深淵の底で
渓谷は大陸を二分しており、リムルがそれに橋を架ける形で東大陸と西大陸を繋いでいる。リムルが発展した理由もそれだ。両大陸をいききするには海路を使うか、リムルを通るしかない。
「本当にこの下に行くんですか……?」
ククは底の見えない深淵を覗き込んだ。渓谷は簡易な柵がかかっているだけで乗り越えようと思えば簡単に乗り越えることができる。
「魔法で降りるしかないな」
「私に任せてください」
ククの首筋から牙を外し、口元を拭うとアリサはソフィア達の胸に順々に目を触れ、そして口元で何事か唱えた。すると全員の体が重力に逆らってふわりと浮かび、そのまま谷底へゆっくり降下を始めた。
「それにしても本当にこの下にエルフがいるとは思えんがな」
既に視界も閉ざされ、遥か上空に谷口の光がおぼろげに見える。そんな中でシュウは誰ともなしに呟いた。
「そうですね、エルフ族って森の中にいるものかと思ってました」
その呟きをククが拾い上げる。
「でもこの暗さでよく暮らしていけますね、もう自分の手も見えません」
「エルフ族は未だに謎が多い種族ですから。我々が知らない生態をしていても不思議ではありません」
だがただ一つ、エルフ族について確実と言える情報がある。それはエルフ族はその他の種族を軽蔑し、嫌っているということ。だから突然現れたソフィア達を攻撃してくる可能性も低くはない。もしそうなればいくらアリサやシュウがいるとはいえ逃げ場のない渓谷の底だ。全滅は免れないだろう。
「先ほどの森の話ですが……」
ふと思い出したようにアリサが口を開きけたその瞬間、胸を直接握りつぶされるかのような感覚が全員を襲った。
「気をつけ……」
何とか絞り出したシュウの声すら終わらないうちに今度は強烈な風が足元から吹き荒れた。それに煽られソフィアはバランスを崩す。
「く……やはり……」
アリサの呻きを耳の端で捉えながらソフィアはへその下あたりがふわりと浮くような気持ちの悪さを覚えた。どこかで感じたことのある感覚。
「落ち……てる?」
そう。重力のままに落下して行く時のあの感覚だ。ということはアリサの魔法が途切れたということ。慌てて周囲に首を振ってみるが自分の体すら見えないのだ。見つかるわけもない。
仕方なく魔法で落下を止めようと精霊に呼びかける。だが周囲の風精霊は一向にソフィアの声に耳を傾けようとはしない。より強大な魔力がどこかにあるのだ。
「エリー!クク!」
果てのない虚空に叫んでみるが返事は返ってこない。
「アリサさん!ユイさん!」
手足をばたつかせるが指の先が触れるのは冷たい空気ばかり。
「シュウさん!」
もしかしたらここで自分は死ぬのだろうか。ソフィアは頭の片隅でちらと思った。
だがそんな考えは頭を振って無理やり外に追い出す。何のために自分は今まで生き延びてきたのだろうか。何百、何千もの死体の上に立っている命。その重みを、そうまでして自分の命を繋げてきた人たちの思いを心に刻みつけた。
「……私は、こんなところで死ぬわけには……」
大丈夫。
耳元で何かがそう呟いた。誰か、ではなく何か、だ。人ではない、獣人でも、人魚でも、吸血鬼でもない。何か。
「……いきません」
頬を暖かい風が撫ぜる。とても心地のいい風だ。まるで母親の腕の中にいるような。
地面はとても柔らかい。干したてのほんのり太陽の香りがするベッドのようだ。
ソフィアは寝返りを打った。途轍もなく眠い……眠るまで一体何をしていたのか、思い出せない。大好きな兄と遊び、大嫌いなお稽古の数々をこなし、エリーに愚痴をこぼしたり……
そんなソフィアが思い描いた幸せな光景に突然火が入り、次々と炎の中に呑み込んで行った。鼻をつく肉が焼ける臭い、崩れ去る家屋の断末魔。
「……!」
途端に微睡んでいた脳が一気に覚醒し、ソフィアは跳ね起きた。
「こ、ここは……?」
ソフィアが体を横たえていたのは柔らかい蔓草を編んで作ったベッドの上だった。全面木造りの壁に開けられた穴からは柔らかな陽光が射し込む。
だがそこにいたのはソフィア一人だけで他の仲間の姿は見えなかった。
「目を覚ましたか、人間」
入り口から人影が姿を現した。手に持ったお盆の上にはドロリとした緑色の液体がたたえられている。
「あなたは……エルフ……」
彼女の耳はソフィア達人間のものより外にせり出ている。話に聞くエルフそのものの姿だ。
「私たちに何の用だ」
「それは……」
ソフィアははっと辺りを見渡す。だがそこに仲間の姿はなかった。
「エリー達は!エリー達はどこにいるんですか!」
ベッドから飛び起きてエルフに詰め寄る。溢れた液体が床に緑色の染みを作った。
「……これだから人間は。傲慢で自分たちのことしか頭に無い」
不思議な力がソフィアの自由を奪い、壁に縛り付けた。
「ここに来た訳を言いなさい。回答次第によってはあなたの仲間の命は保証できません」
「……っ!」
力の限りもがいてみても圧倒的な力の前に指先一つ動かない。
「勘違いしないように。あなたは少し特殊な体質だったのですぐには拘束しませんでしたが……」
エルフが僅かに指先を動かす。するとソフィアを縛り付ける力がさらに力を増し、喉を塞いだ。
「お前達下等種族如き、いつでも殺せるんだよ」
「やめないかリヴィア!」
指先や頭が痺れてきた所でエルフの男が部屋に飛び込んできた。途端に首を握りしめていた何かが消え、ソフィアは床に崩れ落ちた。
「私は人間が嫌いです」
リヴィアはそう言うとそっぽを向いてしまった。
「僕はクルト、彼女はリヴィアだ。すまない。同胞が失礼なことをした」
クルトはソフィアの手を取って助け起こした。
「だが我々も里を、仲間を守らなくてはならない。ここは理解して目的を話してくれないか」
「……私たちは……」
ソフィアは湖の国と火の国が戦争を起こしかけているということ、そしてその調停を頼みたいことを話した。
「戦争の調停、か……」
「私たちに貴様ら人間の薄汚い争いの尻拭いをしろと?笑わせるな!」
「ですが……!」
「我々は代々他の種族とは関係を絶ってきたんだ。だからその願いは聞けない。
「まったく、やはり人間は傲慢です。あの時もそうでした」
「あの時?」
「以前にもこの里に人間が来たことがあってね、名前は確か……」
「メルク ハインライン」
「そうそう、そんな名前だった」
聞き覚えのある名前だった。だがあまりに突拍子もなさすぎてしばらくの間反応できず、聞き流してしまっていた。
「メルクさんもここに来たことがあるんですか!」
「あれ、知り合いだった?そういえばあの約束のこと、覚えてる?」
クルトがリヴィアを振り返ると彼女は顔を真っ赤にして拳で壁を殴りつけた。
「忘れられるわけがないでしょう」
どうも皆さん、お久しぶりです。
更新を二ヶ月程サボってしまったことを深くお詫び申し上げます。
え?なぜかって?ほら、年度末じゃない?まあ、特に何をしてたわけでもないんですけどね。
ともかく、これからは毎月欠かさず更新していきたい所存です!
愛想つかさないでね




