少女の過去と今
いつの間にか雨は止み、代わりに辺りには濃い霧が立ち込めていた。そんな中を果たしてどれほど走ったろうか、もう足が棒のようで一歩も歩けそうにない。それはソフィアも同じようで、近くの木にへたり込んでしまっていた。
それにしても、私達に『逃げろ』と叫んだ後、メルクは確かに剣で魔法を切っていた。あれはなんだったのだろうか。何かの魔法か、それとも……
「エリー、大丈夫ですか?何だかぼーっとしているようでしたが」
「す、すみません、あの、頭は大丈夫ですか?」
「はい、もう大丈夫です。これを握っていたら大分楽になりました。二人には迷惑をかけてしまいましたね……」
ソフィアは例のロケットを握りしめ、申し訳なさそうに俯く。
「いえ、私も、あの男も迷惑になど思っていません」
「そうですか、ではここでメルクさんを待ちましょう」
それから20分後、ソフィアは木の根元で寝息を立てていた。よほど疲れていたのだろう。私も今日の疲労からかだんだん瞼が重くなってくるのを感じ、それに逆らう間も無く眠りの中に吸い込まれていった。
「包囲部隊、全滅したようです」
その言葉にテントから驚きの声が上がる。
「それは本当か?」
シュウもにわかには信じられなかった。あの部隊は戦闘員だけで100人はいたはずだ。それを全滅させたとなると敵はそれ以上の兵力を持っているということになる。当然、王都が陥落した直後にそれだけの兵力を集めるのは不可能に近い。
「本当です。さらに……敵は一人、だったようです」
「一人であの規模の部隊を全滅させたのか……バケモノだな……」
そんな声があちこちから出る。
「本当に一人か?数え間違いは……ないか」
「はい。発見時に三人いたらしいのですが、戦闘に参加したのは一人だけです。もう一度部隊を編成して向かわせますか?」
「いや、このまま後退する。あれだけの兵を殺されたんだ、それにこの地は奴らの見方だ。占領した王都でで次の命令を待つ」
シュウはしばし考え込んだ後、
「奴らが向かう先はフライハイトだ、トウマを呼べ」
「了解しました」
この言葉で兵士達は自分の持ち場に戻り、再びテントが慌ただしくなる。そんな中で
「おそらくその一人というのは……」
というシュウの呟きを聞ける者は居るはずもなかった。
「エリー、おーいエリー、起きてー」
寝ているエリーの頬をメルクはぱんぱん、と叩く。
「ん……はっ」
エリーはがばっと跳ね起き、条件反射の素早さで腰の短剣に手を伸ばす。しかしそこに短剣はなく、触れたのは短剣の鞘だけだった。
「私とソフィアに何かしていたら殺す」
「大変気持ち良かったです」
「〜〜殺すっ」
エリーの顔が二つの理由で赤くなる。今にももう一本の短剣を取り出してメルクに切り掛かりそうだ。
「じ、冗談だよ冗談。何もしてねえって。自分で分かるだろ?」
「そ、そうだな……」
エリーは自分とソフィアの服装を見渡す。どこも乱れていたりしてはいなかった。そこでメルクがエリーの目に留まった。
「傷は……無いんだな」
そう、メルクの体には傷どころか返り血一つ付いていなかった」
「まあな、それよりもとにかく進もう。こんなとこで寝たりしたら風邪引くぞ」
メルクはソフィアをよっこらせ、と背負うとさっさと歩き始め、エリーもその後を追った。
どれ位歩いた頃だろうか、先に口を開いたのはエリーだった。
「なあ……魔法を剣で斬ることは可能だと思うか?」
きっと、いや確実に先程の戦闘の事を言っているのだろう。
「いや?無理だろ」
メルクはあっさりそう答えた。
「じゃあさっきは何で……」
「ああ、さっきの戦いの時のか?あれは別に剣で斬った訳じゃないよ、それに火を剣で斬れる訳ないだろ?」
「じゃあどんなからくりを使った?鎌鼬……ではないようだが」
「言ってしまえば簡単だ、剣が火の玉の丁度中心を通る瞬間に剣を起点に微弱な乱気流を作る。するとあの程度の火ならかき消せるんだ」
メルクにとっては『簡単』らしかったがエリーには理屈も技術もとても簡単には思えなかった。さらにメルクは続ける。
「そりゃ鎌鼬位の高位風魔法でも使えばこんなことしなくていいんだろうけど、俺の魔力じゃそんな魔法は使えない。まあ、誰かのスカートめくるのが精一杯ってとこだな」
「んなっ……」
スカートを抑え、恥ずかしさと怒りを露わにしながらエリーは呻く。
そんな時、ふとメルクの背中から声が聞こえた。
「兄……様……」
ソフィアだった。その目から一粒の涙が流れ、メルクの服に染みていった。二人の会話で目が覚めたのだろうか。
「ごめんな、起こしちゃったか」
