力の意味
「……静かだな」
メルクはカーテンの隙間から射し込む太陽の光に目を細めながらベッドから体を引き起こした。長い間横になっていたせいで体の節々が凝り固まりきっている。しかし傷の方は痕こそ残っているものの完全に治っていた。
「またシルに借りを作っちまったかな」
ふとベッドテーブルを見るとそこに一枚の紙切れが置いてあった。
「ったく、怪我人をほったらかしやがって……」
シュウがやりを振り下ろす一瞬の間、様々な思いが頭をよぎった。ここでソフィアを殺すことに何の意味があるのか、いや、そもそも風の国を滅ぼすことに何の意味があったのか、しかしそれは以前のシュウならば決して疑問に思わなかったこと、疑問に思ってはいけなかったこと。何がシュウを変えたのか、それはシュウにもわからなかった。
刃がソフィアの首に触れる、というところでシュウの振り下ろす槍が何かに阻まれた。
「メルク……さん?」
「よお、俺の仲間が頭揃えて随分世話になったな」
メルクはリムルから火の国まで飛んできたというのに全く疲れを感じさせない素早い動きでエリーとククの拘束具を破壊し、再び飛び上ろうとした。
「……っ!」
しかし今度はシュウがメルクに槍を向ける。
「メルク ハインライン……いやハーメルン インライク テンペスタ……と言った方がいいか?」
シュウはメルクに、ハーメルンに何としても聞きたいことがあった。その答えはシュウの抱える最大の疑問に切れ目を入れるものであるはずだからである。
「メルクさんは……メルクさんは本当に兄様なのですか?」
「ハーメルン……ね、そいつはもう死んだ。俺はメルク。それ以上でも、それ以下でもない。これじゃ不満か?」
「ならばその死んだハーメルンに問おう。貴様の戦う意味は何だ?国の生贄にされ、その国からも捨てられ、尚もその国の王女の為に戦うのは何故だ?」
国の生贄、その言葉をメルクは、ソフィアは、エリーは反芻した。風の国、火の国、湖の国はそれぞれの国の王が変わる度に王の魔力を土地に捧げなければならない。それは元来互いの国で最も力が強い者、即ち王が力を失うことにより国家間の戦争を抑圧するという意味があった。
「生贄……生贄って何のことですか?」
ソフィアはシュウに、というよりメルクに問いかけた。
「何、その儀式で前国王、ノア デューク テンペスタは自分の魔力の代わりにハーメルンの魔力を儀式に使ったんだよ」
メルクはことも無げに、まるで日時会話をするかのごとく肩を竦めながら言った。
「何故……何故そんなことを……」
「それはもう過ぎたことだ。今更どうだっていい、ハーメルンはそう言ってた。それよりもお前が聞きたいのは俺の答えだろ?」
メルクは自分を見上げるソフィアの頭に手を置いた。
「そんなの……守りたい物が……人がいるからに決まってんだろ、ハーメルンができなかったから俺が代わりにやってやってる、それだけだ。これで満足か?」
守りたい人、そんなものはシュウには存在しない。いや存在しないはずだった。しかし何故だろうか、シュウの脳裏に二人の顔が浮かぶ。一人は守れなかった人、そしてもう一人は……絶対に守ると誓った人。
「そうか……礼を言う。そういえばまだ名乗っていなかったな、俺はシュウ ミツヅリ、火の国第三大隊隊長だ」
そしてシュウは太陽に手を翳す。ずっと探し求めていた答えの欠片が見えた気がした。その手に自室に置いて置いたヘリオスの槍が収まる。そしてメルクに向かって巨大な火球を放った。その目に迷いはない。メルクはトウマを殺し、ユイまでも手にかけようとした男。迷う理由などなかった。
「止めなくてよろしいのですか?」
王城の一室、ミカドは憐、琰、霰 とシュウとメルクを見下ろしていた。
「止める?冗談かよ、こんな面白え見世物そう観れるもんじゃねぇぞ?」
しかし言葉には出さないものの依然よくわからないという顔をしていたのでミカドはさらに付け加えた。
「精霊王同士の戦いなんてそう観られるもんじゃねぇぞ?それに……あの風使い、あれはもう半分人じゃねえ」
「人じゃ……ない、ですか?」
「ああ、そもそも精霊王は何か器になる物がないとこの世界に存在できない。シュウの使ってる槍なんかがそうだ。だがあの風使いは異常なんだよ、あいつは自分の体を器として使ってやがる。普通の人間がそんなことをしてみろ、早々生きていられるわけがねぇ」
