第八話 森の遺跡
霧海の森の南東部には、大きく分けて三種族の妖怪が生息している。一つは蟲。これは通常の虫が大気に満ちる妖気によって妖怪となったもので、大蟻や大ムカデなどがいる。大きさはいずれも五十センチほどとかなり大きく、動きも俊敏だが、非常に脆いので倒しやすい敵だ。もちろん丁種妖怪である。二つ目は狼。これも細かく分ければさまざまな種類がいるが、似通った性質を持つためまとめて黒狼と総称される。森に住んでいた通常の狼が妖怪化したもので、大きさこそ獣と変わらないが高い凶暴性と強靭な生命力を持つ。ただし、その数は少なく基本的に一匹で行動しているため、こちらも比較的倒しやすい。
最後は鬼族。これは通常の生物が妖怪化した蟲や狼とは違って、生まれながらの真正の妖怪である。頭に生えた角と恐ろしいほどの大力が特徴で、小鬼から大鬼、さらには人に化けるような大妖怪まで実にさまざまな種類が居る。このあたりに生息しているのはほとんど小鬼で、赤い小さな身体とそれに似合わぬ巨大な棍棒が特徴だ。知能はそれなりで、常に多数の仲間を引き連れて行動し、獲物を見つけると皆で寄ってたかって攻撃をするという性質がある。仲間と連携される危険があるので、三種の中では一番厄介な存在だ。
演習開始から四時間。巨木の洞に拠点を設けた俺たちは、最低限の水の確保を済ませるといよいよ本格的に狩りへ出ることにした。ターゲットは黒狼。妖怪なので点数稼ぎが出来るだけでなく、肉を食べられるからだ。蟲や鬼も食べられないことはないそうだが、かなりマズイらしい。逆に黒狼は多少筋があるものの、コクがあってかなり美味いそうだ。
夕刻の森を、気配を消しながら足早に移動する。乾いた落ち葉がシャカシャカと砕け、耳に障るような音を響かせた。西日が射しこむ森は静かで、今のところ獣の気配などはほとんど感じられない。遥か遠くより鳥の物悲しい鳴き声が響くが、それだけだ。逢魔が時とは良く言うが、この世界の妖怪はほぼ完全に夜行性である。まだ少し時間が早いのかもしれない。
「静かだな。クク、何か感じたか?」
「ちょっと待って」
瞳を細め、額に人差し指を押し当てるクク。彼女は走る速度をやや緩め、意識を集中させ始めた。彼女のスピードに合わせて、俺も速度を抑える。そうしてしばらくすると、ククはカッと目を見開き、遥か右斜め前方を睨む。
「ここから三町ぐらい先に妖気があるわ。数は一つ。たぶん、黒狼」
「ありがと」
「いいのよ、仲間だから」
ククはどこか照れくさそうにそう言うと、俺を先導するように速度を上げた。彼女の背中においていかれないように、俺もぴったりとその後を追いかけて行く。半妖であるおかげか、最近になってククは妖気に対する感知能力を会得していた。これはかなり正確な物で、今のところ外れたことがない。
「居た!」
走っていくと、前方に黒い狼の姿が見えた。血走った紅い瞳をギラギラと輝かせ、口元からよだれを垂らすその様子は間違いなく黒狼だ。俺たちは気付かれないよう近くの木の陰に姿を隠すと、軽い打ち合わせをする。
「時間差で攻めよう。俺が先手、ククが後手だ。いいか?」
「了解。こっちに追い込んで」
「わかった」
俺はグッと親指を突き上げると、そのまま木陰から飛び出した。そして黒狼の姿を視界中央に捉えると、抜刀。サラッと音が響き、鈍色の刃が夕陽を反射して輝く。俺の存在に気付いた黒狼は背を弓なりに反らせると、低いうなりを上げた。
「グルウゥ!!」
跳躍する黒い身体。その影に合わせるようにして、俺は刀を浅く振るう。剣先が毛皮を滑った。僅かに血が飛ぶが、傷は小さい。チッ、やっぱこれじゃ無理か。勢いを殺された狼は俺のやや後ろに着地し、くるりとこちらを振り返った。するとそのタイミングで、ククが現れる。
「せいッ!」
「キャウンッ!!」
すぐ後ろに現れたククに対して、黒狼は反応が遅れた。その反面、見事な抜刀術を見せたククの刃は、勢い良くその黒い身体を裂く。白い半円の軌道。背中から血飛沫があがり、耳を貫くような叫びが響く。直後、俺も足を踏み込み刀を振り下ろした。強張った肩に刀が食い込み、ザッと血の噴水が出来る。今度は叫ぶことすら出来なかった黒狼は、そのまま地面に崩れ落ちた。
「まずは一頭だな」
「ええ。どんどん狩りましょ」
その後もククのおかげで調子よく狩りを続けた俺たちは、夜が更けるまでに七頭の黒狼を狩った。その肉の一部を切り分け、血抜きをしてさらに香草を磨り込む。塩や胡椒といった調味料はないが、これで最低限食べられるはずだ。俺たちは洞の前で焚き火を起こすと、串刺しにしたそれをじっくりと炙っていく。
「おお、旨そう!」
「いい匂い……」
肉汁が滴り落ち、じゅわりじゅわりと気持ちのいい音を立てる。周囲に漂う香ばしい香り。何とも食欲をそそるそれに、俺たちはたまらず鼻をひくひくと動かす。朝飯はそれなりに食べさせてもらったが、それからもう十二時間以上も何も食べていない。幼い身体は空腹で限界だった。小さな腹がクウクウと切ない音を立てる。
「もういいかな。いただきまーす!」
「いただきます」
ガブリ。うまい!
