第五話 叫び
ガタつきの酷い馬車に揺られること数日。各地の奴隷商人を回り、数十名もの子どもたちを集めたチル一行は、深い森の中へとやってきていた。夜の旅だったので、どこをどう進んできたのかはほとんどわからないが、かなり南方の方まで来たようだ。幌の隙間から吹き込む風が、心なしか暖かくて湿っぽい。桑名屋のあった紫の国の冷たい空っ風とはかなり違う。
「遠い」
「ああ。いい加減、そろそろ降りたいんだけどな」
ククを膝に抱えながら、俺は薄暗い馬車の中を見渡した。さして広くない車内は木箱や樽によって四つのブロックに区切られ、そこにそれぞれ二人から三人の子どもが押し込められている。ブロックごとの広さは一畳あるかないか。身体の小さな子どもでも、寝転がると足が折り重なってしまうほどだ。また匂いも凄まじく、奴隷たちの汗と樽から漂う酒の匂いが混じって、鼻を抉るような刺激臭が車内を満たしている。食料だけは満足のいく量が与えられているが、生活環境としては最悪に近い。
「ちッ、相変わらずしっかり見張ってるな」
俺は木箱の陰から、こっそりと馬車の後ろを覗き込んだ。風に揺れる幕の隙間から、外の様子が僅かながらに見える。森の中を抜ける細い一本道。その遥か先には、篝火を焚いた馬車の姿がある。俺たちより一回り小さなその馬車には、黒い衣を着た仮面の男たちが数名乗り込んでいた。彼らは揃ってこちらの方に視線を向け、さながらマネキンのように動かない。
俺たちは全部で五つの馬車でキャラバンを組み、一つの隊として行動をしていた。先頭がチルの乗る馬車。二、三、四台目が奴隷と物資を乗せる馬車。最後の五台目が、警備の者たちが乗る馬車となっている。俺たちが乗り込んだ馬車は四台目で、運の悪いことに警備の連中から一番よく見える車だった。衝突防止のため、馬車はかなりの車間距離を保っている。そのため三台目あたりに乗り込めれば、上手く闇にまぎれて逃げ出せたかもしれないが……この場所では無理だ。すぐにばれてしまう。俺は隙のない男たちの様子を見て、がっくりと肩を落とした。さすがに旅も長くなったので、疲れが見えてくる頃かと思ったが、まったくそんなことはないようだ。
「はあ……」
木箱に寄り掛かると、思わずため息が漏れてしまった。やはり脱走は絶望的なようだ。既に、森の奥深くまで入ってきてしまっているので、歩いて町まで行くだけでも一苦労だろう。ここは一つ、腹を決めるしかないのかもしれない。クソ、この歳にしてデスロード一直線なんて勘弁してほしいんだがなぁ……!
「小五郎、大丈夫?」
「ああ、何でもないよ。平気平気」
心配そうな顔をして覗きこんで来たククに、俺は大丈夫だと手を振った。彼女はまだ不満げな表情をしつつも、「そう」と言って首を引っ込める。長年、人の顔色を伺うような生活をしてきたせいか、ククは人の心情に対して相当に敏感だ。あまり弱気になってちゃ、駄目だな。そう思うと、自然と心の中に闘志が湧いてくる。
「死亡率九割? 上等じゃないか、生き残ってやるぜ……!」
俺は馬車の中で静かに呟いた。その声に、ククもまた頷いたのであった。
翌朝。いつもならば昼間は馬車を走らせないのだが、今日は昼も構わず旅程を進めていた。いよいよ風迅流の本拠地周辺までやってきたらしい。例によって俺は木箱の陰から外の様子をうかがっているが、昨日と変わらず森の中だ。人里のあるような気配は今のところ無い。ただ、昨夜と比べて霧がずいぶんと濃く、日が昇って一時間以上経つと言うのに夕方のような薄暗さだ。植生もかなり変わって来ていて、道の両端には見上げるような巨木が林立している。白い樹皮とそこに生えた苔の緑、さらにはおぼろに漂う霧がこの世ならざる雰囲気を醸し出していた。
時折、嵐の日に風が唸るようなおどろおどろしい音が森の奥から聞こえる。獣の鳴き声なのか。はたまた、それとは別の自然現象なのか。どちらにしろ、聞いているだけで不安になってくるような音だ。ここはどこなんだろう。人間の居住地としてはおよそふさわしくないような気さえしてくる。
暫くすると、馬が嘶いて車が止まった。前方の幕が上がり、御者の男が顔を差し入れる。
「着いたぞ。降りろ」
「……はい」
まだ寝ていたククを毛布から引っ張り出し、馬車を下りる。するとそこは森のど真ん中だった。建物はおろか平地すらない。辺り一面、鬱蒼と茂る木々に覆われてしまっている。けれど道はここで途切れていて、完全な行き止まりとなっていた。状況を呑みこめない俺たち奴隷は、冷静な大人たちを背ににわかにざわめき始める。やがてそのざわつきが頂点に達したところで、前方の馬車からチルが降りてきた。
「騒ぐな」
冷え冷えとした声が響いた。彼女は腰に手をやると、スウッと刀を抜き放つ。紫の輝きを帯びた刃が、その異様な存在感をあらわにした。淡い燐光を放つそれは、見ているだけで気持ちが遠ざかっていくようだ。魂が身体から抜けて、どこか空の彼方へ飛び去ってしまう。日本刀は芸術作品だと言うが、まさにそうだと思った。妖刀「村雅」。確かに、そう呼ばれるに値する何かがある。刀に宿る破滅的な美しさがそれを物語っていた。
