本当に少しだけ、そう期待してた。
「カリン?」
扉が開く音を聞き、メルクがエレンの部屋から出るとそこには床に散らばった沢山のカップケーキ。キッチンにもカリンの部屋にもその姿はない。
「まさか……」
それからメルクは町中を探した。しかしカリンの姿を見つけることはできなかった。
「私のせいだ、私のせいだ……」
「落ち着け、カリンの居場所に心当たりはないか?」
「私の……私の……」
メルクがいくら話しかけてもずっとこの調子である。とうとう業を煮やしたメルクがエレンのあごをつかみ、強制的に自分の方を向かせる。
「おい、いい加減にしろ!カリンがいなくなって不安なのもわかる。でもそうしてたって何も変わらないだろ。何か手がかりがあるなら言ってくれ……心配なのがお前だけだと思うな」
優しく、されど厳しく問い詰める。自分だけではない。それは人にとって最も落ち着く言葉なのではないか。メルクがそれを意図していたのかどうかはわからないがともかくエレンは一時的に落ち着きを取り戻した。
「……うん、心当たりならある」
「本当か!」
「この町にある二つの勢力、保守派と改革派のことは知ってる?」
「ああ、カリンから聞いた」
それなら話は早いね、とエレンは隣の一番上のチェストを開ける。メルクはその中を覗き込むが特に変わったものは入っていない。しかしエレンはそれを一度閉じ、取っ手を九十度回し、もう一度開ける。すると中にはドラゴンを象ったブローチが入っていた。
「二重底になってたのか」
「今日うちに保守派の人が来たでしょ?あれも私達が普通の人だったらあそこまでの暴挙には出ない。でも全部これが原因」
「このブローチに何かあるのか?」
「このブローチは魚人族の始祖……アリエルのもので、私達はその直系だと言われているんだ、それでこのブローチにはその力が込められているってわけ。この町……というか魚人族はみんな伝説とかしきたりを重視する傾向にあるからそんな始祖の直系が人間の男と一緒に暮らすなんて……ってこと」
言われている、それは確証が無いのと同時にエレン自身がそれをよく思っていない、それを表す言い方だった。しかし伝説を重視するならそう他の魚人が思うのはメルクにも理解できた。しかしそれではカリンが行方不明なことの説明がつかない。
「それでね、その伝説の一つに十年に一度、月のない夜に巫女の血を捧げよ、っていうのがあって、それで……」
「それってまさか……」
「うん、早い話が生贄だね、でも改革派はそんなの馬鹿らしいって言ってるんだけど保守派はまだ続けるみたい」
「それでエレンの代わりにカリンを使おうってのか?くそっ」
思わず悪態をついてしまう。くだらない儀式のために人一人殺すなんて馬鹿らしい。メルクはそう思った。しかし本気で伝説を信じている者達にとってはこれまで何十年、何百年と続け、安泰を保ってきたものを今更やめることなどできないのだろう。
「今すぐカリンの所に行く。場所を教えてくれ」
「私も連れて行って」
「はあ?お前何言って……」
エレンは今体もまともに動かないはずだ。
「私がカリンの所まで案内する。祭壇までは入り組んでいてメルク一人じゃ無理だよ」
「そこを右」
エレンを背中に背負って走る。極力負担をかけないように、しかし速度は目一杯だして。
やがて二人はこぢんまりとした建物に着いた。見た目はそこらの家とほとんど変わらない。しかし中に入ってびっくり、そこから下へと続く階段が延々と延びていた。
「この下……なのか?」
背中でエレンが頷く。メルクは覚悟を決めて勢いよく階段を駆け下りた。
はるか下に光が見えた。その明かり目指してさらに脚に力を入れる。
「ねえメルク」
「ん?」
「私は姉としてうまくやっていけてたかな?カリンには秘密にしてたけどそれが結局裏目に出てる。私は……いいお姉ちゃんでいれたかな?」
「それは俺じゃなくてカリンに聞いてくれ。でも……俺はいい姉だったと思うけどな」
「そう、それが聞けたら十分」
階段から抜けた。すっかり暗闇に慣れていた目は突然の閃光に適応することができずに目がくらむ。時間が経つにつれ少しずつ辺りの景色が見えるようになってきた。広い部屋だった。特筆すべきは一面真っ赤に塗られた壁と部屋の中央に置かれた直方体の台座。その上にカリンが横たわっていた。