「いえ……大丈夫です……自分で歩けます」
そう言うとメルクの背中から降り、目をこすりつつもちゃんとついてくる。
「ハーメルン王子の夢でも見ていたんですか?」
「え?どうしてそんな事を?」
ソフィアはきょとんとした顔で聞き返す。
「先程寝言で兄様、と言っていたものですから」
「そうですね……そうだったのかもしれません。メルクさんに背負ってもらっている時思ったんです。以前にも兄様にこうやって背負ってもらったな、と……」
ソフィアは遠い目で空を見上げる。遠い記憶でも思い出しているのだろうか。月の見えない夜、三人の足音だけが森に響いていた。
翌朝、雲がかかった空にぼんやりと朝日が見えた。その光が自由都市フライハイトをうっすら映し出す。フライハイトは元々商人の宿場町が発展した街で、それゆえ明確な支配者は存在しないし、軍なんかも持ってない。でもそれだけに、いい言い方をすれば自由、悪い言い方をすれば無法地帯である。特に街の奥、北部は大陸全土から行き場をなくした者達が集まってスラム街を形成しており、非常に危険な場所である。と、いったことをメルクは説明した。
「ではどうしてここに立ち寄ろうと?」
「単純にここが一番近かった、ってのとここにしか売ってない物も多いからな、準備を整えるにはぴったりなんだよ。ただ、さっきも言ったとおり危ない所だからくれぐれも勝手なことはしないように」
最後の言葉は特にエリーにむけて言ったようだった。
フライハイトの門をくぐるとそこにはさっきのメルクの言葉が嘘に聞こえるほど華やかな街並みが広がっていた。宿はもちろん、武具店、食料品店、その他にも何を売っているのかわからないような店も沢山あった。
「ま、取り敢えず武器だな、エリーにはもちろん必要だし、ソフィアにも何かあった方がいいな」
メルクは慣れた足取りで武具店へ入る。そこはこの街一番の品揃えを謳っているだけあり、競技用の細剣から暗殺用のナイフまで幅広く取り扱っていた。
「待て、貴様まさかソフィアにまで戦わせるつもりか?」
「別に戦わせる訳じゃない。何か護身用にでもあった方がいいだろ?」
エリーは未だ不服そうな顔をしていたが、しぶしぶ引き下がった。三人は短剣のコーナーに足を運んだ。
「エリーは短剣二本だったな、何でも好きなの選べ。ソフィアは……何か経験のあるものはあるか?」
「いえ、私はそういったものには触ったこともなくて……」
ソフィアは申し訳なさそうな顔をする。
「じゃあナイフ辺りがいいかな……」
メルクはナイフの棚まで行き、一つの手櫛を持ってきた。
「それは……手櫛、ですか?」
「見た目は、な。ここを引っ張ると……」
メルクが櫛の持ち手の部分を引くと中から小型のナイフが出てきた。
「ほらな、普段は普通の櫛として使ってればいい。ただ、もし自分の身に危険が及びそうな時はこれを抜け。これは人を殺す道具じゃない、ソフィアの命を守るためのものだ」
「はい……」
ソフィアは櫛を見つめ、不安な顔をよぎらせる。
「ま、俺とエリーで守るから心配いらないさ」
メルクはぽん、とソフィアの肩を叩いた。ちょうどその時、エリーが短剣を二本、持ってきた。
「これでいいのか?」
メルクはエリーの短剣を見て少し驚いた顔をする。エリーが持ってきたのは王宮で使っていたものと同型のものだった。
「ああ、何か文句があるのか?」
「文句も何も、命を預けるものだ、自分に合ったものを選ばなきゃだめだろ?」
そう言ってエリーの選んだ短剣を棚に戻し、それよりもひと回り大きいものをエリーに渡した。
「そっちの方がしっくりこないか?」
「だが……これは……」
その短剣は先程選んだ物の倍以上の値が張った。
「値段なんて気にすんなって、それにお前と、俺と、ソフィアの命がかかってるんだぜ?」
「……う」
もじもじしながらエリーが呟く、しかし店内の客の話し声などでメルクには聞き取れなかった。
「え?」
「だから……あ……とう」
「もう一声、あ……何だって?」
「あ、ありがとう!一応、結構高いものだからな。これでいいだろう?」
「あ、ああ、そうだな」
メルクは少し面食らった顔をしていた。
「な、何だ?私、何か変なこと言ったか?」
「いや、何でもないよ、じゃ、買ってくるわ」
メルクはそう言って店員の方へと歩いていった。
その後、三人は防具コーナーへ足を踏み入れた。
「なあ、エリーの防具は……」
「絶対に着ないからな」
一蹴されたのはなぜここにあるのか、防具より露出面積の方が大きいいわゆるビキニアーマーというやつだった。