「くそっ!」
風の壁を張り、火球を何とか防ぐ。しかしここは火の国。風精霊が少なく、圧倒的にシュウが有利な状況だ。普通に戦ってメルクに勝ち目は無い。だがメルクは真っ直ぐにシュウと向き合った。
「そうかい、お前がその気なら……」
メルクが瞳を閉じる。そして手を前に掲げた。
「メルクさ……っ!」
ソフィアはもうこれ以上メルクに戦って欲しくは無かった。ソフィアも兄が風の国でどんな扱いを受けてきたか、その断片は知っている。しかし突如として精霊がざわめきだし、頭痛によってその思いが言葉になることは無かった。
メルクが瞼を上げる。その双眸は空よりも蒼く、深い、蒼穹の色に染まっていた。ミカドの見立ての半分は当たっていた。しかしもう半分、メルクの中に精霊王、つまりシルフィオールはいない。残ったのはシルが残した莫大な精霊王の魔力。風の儀式によって抜き取られた莫大な魔力のキャパシティの中にそれが満たされていた。
「俺も、本気でやらないとな」
メルクは開いていた掌をゆっくりと閉じる。それと同時に周囲の風精霊が集まり、一つの形を成す。それは王にのみ赦された魔法。精霊具、風王の剣だった。
「何故そんな魔法が使える?」
シュウがおどろくのも無理はない。精霊具を創り出すのには莫大な風精霊が必要だ。それを火の国だけで調達できるとは考えられない。しかしメルクの魔力、精霊を操る力はシュウの想像を絶していた。
「この国で賄えないなら、その外側からかき集めてくればいい」
メルクが一歩踏み出す、それと同時にシュウの周囲に無数の巨大な火球が展開、メルクに降り注いだ。
「この程度!」
火球を斬りつけ、その中心で剣を起点とする小規模の気流を発生させる。するとあたかも火球が剣で斬られたかのごとくかき消えた。
「魔法を斬った?……いや、違うか」
しかしシュウは一兵卒とは違い、そうやすやすと騙されはしなかった。今度は火球を展開後、形を鏃形に成形してメルクへ放つ。
今度も同じようにメルクが火球に剣を当て、気流を発生させる。しかし今度は火球はかき消えるどころか爆発を起こした。
「ちッ!考えやがったな……」
メルクの技は丁度火球の中心で魔法を発動させなければならない。しかし火球が鏃形になったことにより中心の位置が複雑になったのだ。その上メルクの技は諸刃の剣でもある。失敗した場合自身が発生させた気流により火球が爆発、しかもそこはメルクの目と鼻の先だ。その上メルクは風王の剣を生成したはいいものの、それに魔力の多くを使ってしまい、それ以外の高等魔法が使えずにいるのだ。
シュウは切れ間なく火球を放ってゆく。こうなればメルクは火球を躱すしかない。しかしそれではいつまでたってもシュウに近づくことはできない。
「一か八か……」
メルクに火球の雨が降り注ぎ、爆炎が立ち上る。しかしメルクはそれを目くらましにして空高く飛び上った。
「何を考えている?」
当然シュウは空中に火球を放つ。当たり前だが空中では身動きが取りづらい。かわすのも容易ではないはずだ。しかしメルクは空中から真っ直ぐシュウに向かって加速、一気に距離を詰めて来た。このまま中距離での撃ち合いでは勝てないと踏んで接近戦に賭けたのだ。高速で接近するメルクに火球が直撃する。メルクはそれを風の壁で防いだ。一つ、二つ。火球が当たる度に少し減速するもののそれでも一度ついた勢いは止まらない。五つ目の火球を受けたところでメルクは剣を振りかぶった。落下の速度、メルクの体重、剣の重み、全てを乗せた一振り。それをシュウは真っ向から受けることはせず、槍を斜めに傾け、メルクの剣を横に滑らせた。そしてメルクが体勢を立て直す前に槍を一回転させ、メルクの首筋を狙う。しかしメルクは無茶な体勢のまま風の力で少し後退、ギリギリのところで槍を回避した。
それからは単純な槍と剣の技術のぶつかり合い。銀色の刃と刃が踊り、ぶつかり合い、芸術的なまでの弧を描く。
メルクの横薙ぎを槍で受け、メルクの足を払う。メルクはジャンプして躱すがそこに炎を纏わせた槍で素早く突いた。それに一瞬早く反応し、メルクはバックステップで槍の間合いから離れた。しかしシュウは突きの後間髪入れずにさらに踏み込み、体を捻って大振りに槍を薙ぎ払った。メルクはそれを剣で受けたものの槍の長さに加えて遠心力、そして炎によるブーストがかかった横薙ぎを正面から受けきれるわけもなく剣が跳ね飛ばされる。