「カリン!」
エレンが呼ぶが返事はない。
「この娘には魚人族の安泰のための礎石となってもらう。
「貴様か、神聖な魚人族の地に土足で踏み入った地上人は」
どこからか声が聞こえた。この部屋にはメルクとエレン、そしてカリンしかいないはずだ。そしてその声の主は……
「カリン……なのか?」
口を動かしているのは確かにカリンだ。しかしそこから出る声はカリンのものとはかけ離れた低い、禍々しい声だった。
「我は水の精霊王、古よりの盟約に従い巫女の血を捧げよ」
「精霊王様、その体は私の妹の体、どうかお返しください」
「思い上がるな、人魚よ、お前達の繁栄は我の力あってこそのものだ。その恩を忘れたか」
「っ、しかし……」
エレンは悔しそうに唇を噛む。その間にもカリンの中の精霊王は水でナイフを作り出し、その胸に突き立てようとしていた。それを止めようとメルクが背中の剣に手をかけたその時、エレンが再び口を開いた。
「ならば私を使ってください」
「エレン?」
「巫女の血が必要ならば、私の血を使えばいい。元よりその役目は私のものです」
エレンの瞳を見てメルクは悟った。エレンがこの結論に至るまでにどれだけ悩み、苦しんだか、だから軽々しくその覚悟に水を差すことなどできるはずもなかった。そしてエレンがこれから何をしようとしているのかも。
「今までカリンにも苦労をかけたし、カリンには私みたいな思いはさせたくないから」
エレンはあのブローチを取り出す。
水魔法の特質は封印。風魔法の治癒と同様、その魔法のみが持つ最大の特長。それに加えアリエルの強力な魔力が宿ったブローチを合わせれば精霊王と張り合うことも可能だろう。しかし確率は五分。ましてエレンの命の保障など何処にも無い。
エレンはブローチを髪につける。するとブローチが淡い光を放ち始めた。
「貴様、永きに渡り魚人に繁栄をもたらしてきた恩を忘れたか!」
エレンはゆっくりとカリンに歩み寄る。
「……」
メルクはエレンに何か言葉をかけようと口を開く。しかし何と言ったらよいかわからず、つぐむしかなかった。エレンは振り返り、悲しそうにー少なくともメルクにはそう見えたー笑い、カリンに触れる。
カリンの中の精霊王がエレンの体を通してブローチに吸い込まれてゆく。
「くっ、人魚め!このままでは終わらせん!」
そう捨て台詞を残し、カリンからは完全に消えた。エレンがほっと一息つき、ブローチを外そうとしたその時、エレンの体に莫大な魔力が流れ込んできた。
「え?何?あ……あがっ……」
エレンはカリンから自分の肉体を通してブローチに精霊王を封じていた。その際に精霊王の魔力の欠片がエレンに残ってしまったのだ。あまりにも強力すぎるそれはエレンの体を蝕み、その肉体は負荷に耐え切れず崩壊を始める。
「エレン!」
メルクに躊躇っている暇はなかった。エレンの体は精霊王の魔力によってみるみる肥大、変貌していた。それは見る間に部屋を飲み込んで行く。メルクはカリンを抱え、全速力で階段を駆けた。
元はエレン……だったそれ地面を突き破り、町を破壊した。触手を振り回し、家々をなぎ倒し、暴れた。
「それから町の人達が総出でその怪物……クラーケンを封じたの。それでも町は半分くらい壊されちゃったけど。……まあ最後の方はメルクから聞いただけだけどね」
「じゃあさっきのクラーケンは……」
ソフィアも、エリーも、ククも顔を真っ青にした。あれが元はカリンと同じ人魚だった、なんてにわかには信じられない話だ。しかし……それは紛れも無い真実だと、あの写真が語っていた。
「私、お茶淹れてくるわね」
「それにしても……本当に精霊王というものが実在するなんて……」
ソフィアが呟いた。
「私、伝説の中だけだと思ってました」
ククも相づちを打つ。
「そういえばメルクのあれはなんだったんだ?」
エリーが言っているのはメルクとシルのキスのことだろう。精霊王を倒したのだ。それにこんな話の後でもある。気になって当然だろう。
「それも精霊王だよ」
不意にメルクの方から声がした。三人が声の方向を見るとそこにはあの時の、メルクとキスをしていた少女がいた。
