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風の唄  作者: けんじ
day by day
19/28

子猫大猫

想定外の事故や事件は本当に思いもよらぬところに落ちているものだ。そしてそれを運悪く拾ってしまうのもまた偶然の悪夢としか言いようがない。メルクは今までにも数知れない事故や事件に巻き込まれ、またそれ以上に回避してきた自信がある。だからそれだけに大抵のことには動じない精神も養っているつもりだった。

全く、とメルクはため息をついた。現在メルクは全身を白い毛に覆われている。おまけに頭の上には白い耳まで完全装備だ。その姿が何に見えるか、例えば百人に聞いたとしよう。そうするとおそらく百人が百人とも『猫』と答えるに違いない。


およそ一時間ほど前、メルクは王城でフェルナンドの剣の相手をした後、いつものように中庭でお弁当を食べていた。その時だ。

「その袋、何だ?」

メルクはフェルナンドの隣に置いてある拳より少し大きいくらいの包みを指差した。

「これか?そんなに知りたいなら教えてやらんでもないが?」

フェルナンドはもったいぶったように言う。ここで下手に出るとさらに調子づかせるだけなのでメルクはわざと興味のないようなふりをして言った。

「んじゃいいわ」

「おい待て待て、これは俺が苦心して手に入れた特別なものなんだぞ」

まるで子供のように焦るフェルナンドを横目に見ながらメルクは仕方なくフェルナンドが欲しがっているであろう言葉を投げた。

「その特別なもの、って何なんだ?」

「よくぞ聞いてくれた!メルク、手を出してみろ」

メルクは言われた通り右手を広げる。するとフェルナンドはその上に包みに入っていたクッキーを乗せた。

「クッキー?」

「クッキーはクッキーでもただのクッキーじゃないぞ」

そう言われてもメルクにはどう見ても何の変哲も無い普通のクッキーにしか見えない。その様子を見てニヤニヤしているフェルナンドを見て苛立つ衝動をメルクは必死に抑えた。

「それにはな、とある魔法がかかってるんだよ」

「魔法?」

「そう。その魔法とはズバリ……変身の魔法だ」

フェルナンドは声を落としてそうメルクに耳打ちした。しかしメルクにはフェルナンドの言葉をにわかには信じることができなかった。当然だが対応する精霊とその精霊の加護、そして精霊を使役する魔力が全て揃っていなければ魔法は使えない。変身の精霊なんていうのはメルクにも聞いたことが無い話だった。

「おい、お前今どうせまたパチモンなんだろ、とか思ってるだろ」

「当たり前だろ」

『また』と言うのもフェルナンドはこれまでにも何度か食べると体が大きくなるケーキやら飲むと体が小さくなる水やらをどこから手に入れているのか披露したことがあるのだがどれもことごとく偽物だったのだ。

「今回こそは本物だって!」

「んじゃ今までにそのクッキーいくつ食べたんだよ」

メルクがそう言うとフェルナンドはみるみる萎れていき、

「じ、十個」

とか細い声で言って包みを逆さに振ってみせる。どうやらメルクに渡したものが最後の一個のようだ。メルクは大きくため息を吐く。

「十個も食って何も起きないんだろ?そう言うのを世間ではパチモン、あとお前みたいなのをいいカモって言うんだよ」

メルクは最後の一個を半分口に放り込み、そしてダメ元で『鳥になりたい』と念じてみる。しかしメルクの体には羽根一枚生える気配も見せない。

「な?」

「はぁ、また偽物か……」

「まあ本当にそんなのがあったら便利だとは思うけどな」

落ち込んでいるフェルナンドがあまりに不憫でメルクは少し慰めてみる。

「そうだよな!よし、次は……」

すると今まで萎れていたのがまるで嘘だったかのように次の品物に向けて元気を取り戻してしまった。



夕暮れ時、なのだが残念なことに夕日は見ることができない。空はどんよりとした鉛色の雲に覆われていた。城から帰る途中メルクは道端で白い猫を見かけた。気持ち良さそうに屋根の上であくびをしている。