「こ……の!」
辛うじて剣から手を離すまいとしたがかえってそれが仇となり、メルクの右腕は剣に引っ張られる形で体幹から離れてメルクは体ががら空きの状態になってしまった。その瞬間をシュウは見逃さない。槍を一回転させてメルクの心臓を真っ直ぐに狙う。
「こんなところで……」
メルクは空いている左手で背中の剣を掴んだ。
「負けられるかよ!」
そしてそれを抜き放ちざま槍を横に受け流す。
「二刀流……やはり風の国の王子か」
そう。メルクが風の国で刷り込まれてきたのは剣を二本使って戦う二刀流剣術。エリーの短剣二刀流もそうだが風の国の剣術は独特の体系をとっている。だからこれはメルクの出自が露呈してしまうためにメルクの師、つまりメルクから使うことを止められていたのだ。
「シュウ様、私も……」
シュウの後ろでユイがシュウの応援に入ろうと細剣に手をかける。
「来るな!」
しかしシュウは強い語調でそれを制した。ユイは思わず怯んでしまう。もちろんこれにはユイが来れば自分の足を引っ張る、若しくはユイの身を案じてという意味も含まれている。しかしシュウはこの戦いにある種の『楽しさ』を感じていた。初めての意味のある戦い、自分の意志で戦うことの高揚感、シュウはそれに酔っていた。それに水を差されたくないという思いが大半を占めていた。そしてそれはメルクも同じ。国も、国王も、自身の魔力も考えることなく思い切り戦える。それだけで心が躍った。
メルクの繰る二本の剣がそれぞれ別々の生き物のように動き、シュウに襲いかかる。首筋、次は心臓、そして腹、脚、シュウはそれを懸命に防ぐが一つ、また一つと真紅の鎧に傷がつけられていった。
「もっと……」
剣それぞれに風のブーストをかけて速度と威力を上げる。
「もっと疾く……」
更にスピードが上がる。
「もっと疾く!」
最早シュウにメルクの剣を、メルク自身を目で追うことはできない。風よりも疾く、鋭い剣戟がシュウに無数の斬撃痕を刻んだ。その瞬間、メルクとシュウは一気に現実へと引き戻された。互いに繰り返し、手と頭に刻みつけられた命の感覚が一気に熱しきっていた頭を冷やしたのだ。
「……このっ!」
2本の剣で槍を地面に押さえつけ、そこを支点にシュウの肩越しに踵落としを打ち込む。
「く……まだだ!」
確実に急所に入ったはずだ。しかしそれでもシュウは膝をつかず、そして槍を手放すこともしなかった。
「このヤロォ!」
そこからさらに体を捻ってシュウよ胸にドロップキック。さすがにシュウも槍から手が剥がれ、膝をつく。
そしてメルクはシュウの首に風王の剣を突きつけた。
「俺はお前を許すわけにはいかない」
メルクの剣を持つ手に力が入る。
「やめろぉぉぉ!」
いてもたってもいられずユイは飛び出した。シュウの声も最早聞こえてはいない。ユイにもなぜここまでの激情に駆られるのかわからなかった。シュウは『ただの上官』でしかないはずなのに、しかし気づいた時にはシュウの命令も忘れ、細剣を引き抜いていた。目にも止まらぬ神速の突き。しかしメルクは体を前傾させ、紙一重で突きを背中側に流す。そしてそのまま鋼の剣でユイの背中から心臓を狙う。それを見たシュウが魔法を使おうとするがもう遅い。メルクの剣がユイの心臓を貫こうとしたその時、
「やめなさい!」
凛とした声が響き渡る。その場の誰もがその声の主を疑った。
「兄様……もうやめてください」
ソフィアだった。
「ソフィア……お前、自分が何を言っているかわかっているのか?」
メルクがソフィアの瞳を覗き込む。ソフィアはそれを真っ直ぐ見つめ返した。
「わかっています」
「こいつらはお前の国を滅ぼし、お前の父親を殺した張本人だぞ?」
ソフィアにとって最も恨むべき対象であるこの二人を助ける、なぜそんなことが言えるのか、メルクには到底理解できなかった。ただメルクがあと少し両腕を動かすだけで二人の命の奪うことができるのだ。
「憎くない……とは言えません。でも私はこの旅で色々なことを見て、聞いて、学んできました。その中でメルクさんとして兄様を見てきました」
確かにソフィアは色々なことを学んできた。メルクに、ハーメルンに正面切ってここまで言い切ることは昔のソフィアではできなかっただろう。だがだから何だというのだ。それが問いの答えになってはいない。