「き、君は……」
「私も君たちの言う精霊王?ってやつだよ。だからあのクラーケンも倒せた」
しかしその少女は先程の話に出てきた精霊王とはまるでかけ離れた姿、態度だった。見た目は一言で言うならふわふわしている、風を体現したような姿に空色の瞳に髪。先程のような重々しさや横柄な雰囲気は無い。
「あなたが精霊王様、ですか?」
ソフィアも目を丸くして見ている。
「そ、でもそんなにかしこまらなくていいよ、精霊王って人間達は言うけど別に王様ってわけじゃないから」
「え?精霊王って言うからには精霊の中で一番偉いってことなんじゃ?」「あれ?じゃあさっきのも精霊王?あれ?」
ククもエリーも色々とごちゃごちゃになっているようだ。それも仕方がない。人間の常識では王は一人だからだ。
「王って言うからごちゃごちゃになるんだよ。うーんと、そうだな……そうだ、精霊王ってのは階級の名前なんだよ。君達が聞いたのは水の精霊王、私は風の精霊王。だから他にも水の精霊王はいるし風の精霊王も同じ」
「ま、まあ何とか……」
「それで、あなたはメルクさんとどういう関係なんですか?」
理解が追いついていないエリーとククを置いてソフィアはどんどん話を進める。
「そうそう、それが言いたかったんだよ」
シルはその場でふわりと一回転してベッドの端に座った。
「精霊王に限らず精霊ってのは概念の存在だから何か器がないとこの世界に居続けることはできないんだ。普通の精霊なら魔力っていう即席の器でも十分に力を発揮できるんだけど精霊王クラスになるとそれも厳しくなってくる。だから普通は何か別の物を器として使うんだよ、武器とかね。でもメルクは自分の体を直接器に使ってる。で君達が聞いた通り、精霊王の魔力は人間には耐え切れないから魔法を使う度に私から魔力を口移しで受け取ってた」
「それがあのキスの正体ですか」
「うん。それでもメルクの体には負担がかかりすぎるんだよ。メルク……と言うか精霊以外は魔法の負担をフィードバックする肉体があるからね」
「し、じゃあメルクさんは自分の命を削って……」
「ここからが本題。メルクにこれ以上私の力を使わせないで」
「それはさっきの負担が大きすぎる、ということに関係が?」
「うん、もうボロボロだったのに今回の戦闘で相当無理に魔力を使ったから……これ以上使うと……多分メルクは死ぬ」
ごくり、と全員が唾を飲んだ。あの飄々として余裕をかましているメルクが死ぬ、それは全員に等しくショックを与えた。
「ククー、オコロンのエキス取って」
「はい」
ククは懸命に手を伸ばすが棚が高くて届かない。
「ほれ」
不意に頭上から声がし、同時にコツン、と頭にビンがぶつかった。
「メルクさん、もう起きてもいいんですか?」
背後に立っていたのはメルク。ビンを受け取りながらククはたずねた。
「まあな、それより腹減ったよ、飯よろしく」
「えー、もう出発するんですか?」
食事が一段落つき、メルクは明日にはアクランタを出発する旨を告げた。
「まだここに居たい気持ちもわかるけど火の国に俺の魔法を見られてるだろうからな、多分じきにここにも追っ手がくる」
「だからって何も明日にしなくても……」
ククがゴネる気持ちもメルクにはわからないでもなかった。物心ついてからずっとフライハイトで過ごしてきたククにとってはここは初めて心から安らぐことのできる場所だからだ。メルクとしてはククをここに置いて行ってもいいのだがこれ以上カリンに迷惑をかけるわけにはいかないし、何よりククが聞かないだろう。
「メルクならそう言うだろうと思ってもう手配はしてあるわよ」
「最後まで迷惑をかけるな」
カリンがメルクに手渡したのは船の運航許可証。行き先はアクランタ、と書いてある。
「あの時みたいに突然居なくなったりしたら嫌だからね」
「それは悪かったって、でも結局捕まったじゃねえか」
「そうね、あれは何としても手渡したかったから……」
「メルクさん、あれ、とは何ですか?」
ソフィアが割って入ってきた。
「ほら、お前らが着たポンチョ。あれはカリンがくれたものなんだよ」