「そんなにいやか?動きやすそうだし、ほらエリーに似合いそうじゃん」
「そんなものが似合ってたまるか!」
結局エリーは動きやすいから、とライトなドレスアーマー、ソフィアにはなるべく軽いもの、ということで普通の服に所々厚い素材が使われているものを選んだ。
それから諸々の買い物を終え、宿に転がり込んだのは正午過ぎだった。
夜通しあるき続けたせいか、ソフィアとエリーはベッドに寝転ぶとすぐに安らかな寝息を立て始めた。すると、
「ねーえ、もう出てきてもいい?」
メルクの横に一人の少女が現れた。その少女を一言で形容するなら、ふわふわしている、といったところか、事実その少女の足は地面に着いてはいなかった。
「ったく、もう出てきてるじゃねーか、いつも突然出て来るなって言ってるだろ?」
「だってー、ずっと中にいると疲れるんだもん。それにそこの二人はもう寝てるし」
少女はその場でふわりと宙返りしてメルクの正面に浮かぶ。
「はあ、で?用は何だ?」
「もー、私の扱いひどいなー。最初の用はもう終わった。ちょっとその子を見てみたくてね」
少女はソフィアを指す。
「もう一つの用はどうせ力を使い過ぎるな、って言うんだろ?わかってるよ」
もう聞き飽きた、とばかりにメルクは手を振る。
「わかってるならいいんだけど……くれぐれも気をつけて」
それだけ言って少女は出てきた時同様、まるで最初からそこにいなかったかのように消えた。
二人が起きたのはもう日が大分西に傾いた頃だった。
三人が宿で今朝買ったもののチェックをしていると、誰かのお腹が鳴った。考えてみれば昨日から何も食べていなかった。
「そういえば腹減ったな、何か食べに行くか」
三人は宿からほど近い料亭に入った。その店ははあまり大きくはなく、店内には料理を作る男が一人、給仕をしている少女が一人、二人連れの客が二人、いるだけだった。
三人がそれぞれ注文をし、料理を待っている時のことだった。ガシャーン、と隣で皿が割れ、中身のスープが床に飛び散った。どうやら二人連れの客の一人が少女の足を引っ掛け、転ばせたようだ。
「おいおい、俺の料理になんてことしてくれるんだ?バケモノ」
男が少女に詰め寄る。
「足を掛けたのはそっちのじゃないか!」
今にも噛みつきそうなエリーをメルクは制する。
「あれを見ろ」
メルクが少女の頭を顎でしゃくる。エリーとソフィアがそこに視線を向けると、少女の頭には犬を思わせる耳が付いていた。
「獣……人?」
獣人種はかつては奴隷として扱われていた。しかし今は各国の取り決めによってそれは廃止されたはずであった。
「建前上は従業員ってことになってるからな、一応奴隷ではない。例え扱いが奴隷そのものであっても」
「でもそれじゃあ……」
ソフィアは納得できない様子である。
「理屈じゃどうにもならないこともあるんだよ」
三人が話している間にも少女は客から嘲笑われ、終いには料理を作っていた男にさえ怒鳴られ、
「すみません、すみません」
と幾度となく謝りながら自分のエプロンでこぼれたスープを掃除していた。
深夜、街の灯りは消え、皆が寝静まった頃、宿から出て、スラム街の方へ歩いていく人影が一つあった。それから一時間ほど経ち、スラム街から出てきた人影にメルクは声を掛けた。
「夜のお散歩は楽しかったか?」
「夜に女性の後をつけてくるなんていい趣味をしているな」
最初は驚きを見せたものの、エリーも負けじと言い返す。
「勝手なことはするな、って言ったよな?」
メルクの口調は軽いがその響きはとても重かった。
「それは危険だからだろう?私は大丈夫だ」
「違うな、こんなところを徘徊してお前に何かあったら迷惑だからだ。ソフィアはあの性格だからな、お前を見捨てて行くなんて出来ないだろ、ここは表だけの華やかな所じゃない。ここに来る前に説明しただろ」
メルク返答は冷たかった。エリーは拳を強く握って俯く。
「『こんなところ』か、そんなことは私が一番知っているさ、何せここは私の……故郷だから」
「お前の……故郷?」
メルクは少し驚いた表情を隠すことができなかった。
「そうだよ……こんなところでも私が生まれて、お母さんと過ごした所だ……」
だんだんとエリーの声は掠れ、俯いた目には涙が滲んでいた。
「私は生まれてから愛情というものに触れたことがなかった。ずっと一人だった。殺して、奪う。そうやって生きてきた。でもそんな私に愛情を教えてくれた人がいたんだ……