「風迅・霧幻破風」
刃が新円を描いた。その直後、にわかに暴風が吹き荒れて周囲の霧が吹き飛ばされていく。その風圧は凄まじく、台風に直撃されたようだった。俺とククは互いに抱き合い、姿勢を低くしてどうにか吹き飛ばされないように堪える。
「おいおい、これが剣法か!? 凄い威力だな!」
「私もこれだけ強烈なのは初めて……!」
「……なッ!?」
霧が散ると、そこには壮麗な大建築の群れがあった。十メートルはあろうかという巨大な切妻の門。そこから伸びる白い築地の壁。その向こうには寝殿造りのような建物が幾重にも建ち並んでいて、遥か彼方には重層の塔も見える。顔を目いっぱい横に振っても、敷地の端を見ることすらできない。東京ドーム何個分とか、そのような表現がされそうなスケールだ。これほどの施設が全て隠されていたとは。驚きのあまり、言葉には形容しがたいような声が出てしまう。
「ようこそ霧海の里へ。お前たちにはこれからここで、一流のサムライになるための訓練をみっちりと積んでもらう」
「あ、ああ……」
「ちなみに逃亡は不可能だ。もし逃げると――」
チルはそう言うと、近くに落ちていた白いボールのような物を拾い上げた。彼女はそれをひょいとこちらへ投げてよこす。パシャンと乾いた音がして、その白い何かは砕け散った。その破片を見て、俺たちは色をなくす。それは、紛れもなく人骨だった。しかも頭蓋骨だ。
「こうなる。馬車に居る間、変な声を聞いた者も多いと思うが、あれはすべて獣か妖怪の声だ。このあたりのケダモノは恐ろしく凶暴でな、里の外へ出たら一瞬でお陀仏だよ」
「…………うああァ!?」
奴隷の一人が、恐怖のあまり恐慌状態に陥った。きつい旅を終えた直後なので、ストレスもあったのだろう。彼は何事か意味のわからないことを喚き散らすと、一目散に走り始める。すると、カチンと小気味良い金属音が響いた。たちまち生温かい液体が飛び散り、胴体が崩れ落ちる。ボトリ。嫌な音を立てて、丸い何かが転がった。血を滴らせ、地面を紅く染めていくそれは――首だ。ついさっきまで生きていた人間が、目の前で殺されたのだ。
「兄さんッ!!」
一人の少女が、奴隷たちの中から飛び出して行った。彼女は地面に転がった首を拾い上げると、必死に胴体へ通しつけ始める。そんなことをしても、再び首と胴体が繋がることなどありはしないのに。現実を受け入れられない少女は、ただひたすらに泣きながら首を押しつけ続ける。
虚無が満ちる。俺の心があらゆる感情を失い、無色になった。けれどそれは、すぐさま怒りの色に染められていく。それはある種の自己防衛だったのかもしれない。恐怖や悲しみを一時的にでも忘れるため、怒りと言う感情が選ばれただけなのかもしれなかった。けれどその瞬間、俺の頭の中は沸騰し爆発的な怒りのエネルギーが迸る。
「あのアマァ……!」
「待って!」
感情の赴くままに走り出そうとした俺を、ククが停めた。彼女は俺の脇から手を差し入れ、肩をがっしりと抑えつける。少女と言えど半妖なだけあって、彼女の力は相当に強い。身動きが出来なくなってしまった俺は、ただ鋭い目つきでチルを睨みつけることしかできない。
「ははは、ああいう奴がいるのは毎年のことだが、それに怒った奴は初めてだな。その意気やよし。……ま、とにかくお前たちはこんな理不尽で危険な状態にあると言うわけだ。これをなんとかしたければ、強くなれ。ただひたすらに強くなるのだ。憎め、恨め。憎悪は人を強くする――」
歌い上げる様に高らかな口調でそう言うと、チルは門の向こうへと消えて行った。それに引き続き、仮面の男たちもまた門の中へと入っていく。茫然と取り残される子どもたち。ククもまた、驚いて手を離してしまった。そんな中、俺は黙って殺された少年の方へと近づいて行く。汚れてしまった顔を見れば、俺と変わらないぐらいの年頃の少年だった。それが首と胴体を切り離され、直視に堪えない姿を晒している。
「……なあクク」
「何?」
「俺は、この額の痕が原因で捨てられた。お前は、妖怪の血のせいで差別された。俺たち、何にも悪いことをしてないまともな人間なのに」
「……そうね」
「こいつもきっと、そうだったんだろうな。普通の奴だったのに、こんな所へ買われちまったばっかりに殺されちまった。そんなのって、おかしくないか?」
「……何が言いたいの?」
「俺、いま思ったんだ。こんなふざけた世界は間違ってるって。変えなきゃいけないって」
俺は空を見上げた。そして天に向かって、声を限りに雄叫びをあげる。
「俺は必ず生き残る。そして、誰より強くなる! あんな女より強くなって、この世界を変えてやるんだ――!」
六歳の春、こうして俺は成り上がりと改革を決意した――!
前話じゃなくて今回の方が区切りが良かったかもしれません。
ともあれ、いよいよここから主人公の成長と成り上がりがスタートします。
※主人公たちの年齢を二歳増やしました。