筋肉質でかなり歯ごたえがあるが、甘みのある肉汁が口いっぱいに広がって最高だ。脂身ではなく赤身の旨みである。外国産のゴム肉から臭みを取り除いて旨味を追加し、もっと食べやすくしたような感じだろうか。アミノ酸の旨味が舌の上を流れて、思わず頬が緩んでしまう。ククも同様なようで、蕩けたような顔をしながら肉を食べていた。パンパンに膨れたほっぺが、ハムスターのようで可愛らしい。
こうしてたっぷり夕食を食べた俺たちは、その後すぐに交代で床に就いた。そして二日目。狩った獲物の頭を馬車のある広場まで持っていくと、ちょうどそこにシチヘイ達もいた。俺たちの存在に気付いた彼らは、自慢げな顔をしながら小鬼の頭を三つ突き出してくる。
「よう、ちゃんと狩りはできたか?」
「ああ、それなりにな」
「見せてみろよ!」
「まあ待てって」
俺とククは余裕たっぷりに笑った。そして背負ってきた頭陀袋を下ろすと、シチヘイ達の奥に居るヒコザに手渡した。彼はそれを乱暴な態度で受け取ると、中に入っている首を一つ一つ数え上げていく。
「一つ、二つ、三つ……七つ。丁種が七体で、七点だ! よし、今のところお前たちがトップだぞ」
「何だって!?」
シチヘイは素っ頓狂な声を上げると、大慌てで頭陀袋の中を覗き込もうとした。けれどそれを、ヒコザがギロリと睨みつける。風迅流のサムライはいついかなる時でも、上の者の指図には絶対服従が基本だ。ヒコザには驚いたシチヘイの態度が、自身の裁定に対する不満のように見えたのかもしれない。ともかく、蛇に睨まれたカエル状態となったシチヘイはブルりと震えると、ゆっくり身を引いた。彼は改めてこちらを一瞥すると、チッと舌を鳴らす。
「ど、どんな手を使ったか知らないが、ずいぶんやるじゃないか」
「ああ、まあな。それで、そっちは何体狩れたんだ?」
見ればわかるが、俺はわざと聞いてみた。普段うっとおしいので、ちょっとした意地悪だ。するとその顔は、面白いように赤くなる。
「……小鬼が三体だ。ふん、いまに見てろよ! 今夜はお前たちなんぞより点数を稼いでやるんだからな」
そう言うと、戸惑う子分たちを無理やり引っ張ってシチヘイはその場を後にした。まあ、頑張ったところでたぶん勝ち目はないんだろうけどなァ……。俺たちはやれやれと肩をすくめると、夜の狩りに備えるべく再び拠点の洞へと戻ったのであった。
時は過ぎて夜。昨日の狩りで十分な食料を得た俺たちは、今日は小鬼を狙うことにしていた。小鬼のたちの生息拠点は、俺たちの拠点から見て南方一里ほどの位置に存在する。俺とククは支給された地図と方位磁針を片手に、南へ南へと夜の森を突き進んでいく。俺たちは夜目が効くように訓練されてはいるが、それでもなお曇り空の今夜は昏かった。こういう夜は、何とはなしに嫌な予感がする。昔からこうだ。
「クク、気配は感じるか?」
「南にもう六町ってところよ。三体居るわ」
「そうか」
ククも曇り空に何か嫌な物を感じるのか、心なしか声が硬かった。俺たちは互いの距離を少し詰めると、木々の間をすり抜けるように走っていく。今のところ、森は静寂に満ちている。鳥の声もない。昨日も静かだったが、それとはやや異質な静けさだ。そう、嵐の前のような。
しばらく進むと、木々の向こうに巨大な建築物の廃墟が見えた。俺は思わず息を呑む。それはビル街だった。外観をほとんど留めぬほどにに朽ち果て、森に浸食され倒れていても、その直線的で無機質な造形は明らかに近代的なビルディングだ。それらが幾重にも折り重なり、潰れて一つの塊と化している。さらにその上に土が乗り、木々が芽吹いていた。文明が大地に帰る――とても神秘的で、言葉を失ってしまうような光景だ。俺は思わず足を止めると、茫然とビルの山を見上げる。
「これが、小鬼たちの居る古代の遺跡か……」
「そうみたいね」
「凄いな、予想してたのとは大違いだ」