「お前は気ままな奴だな……まあ俺も同じようなものか」

すると猫のお腹がぐぅと鳴る音が聞こえた。

「悪いけど今何も……」

そう言いかけると猫は突然屋根の上から飛び降り、メルクの顔面で一度バウンドするとどこかへ走って行ってしまった。メルクが呆気にとられていると鼻の頭にぽたりと雫が落ちた。ついに降り出したらしい。

「早く帰……っくしゅ!」

さっきの猫のせいだろうか、メルクは突然くしゃみが止まらなくなった。今までは別に猫を触ってもこんなことになることはなかったのだが。

「っくしゅ!……っくしゅ!」

体はふらつくし心なしか熱もあるようだ。メルクはひとまず細い路地へ入り、地面に座り込んだ。息が苦しい。体が重い。何が何かわからぬままメルクはその場で気を失った。



そして目覚めてみればこの通りだ。雨はもう本降りになっているしどっちみちこの姿では家に帰ることもできない。何せメルクが何を話そうとしても傍目には『にゃー』と言っているようにしか聞こえないのだ。

「まさかあのクッキーの……?」

しかしフェルナンドは十個も食べたのに何も起こらなかった。一個だけ本物が混じっていて、運悪くメルクがそれに当たってしまったのか、それとも何か他に条件があるのか……そんなことを考えているうちにメルクの体はみるみる雨に打たれ、毛皮はまるで濡れそぼったコートのように体温をみるみる奪っていった。体が小さくなれば当然熱が奪われるのも早い。早速頭がぼーっとしてくる。すると路地の前を見慣れた顔が通りかかった。

「全く、メルクの奴、どこをほっつき歩いてるんだ……」

ぶつぶつと自分の文句を言いながら歩いてくるエリーにメルクは必死に呼びかけた。

「エリー!俺はここにいる!助けてくれ!」

エリーはぴたりと足を止め、メルク、つまり今は猫をじーっと見つめた。そしてしばしの間自分の中の何かと戦うように眉をひそめていたが結局城の方に向かって走って行ってしまった。


エリーが通り過ぎてからもう何分だろうか、いい加減意識が朦朧としてきた。早くどこか雨をしのぐことのできる場所へ移動すればよかったのだが今怒鳴ってはそんな元気すら残っていない。濡れた地面にぐったりと横たわり、瞼がだんだん重くなっていくのをメルクは感じた。



メルクは何か暖かくて柔らかいものに包まれている感覚を全身に感じていた。ここが天国か、と思っていると、そうではないことを証明するかのようにどこか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「エリー、そろそろお風呂に入ってきたらどうです?」

もしやと思って未だ重い瞼をこじ開けてみる。するとそこはもう見慣れた我が家の洗面所だった。エリーは自分の体でメルクを隠すようにしてタオルでメルクの体の水気を拭き取っていた。そしてメルクが目を開けているのを見ると目を輝かせてメルクを抱きしめた。エリーの胸の柔らかさが全身を包み込む。

「良かった……そうだ、お風呂に入ろうか」

「え」

メルクが困惑している間にエリーは服を脱ぎ、下着を外すとメルクを抱き抱えた。

今度は柔らかい感触の中に何か硬いものが混じっている。

「こ……これはまずい!」

もしエリーが今抱き抱えながら白い毛をシャンプーしている猫がメルクだと知れたらどんな目にあうかわかったものではない。メルクは体をよじって風呂場から脱出しようとしたが風呂場の扉を開けることができず、カリカリと扉を引っ掻くことしかできなかった。

「くそ!動物に優しくない家だな!」

今度は窓に向かって走ろうとするがその前にエリーに捕まえられてしまった。

「じっとしといてくれよ、お前はまだ風邪が治りきっていないんだから」

よく見れば窓も猫にとっても小さすぎて逃げ出せるようなサイズではなかった。メルクは諦めてエリーにされるがままに体を預けた。


風呂から出るとエリーは自分の体も拭かずに念入りにメルクの体をタオルで拭き始めた。その手つきは普段の不器用なエリーからは想像もつかないほど丁寧だった。

しかし、とメルクは思った。メルクはまさかエリーにこのような一面があろうとは想像もしなかった。そういえば以前ククにひよこのガラス細工を、エリーには木彫りの短剣をプレゼントしたことがあった。その短剣はエリーの鍛錬用に少し重めにしてあり、メルクとしては非常に気に入っていたし、エリーもそうであろうと思っていた。しかしエリーは表面上は嬉しそうにしていてもククの方をじーっと見ていた。よく考えればエリーは本当はククにあげたガラス細工の方が欲しかったのではないか、とメルクは思った。

