第三話 奴隷少女
白壁の家々が建ち並び、瓦の波が遥か山際まで続く城下町。壮麗な天守を誇る紫城を中心として、八方に広がるこの町は大陸北西部の中心地である。活気あふれる通りに並ぶ建物はすべて背が高く、極彩色のネオンを輝かせていた。さらに家々の瓦の上を電線が蜘蛛の巣のように走るその様は、近世と現代が入り混じったような奇妙な風景である。通りを歩く人々の服装も、現代的な洋服と和服が融合したようなデザインをしていた。江戸時代がそのまま発展し続ければ、こうなったかもしれない――全体として、そんな雰囲気の町だ。
その町の大通りから、一本奥へ入った裏通りに桑名屋の店はある。やや間口の広い町屋のような建物で、表には「呉服桑名屋」と看板を出している。けれどその帳場の奥には座敷牢があり、俺をはじめとする裏の「商品」が数十名も押し込められていた。
奴隷たちは男と女に大雑把に分けられ、それぞれ五十畳ほどの広い座敷にまとめて入れられていた。座敷にはぼっとん式の厠と綿の抜けた薄い布団など、最低限の設備だけがあり、そのほかには何もない。ただ、商品である奴隷が薄汚いと思われることを嫌ったのか、衛生状態だけはしっかりしていた。座敷が汚くなってくるとちりとりや箒が中へ入れられ、掃除をするように命じられるのだ。さらに二日に一度、俺たち奴隷は井戸水での水浴びを強制されている。心臓が停止するかと思うほど冷たい水なのだが、おかげで最低限の清潔さは保たれているのでありがたい。
食事は日に二回。いずれも質素だが、驚いたことに雑穀ではなく米を喰える。なんでもこのあたりでは、雑穀の方が米より高く付くらしい。結果的にではあるが、父は嘘をついてはいなかったのだ。まあ、だからと言って許すつもりは全くないのだけど。
「いちッ、にッ、さんッ……」
商品である俺たちには、労働の割り当てなどは特になかった。そのため一日中暇で、時間だけはたっぷりある。俺はそれを活かして、毎日くたくたになるまでトレーニングに励んでいた。腹筋、背筋、腕立て伏せはもちろんのこと、座敷の広さを生かして軽いランニングも行っている。寝転がっている奴隷たちを避けながら、ひたすらに中をぐるぐると回るのだ。
「お前も随分と熱心だなぁ。飽きねーか?」
今日も今日とて腕立て伏せをしていると、後ろから呆れたような声が響いた。振りむけば、四十過ぎほどに見える男が、寝転がりながらへらへらと笑っている。彼の名はカクゾウ、ここの座敷のリーダー的な存在である。牢名主のような人間とでも言えばわかりやすいだろうか。桑名屋と緊密に繋がっていて、ここの奴隷たちをまとめて取り仕切っているのだ。
新入りである俺は、このカクゾウから何かと目を掛けられていた。もともとこの座敷に居る奴隷は、十五歳以上の大人が中心なので、まだ十歳にもならない俺が物珍しいのかもしれない。とにかく、俺は彼から何かとちょっかいを出されていた。
「身体を鍛えて損はないだろ? 何に使われるかわからないし」
「ははは、お前を労働目的で買う奴はいねーよ。どこぞの趣味人がそっち目的で買うのが落ちさ」
カクゾウは豪快に笑うと、腰を振るような仕草をした。まったく、下品な奴だ。というか、六歳児に言うような内容じゃないだろそれ。俺は顔をしかめると、止まっていた腕立て伏せを再開する。
「……それが嫌なんだよ。衆道なんて、死んでもやるか」
「そうかい。けどまあ、男同士とは限らんぜ? この間までハチってガキがここに居たんだが、すげえ美人の姉ちゃんたちに買われていったぞ。きっと今頃はあいつ、チ○コが痛くなるまで出してるだろうさ。ああ、チクショウ! 羨ましい……!」
「それはそれでなぁ……」
そういうシチュエーションは嫌いではないが、何故か全く気が乗らなかった。むしろ何かと大変なような気がしてしまう。前世の俺なら、全力でがっついていたはずなのだが……まだ身体が子どもであるせいかもしれない。
「あーあ。せめて良い女がここに居ればいいんだけどな。こういうときに限って、年増のババアぐらいしか居やがらねえ」
カクゾウはそう言うと、ちょうど真正面にある女奴隷たちの座敷牢を覗き込んだ。俺もそちらを見やるが、確かにカクゾウが言うとおり、少しとうのたったような女が多い。三十後半から四十ぐらいだろうか。ババアと言うのは失礼だが、おばさんたちである。今年の冬はどこも厳しかったらしく、多少年のいった女でも仕方なしに身売りしたようだ。