「私はもうこれ以上兄様が人を傷つけているのを見ていたくありません。それで傷つく兄様も見たくありません」
「俺は……」
メルクは何か言い返そうと口を開きかけたが二の句が継げなかった。自分が今何を言ってもソフィアは意を変えないだろう。それを感じたから。
「メルクさん、メルクさんは旅の初めに『目を瞑ってくれ』って言いました。でも私はそんなことできません」
メルクの想像よりずっとソフィアは大きく成長していた。メルクは両腕の力を抜き、シュウを見下ろした。
「……甘いな。だが……ユイを救ってくれたことには感謝する」
「お前は死んでも良かったのかよ」
「俺は……命を奪い過ぎたからな」
メルクは剣をしまい、ソフィアの方を振り返る。しかしソフィア達を囲むように火の国の兵士達が展開していた。
「シュウ、私はお前にソフィア ルナ レ テンペスタの抹殺を命じたはずだが?」
アサダ大臣が大勢の兵士を引き連れてソフィアとメルクの間に立ち塞がった。
「お前には失望した。現在をもってお前の第三大隊長の任を解く。その槍も剥奪だ。被験体028は実験室に戻せ」
数人の兵士がユイの腕を掴んでシュウから引き剥がし、王城の方へ連れて行った。
「やめろ!ユイは関係ない!この……」
シュウが拳を握ってアサダ大臣へ殴りかかる。
「オイオイ、それは流石に見過ごせないぜ?」
シュウの拳をミカドが受け止めた。シュウがいくら力を入れてもまるで岩を殴りつけているかのように全く動かない。
「ミカド、そいつを地下牢へ」
「へいへい。ったく、最近やたらと地下牢に縁があるな」
シュウとミカドを目の端で捉えつつアサダは周囲の兵に目で合図した。メルクは咄嗟に背中の剣を引き抜き、割って入る。しかし数が多すぎて捌ききれない。大魔法を使えばソフィアまで巻き添えを食ってしまう。そんな時だった。
「いやご苦労、ソフィア姫をここまで運んでくれるとは、流石に東大陸の端まで行くのは骨が折れるんでな」
金や銀をふんだんに使った派手な服装、そしてイヤリングやネックレスまで見るからに高そうなものを身にまとっている。
「これはこれはフェルナンド様、わざわざどのようなご用で?」
アサダ大臣は明らかに苦虫を噛み潰したような顔でフェルナンドに腰を折った。
「何、我が湖の国の同盟国の王女が助けを求めていると聞いたのでな、わざわざここまで出向いたというわけだ。いや、もてなしは不要、俺も忙しい身あまり長く国を空けているわけにはいかん」
フェルナンドは火の国の大臣に対しても不遜な態度で述べる。それもそのはず、フェルナンド オービスは年は若かれど湖の国を一代で人間族の最大都市にまで発展させた湖の国の国王なのだ。
「しかし……」
アサダが何か言いかける前にフェルナンドは左手を上げた。すると後ろに控えていた兵士達が火の国の兵士を押し退け、ソフィア達とフェルナンドまでの道を作った。
「おお久しぶりだな、以前来た時はまだ産まれたばかりの時だったからな、ここからは何の心配もしなくていい。俺が責任をもって国まで護衛する」
そして次にメルクの方を向いた。
「メルク、ご苦労だった。お前ならやり遂げてくれると信じてたぞ」
「ったく、来るのが遅いんだよ」
するとフェルナンドはカッカッカと軽く笑った。
「悪い悪い、なにせ遠いもんでな。だが約束は守っただろ?」
メルクは軽く溜息を吐いてソフィア達を手招きした。
「あの……兄様、これは?」
ソフィア達は今の状況を全く理解できていない。唖然としてフェルナンドとその後ろの大軍を眺めていた。
「まあ諸々の話は道すがらしようや」
そう言うとフェルナンドは真っ先に後ろの馬車に乗り込んだ。メルクがそれに続き、ソフィアもそれに倣った。そしてメルクに促され、エリーとククもおずおずと馬車に収まった。
どうもこんにちは。こんばんは?おはようございます!まあ何でもいいか、風の唄、この15話を以って第1章完結となります。読んでくださった方々、ありがとございました!
あ、ちょっと待って、まだ続くから!
これからの予定なのですが今年一杯はちょっとした日常エピソードを書いていこうかと思います。本編の続きは……1月頃を予定しております。もし私が忘れてたら教えてくださいね!
どうでもいいですけど何か面白い漫画ありませんかね?最近暇な時間がちょいちょいあるんですけどそこで読む漫画を探してるんですよね〜