古代の遺跡と聞いて、俺はてっきりエジプトやギリシャにあるような石造でいかにも古い様式の遺跡を連想していた。それがどうだろう。さながら、科学の粋を凝らした現代建築のようではないか。もしかしてここは、遥か未来の地球なのか? 思わずそんな疑問さえ頭に浮かんでしまう。けれど、地理の時間に習った大陸の形などは地球とはかけ離れている。だから未来と言うことはあり得ない。もしかすると、文明と言うのは発達するとあのような形に収束していくものなのだろうか。ただ狩りに来ただけのはずなのに、俺は壮大な文明論的な物を考えてしまう。
かつてこの世界には、高度に栄えた機械文明が存在したと言う。けれどその文明は今から千年ほど前、突如として現れた別天神と呼ばれる強大な妖怪によって滅ぼされてしまった。その後、七人のサムライたちがどうにかその別天神を封印し、世界を再興したとされる。その後、彼らは力を合わせて今の世界を支配している幕府を造り、それぞれに剣術流派を起こしたそうだ。
その流派の一つが――こともあろうに風迅流だ。あまりにもスケールの大きな話なので、てっきりでっちあげだと思っていたのだが、これを見るとまんざら嘘だとも言えない。いったい、千年間のうちに何があったのか。何故こんな血生臭い流派になってしまったのか。俺はオイオイといいたくなる。
「何を考えてるの?」
不思議そうな顔をしたククが、俺の顔を下から覗きこんでいた。おっと、いつの間にか結構な時間が立ってしまっていたようだ。俺は気を取り直すと、改めて遺跡の方を見る。ビルが崩れて出来た地形は、あちこち入り組んでいて相当に複雑だ。地下のようになっている場所も有る。これは、狩りをするには少しまずい条件かもしれない。特にビルの内側は視界が全く効かない闇の世界だ。
「クク、小鬼はどこだ? あの中だとちょっとまずいぞ」
「大丈夫、どうやら中には居ないみたいだわ。気配が上にあるから、遺跡の上に住みついてるみたい」
「そうか。よし、じゃあ登るぞ」
こうして俺たちはビルの山の麓へと移動し、その瓦礫を登ろうとした。けれどその時、山の内側から恐ろしい叫び声が聞こえてくる。
「うああああァ!!!!」
「シチヘイ!?」
「ウソだろ!? クク、妖気は!」
連続するシチヘイの物と思しき叫び。狂ったように響くそれは、尋常な物ではない。ククは急いで目を閉じると、額に指を当てて意識を集中させ始めた。呼吸が深くなり、薄い胸が大きく前後する。焦っている俺には、そのリズムが酷く長く思えた。
「……凄くわかりにくいけど、何か奥に居るわ。たぶんだけど、妖気をコントロールしてるんだと思う!」
「なんだって!?」
妖気をコントロールできるのは、位の高い妖怪に限られる。最低でも乙種、下手をすれば甲種だ。とても見習いに太刀打ちできるような妖怪ではない。あのバカ、無茶してとんでもない妖怪に手を出しやがった!
「どうする!?」
「クッ……!」
見捨てて逃げるしかない。それは分かっていた。けれど、シチヘイ達が無茶をしたのも元はと言えば俺が下手な挑発をしたからかもしれない。原因とまではいかないが、彼らの背中を押したことは事実だろう。そう考えてしまうと、人情的に知らんぷりはしづらい。かといって、俺たちにどうにかできるような問題でも――
「ああクソ! なんでこんなことに……!」
ここで、俺はククの方を見た。彼女は不安げなまなざしで俺の方を見つめ返してくる。そうだ、俺はこんなところまで付いてきてくれたこの子を守らなくては。混乱していた頭が冷えて、思考が落ち付いてくる。ここは残念だが、やはりシチヘイを置いていくしかない……!
「逃げるぞクク! すまん、シチヘイ!」
「わかった!」
俺たちはごめんと頭を下げると、一心不乱に走り始めた。すると、その時だった。先ほどから響き続けていたシチヘイの絶叫が止まり、それに代わっておぞましい声が響いてくる。
「止まれ!」
降り注ぐ雷のような声。それに打たれた俺たちの身体はにわかに凍りつき、言うことを効かなくなってしまった。妖術か何かか? とにかく、全身が石化してしまった俺たちはその場でなすすべもなく立ち尽くすことしかできない。コトリ、コトリ。そうしている間にも、ビルの山の奥から硬質な足音が近づいてくる。
「今日は小童どもが良く来る日じゃのう……。久々の馳走になりそうじゃな――」
※主人公たちの年齢を二歳増やしました。