けれど良く見ると、その中に一人俺と同年代ぐらいの少女が居た。ぱっつんと切り揃えられた艶やかな碧の髪と、愁いを帯びた紅の瞳。肌の色は抜けるように白く、高く通った鼻筋とふっくらとした桜色の唇が神秘的な美貌を造り出している。総合して、物憂げな表情が似合う絶世の美少女だった。俺は思わず眼を見開くと、彼女の方を見据えてしまう。
少女は座敷の片隅で、膝を抱えて顔を下に向けていた。その周囲に人はおらず、さながら隔離されているかのようである。彼女のことが気になった俺は、不貞寝を始めたカクゾウに声をかける。
「カクゾウさん、あの子は?」
「あん……ああ、最近連れてこられた新入りみたいだぜ。深夜に連れてこられたからよ、その時お前は寝てたな」
「へえ……。凄い美人じゃないか」
「まあな。でもあいつはやめとけ、ほら」
カクゾウは少女の額のあたりを指差した。ちょうどその時、彼女の前髪が僅かに揺れて、その中に埋もれていた突起物のような物が露わとなる。それは角だった。親指の先ほどの小さなものではあるが、先の丸まった円錐形をしたそれは、確かに角である。廊下に置かれた篝火を反射して、象牙色の角がテラテラと輝いている。
「あれは……」
「鬼の子だよ。あまりかかわらない方が良いぜ、半妖の子とかかわると魔がうつるって言われてらァ」
そう言うと、カクゾウは少女から目を逸らして奥の方へと引っ込んでいってしまった。半妖か……そう言えば、女たちからも彼女は避けられているように見える。きっと村での俺と似たようなポジションなんだろうな。俺は自身の額をそっと撫でた。俺の額の痕は、ここでは幼い頃に負った火傷の痕だとされていた。俺が売れなくなることを恐れた桑名屋が、奴隷や周りの人間たちにそのように事情を説明したのだ。以降、それを疑う者は特になく、俺はここの人間たちと打ち解けている。
けれど、一歩間違えばああなっていた可能性はあった。俺は壁に寄りかかり、一人で虚空を見つめている少女に何かしらのシンパシーを感じる。もしかしたらこれは、上から目線の同情かもしれない。だが、俺は声をかけずには居られなかった。
「ねえ」
俺が声をかけると、少女はゆっくりと顔を上げた。彼女は大きな目をぱちくりさせながら、しきりとあたりを見渡す。どうやら、久しぶりに話しかけられたので驚いているようだ。
「こっちだよ、こっち」
「あなた……?」
俺の存在に気付いた少女は、お尻を浮かせてゆっくりとこちら側へやってきた。鉄格子の隙間から、紅い瞳が覗く。それは無垢な光に満ちていて、ピジョンブラッドのルビーのように美しかった。どこまでも静かで、穏やかで。その輝きに俺は思わず息を呑む。まだ幼い少女だと言うのに、どこか完成された美貌がそこにはあった。
「何で、呼んだの?」
「いや、一人で寂しそうだったから」
「そう。でも大丈夫、慣れてるから」
少女はそっけない様子でそう言うと、また奥に引っ込んでいこうとした。おいおい、これはいくらなんでも酷いんじゃないか? 俺は慌てて、彼女の背中を呼び止める。
「待って! どうして行っちゃうのさ?」
「私はあまり人とおしゃべりしちゃ駄目なの。あとでみんな、嫌な顔するから」
俺から視線を逸らすと、少女は哀しげに眼を細めた。なるほど、そういうことか……。あとで彼女のことを知った人間たちは、みんな彼女から離れて行ってしまうんだろうな。俺は大体の事情を察すると、不器用ながらも精いっぱいの笑みを浮かべる。
「ははは、俺はそんなことしないよ! だから、もうちょっと話そう? 時間だけはいくらでもあるんだし」
「本当にしない?」
「しないしない、絶対にしないよ」
「なら……」
少女は再び鉄格子の前まで移動すると、そこにちょこんと腰を降ろした。彼女は格子に手を掛けると、その隙間から顔を差し出すような姿勢を取る。
「何から話す?」
「そりゃあ、自己紹介からだよ。俺はささ……いや、小五郎。君は?」
「私は――」
少女は重い鉛でも吐き出すかのように、一拍の間を置いた。白く細い喉が、クッと息を呑む。そして――
「ククよ。よろしく」
そう言うと、ククは満面の笑みを浮かべた。どこかぎこちないが、少女の精いっぱいの思いが詰まったそれは、さながら大輪の花が咲いたようである。先ほどまでの冷徹で拒絶的な美しさとは異なり、あらゆるものを包み込むような優しさがそこにはあった。
これが、今後長い付き合いになるククとの最初の出会いであった――。
※主人公の年齢を六歳に変更しました。