「そ。私とお姉ちゃんで作ったの。あれには水除けの魔法がかかってたんだけど……役に立ったみたいでよかったわ」
そうして時は流れ、あっという間に翌朝、出発の時間は訪れた。カリンに案内されてやって来たのは船着き場。その一角にメルク達の船はあった。四人乗るには十分な大きさ、いや大きすぎるくらい上等な船だった。
「カリンさん、短い間でしたがお世話になりました」
皆を代表していソフィアがお礼を言う。その他のメンバーは積荷の手伝いをしていた。
「うん、私は行けないけど……メルクをお願い。オプタルト ノーデ」
そう言って左手を自分の胸に、右手の平をソフィアの方に向け
「お、オプタル……?」
ソフィアはカリンの口から出てきた聞き馴染みのない言葉に思わずおうむ返しになっていないおうむ返しをする。
「旅の安全と成功を祈るっていう……おまじないみたいなもの」
さて、積荷作業も終わり、いよいよ出発、という時、メルクはカリンに声をかけた。
「なあカリン」
「何よ」
「伝説、間違ってたな」
いや、カリンは知っていた。人魚と地上人のキスの伝説。メルクは間違いだと言うが半分は合っていることを。メルクは目覚めてから一度も精霊草を口にしていない。カリンは依然人魚のままだが。
カリンは不機嫌そうにパシャン、と水面を足で叩いた。どうせなら逆がよかったのに。そう思わずにはいられなかった。メルクもそれを知っていてわざわざ半分は合っていることを隠しているのだろうが。
「私、初めてだったのに……」
「まあそう気を落とすなって、ほら、あれは無かったことに……」
言いかけたメルクをこれまた足で海に叩き落とした。
「な、何すんだよ、俺今精霊草食ってないんだぞ?」
「バカ」
「て、てめえ……」
「メルクさーんそろそろ出発しますよー」
「じゃあ行くわ、また来るよ」
そう言うが早いか船に飛び乗った。
「……待ってるから」
メルクの位置からでは逆光で顔は見えなかった。しかしそれでよかったとカリンは思う。別れの瞬間に涙など見せたくはなかったから。
「まさか、有り得ません、それは伝説の産物なんですよ?」
火の国の城内。昼下がりの大図書館にユイの声が響いた。
「静かにしろ、伝説であろうと、そうでなかろうとどちらにしろあれに今のままでは勝てん」
つい先程シュウに風の王族の殺害命令が下った。それはあのクラーケンを倒した者と戦うということを意味する。それにはさらなる力、つまり精霊王の力が必要だ、そうシュウは考えたのだ。そのとっかかりにでもなればと図書館に足を運んだ訳だが有用な情報は得られそうにない。諦めて図書館を後にしようと立ち上がった時、
「ようシュウ、どうしたんだ?」
そう声をかけてきたのはタケル ミカド。第一大隊長で、シュウの恩師でもある。シュウが答えようとすると、
「ああ待て言うな言うな、当ててやるから。えーっとそうだな……次の任務で戦う敵が強いからもっと力が欲しい、そんなとこだろ?」
「よくわかりましたね」
「そりゃお前は俺の愛弟子だからな。その愛弟子にアドバイスだ。この城の地下宝物庫に精霊王が宿った槍がある。それを使えばあるいは……」
「地下宝物庫……ですか?」
「ああ。一度は行ったことあんだろ?あのくっだらねえガラクタの山が大量に置いてあるところだよ」
タケルはそう言うが地下宝物庫は地上にあるそれとは比べものにならない価値の財宝がある場所だ。大隊長クラスになると入る権限はあるものの、シュウは一度も入ったことはない。
「ま、行ってみることだな、じゃ、俺は行くわ」
タケルは図書館から出る。何の変哲もないタケルの背中。しかしユイは不思議と寒気を感じた。いや、それは悪寒と言っても良かったのかもしれない。
どうも!最近は夏だというのに肌寒いですね!私はもう毛布を出しました。でも出したら出したで暑いんですよねー、まあそれはともかく、もう8月も終わり、9月です。私は季節でいうと秋が一番好きです。暑くもなく、寒くもなく、花粉に悩ませられることもない。あ、花粉といえば凄い花粉症なんです。特に鼻水が酷くて……くずかごがすぐにティッシュでいっぱいになります。ホントどうにかしたいです。
ちなみに短編も出しました、暇があれば覗きに来てくださいね!ではまた!