その人は娼婦をしていてな、身寄りのなかった私の親代わりになってくれた。親の顔すら知らなかった私にとってその人はどんな人よりも眩しかった。いつも笑顔で、綺麗で、強くて。私はその人に憧れた。その……お母さんと過ごした日々は貧しくとも幸せだった。けどそんな幸せは長く続かなかった。今思えば病気だったんだろうな、私はお母さんの客の一人だった私の父親を名乗る風の国の男に引き取られた。しかし娼婦の子供で魔法も使えない私を家族が歓迎するはずもなく、その家での生活は肩身が狭かった。だから私は家を飛び出して王宮の兵士になった。短剣なら元々できたし、女であることを買われてソフィア王女の侍女になった……」
自分の過去を話して終えたエリーの目には今にもこぼれ落ちそうなほど涙が溜まっていた。しかしそれを決してこぼすまいと歯をくいしばる。
「ごめんな」
メルクはそんなエリーに頭を下げ、
「あと、俺が言うのも何だが泣きたい時は泣いてもいいんじゃないか?」
さらにそうつけ加えた。
「私は強くなくちゃいけないんだ、強くなくちゃ何も守れない。お母さんも、国も、ソフィアも……だからもう泣かないって決めた。この言葉遣いも、仕草も、強くあるためにそうしてきたんだ。お母さんだって、風の国だって、私が強ければ……」
エリーは頑なだ。その小さな体に喪った母親を、滅んだ国を、ソフィアを、すべて背負い込もうとしていた。その言葉にメルクのエリーを見る目が変わった。
「エリー、悲しさを我慢するだけが強さじゃない。誰かの為に涙を流すことも立派な『強さ』だ」
メルクはエリーに、と言うより自分に、過去の自分に言い聞かせているようだった。
「それに、我慢して、我慢しているうちに泣きたい時に泣けなくなっちまう。心が麻痺して何も感じなくなる。だから泣ける時泣いとけ」
それがとどめだった。一度堰を切った涙はもう止めることはできず、次から次へと溢れ出てくる。真っ暗な街にエリーの泣き声だけが響いていた。
数分後、目はまだ赤いがエリーは少し気持ちが晴れたようで、ベンチから立ち上がると大きく伸びをした。
「まったく、私としたことがこんな男に身の上話をしてしまうとは……ソフィアにも話したことなかったのに」
「少しはスッキリしたみたいだな」
真っ暗な空から綺麗な満月が顔を出し、二人を照らした。その光は柔らかく、暖かく、そして、優しかった。
「あの……ご……さい」
「ん?なんだって?」
エリーはボソボソと何事か言ったようだったが、メルクは聞こえたのか聞こえなかったのか、ニヤニヤ笑いながら聞き返した。
「だから……ごめんなさい」
今度ははっきりと、そう言った。
「まあ、俺もお前の故郷をあれこれ言ったからな、おあいこってことで」
メルクもそのことは大分気にしているようだ。
「あの料亭の、獣人のウェイトレスがいただろう?あの子が、幼い頃の、お母……母と出会う前の私と重なってな、そう思ったら無性に母に会いたくなって、でも会えないからせめて昔住んでいた所に行ければ、と思ったんだが……もうどこにあったかも分からなかった」
エリーは哀しそうに月を見上げ、空に手を伸ばした。まるでそこに母親がいるかの様に。
「いいお母さんだったんだな」
「ああ、私の……自慢の母だ」
そう言うエリーは少し得意げだった。
しかし月明かりが照らしたのはメルクとエリーだけではなかった。
『メルク、後ろ!』
メルクがギョッとして後ろを振り返るとそこには紅の鎧を身につけた屈強な男が一人、立っていた。
「火の国の兵士!?」
エリーが驚くのも無理はない。この街は軍事力を持たない。だからここに軍を入れてはいけない、というのは各国の暗黙の了解なのだ。
「国際問題になるのも厭わないってか」
「俺には政治とかそういうのはよくわからん。まあ、俺としてもあんまり仲睦まじい二人を引き裂くのは気が引けるんだが……これもミツヅリ様の命令なんでな、二人にはここで死んでもらう」
男はメルクの身長をゆうに超える大きさの大剣を構えた。
「エリー!お前はソフィアの所に戻れ、多分そっちにも手が回ってるはずだ」
「ほう、俺を一人で足止めすると?」
「出来ればここで倒しときたいね」
言い方こそいつもの軽い調子だが、メルクは神経を研ぎ澄ませ、背中の剣に手をかける。
「メルク……」
エリーも心配そうな顔をするが、メルクに目で急き立てられ、宿へと走った。走るエリーの背中を目の端で捉え、メルクは剣を抜いた。
どうも、けんじです。ここまで読んでくれてありがとうございます。今はGWです。みなさんはお出かけの用事等はありますか?僕はないです。寂しいです。世の中のリア充が羨ましいです。はい。それでは次の投稿をお楽しみに(楽しみにしてないとか言わないで)。