「あれ、もう寝るんですか?」

リビングを通り過ぎる時、エリーはやはり自分の体でメルクを隠すようにしてソフィアの前を通った。そして自室へ入ると自分のベッドにメルクを寝かせた。その時、メルクのお腹がぐぅと鳴った。思えば昼から何も食べていない。おまけに体を冷やして体力を使ったのだからお腹が空いて当然だ。

「そ、そうだよな、お腹が空いたよな、待ってろ、今何か持ってくるから」

そう言うとばたばたと部屋から出て行き、程なくして深皿にホットミルクを入れて戻ってきた。恐らく下では

『何をしているのですか?」

『え、えっとその……ほ、ホットミルクが飲みたくなって……』

『エリー、大丈夫ですか?どこか悪い所があるなら……』

『いや、別にそういうわけじゃ……』

「熱っ!」

エリーとソフィアのやり取りを想像しながらミルクに舌を入れるとあまりの熱さにメルクは悶絶した。猫舌、なんて言うようにやはり猫は熱い物に弱いのかもしれない。

「だ、大丈夫か?やっぱり熱かったか?」

エリーはおろおろしつつもスプーンを取り出し、ミルクをひとすくい取って息を吹きかけて冷ました。そしてそれをメルクの前に差し出す。

「ほ、ほら、これで冷めたから」

これが猫じゃなかったら絶対にやってくれなかったな、と思いながらメルクはスプーンに口をつけた。程よく温かいミルクが喉を伝い、体を満たしてゆく。メルクが次を催促するとエリーは嬉しそうに目を輝かせてスプーンでミルクをすくって息を吹きかけた。



ミルクの皿が空になるとメルクはベッドに体を横たえた。もう一生猫でもいいかもしれない、そんな思いが頭の片隅をよぎった。エリーはメルクが見たこともないほどほにゃっと崩れた顔でメルクを撫でている。

「今日は私がお母さんだからにゃー」

そんな姿を見ているとエリーもやはり女の子なんだな、とメルクは思った。小さな頃から過酷な環境で育ってきて、ソフィアよりも年が下なのにも関わらず侍女としてソフィアを守りながらメルクと共に戦ってきたエリー。だからメルクはどこかで彼女はかわいいものとか、いわゆる『女の子っぽいもの』が嫌いだ、という先入観に支配されていたのかもしれない。それにエリーも自分のそういう面はメルク達に見せないようにしていた。しかしあるではないか、ちゃんと年頃の女の子らしさが。



「っくしゅ!」

恐らく真夜中だろうか、メルクは自分のくしゃみの音で目が覚めた。あの時同様体がだるい。そして息を苦しくなり、気が遠くなっていった。


「っくしゅ!」

再びメルクはくしゃみの音で目を覚ました。しかし今度は自分のくしゃみではない。横を見るとエリーはベッドに突っ伏した格好で寝息を立てていた。メルクを拭くのに必死になってろくに体も拭かずにお風呂を上がった上に毛布もかけずに寝ていたのだ。風邪の一つや二つ引いても仕方がない。

「ったく、とんだ母猫だな」

メルクはベッドから這い出すとエリーをベッドへ寝かせ、毛布を掛けた。

そしてきちんと人間に戻った自分の体を確認すると足音を忍ばせて自室へと戻った。

先日の台風、凄かったですね。被害に遭った方々の一刻も早い復旧をお祈りしております。


そういえば皆さんは夏、何をしましたか?私は熱海に行ってきました。その時海水浴をしたんですね、でもしたのはいいんですが海から上がると体がべたべたしてべたべたして……海は楽しいですか結構面倒くさいことも多いなあと思った夏でした。

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