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第二話 濡れた土の味

 時は足早に流れ、五歳になった。

 身体はだいぶ成長して、今では歩くことはもちろん走ることもできる。舌足らずではあるが言葉も万全だ。この世界の文字は漢字仮名交じりの日本文なので、読み書きも全く問題ない。俺自身の成長は今のところ非常に順調だと言えた。


 けれど、俺自身を取り巻く状況は悪化の一途を辿っていた。最近では元々住んでいた部屋を追い出されて、屋敷の端にある納屋へと押し込められてしまっている。去年、弟が生まれたのがいけなかった。それまでは家で唯一の子どもだったため最低限守られていたのだが、もはやお構いなしである。俺に何かあったとしても、弟が家を継げば良いということだろう。


「せいっ! せいっ!!」


 まだ日も浅い早朝。俺は結構な広さのある納屋の中で、必死に木刀を振るっていた。これがここ半年ほどの俺の日課である。他にも腹筋、背筋、腕立て伏せと納屋の中で出来る鍛錬は大体こなしていた。本当は走り込みもできると良いのだが、さすがに屋内では出来ない。庭に出れば出来るんだろうが――親には鍛えていることを知られたくなかった。ただでさえ嫌われているのに、これ以上おかしな子どもだと認識されたら本当に何をされるかわからないからな。


「ふう……」


 良い汗をかいた。俺は木刀を壁に立てかけると、ボロで額の汗をぬぐう。半年間みっちりと訓練を積んできたおかげで、木刀がそれなりには振えるようになってきた。最初は持ち上げることすらやっとだったのが、今では数十回単位で素振りが出来る。さすがにビュンビュンと風を切るまではいかないが、五歳児にしては良くできる方だろう。それ以外の体力も伸びているので、このままいけばアスリートも真っ青の身体能力が手に入りそうだ。


 しかし、それはあくまで将来の話だ。現段階ではちょっと強い子どもというだけでしかない。大人が相手ならばまず勝ち目はないだろう。運動不足でメタボなおっさんにすら、今の俺は勝てないに違いない。大人と子供の体格差と言うのはそれほどに大きいのだ。何かしら超能力でもあれば話は別なのだろうが――今の俺は、そう言った物は全く使えなかった。


 この世界に魔法はない。

 代わりに剣法や剣術と言った刀を用いた戦闘技術が発達しているそうだが、田舎在住の上に半ば隔離された状態にある俺は、それらについて聞いたことしかない。もし使うことができればこれから生きて行く上で大いに役に立ちそうだが、まあ習得するのは難しいだろう。特定の流派によって技術が秘匿されているそうで、村全体でも使える者は一人もいない。自宅にほぼ軟禁状態となっている俺が習得するのはまず不可能だと言っていい。


「寒いな……」


 季節は夏だと言うのに、朝方はずいぶんと冷え込む。鍛錬を終えて汗を掻いた身体が、にわかに強張った。戸の隙間から吹き込む風に鳥肌が立つ。元々寒冷な地域というのもあるが、これはさすがに寒過ぎだろう。平均気温が良くわからないので何とも言えないが、相当な冷夏なのかもしれない。このあたりは稲作だ。米は寒さに弱いから、収穫が落ちて大変かもしれないな……。


「この歳で飢えるのはなぁ……」


 身体の基礎が出来る時期で飢えると、大人になってから病気になりやすくなると聞いたことがある。ただでさえ医療など発達していなさそうなこの世界で、虚弱体質なんてすぐに死んでしまうだろう。せっかくの第二の人生、すぐに病死なんて嫌すぎる……。


「小五郎、ご飯ですよ」


 納屋の戸がコンコンと叩かれ、母が顔を覗かせた。相変わらず、俺を見るその目は実に冷え切っている。彼女はやがて俺から眼を逸らすと、手招きだけして歩き去ってしまった。俺はやれやれと思いつつも、そのあとを追って納屋を出る。


 何故俺がここまで嫌われるのか。それはこの世界の伝承が関係している。この世界には妖怪と呼ばれる化け物が居て、それと人間が交わると、身体のどこかに印を持った異形の子どもが生まれるというのだ。おそらく、俺の父や母はこの伝承を真に受けて、俺のことを妖怪の子どもだと思い込んでいるらしい。額の痕はその証と言うわけだ。実際、転生者なのであまり子どもらしくないというのも、その思い込みに拍車をかけているのだろう。


 俺からしてみれば、あんたら二人が子作りした結果だろうがといってやりたくなるのだが、こういう迷信と言うのは存外に根が深い。前世でそれは散々味わってきた。まして、ここは日本よりずっと未開の異世界。それをどうにかしようと言うのは並大抵のことではない。はっきり言って俺には、せいぜい親の機嫌を取ることぐらいしかできないだろうな。後世の人々に期待と言ったところだ。当事者として、実に歯がゆい限りだけど。


 座敷に入ると、すでに俺以外の家族は揃ってご飯を食べていた。一番奥に父、その隣に弟、さらにその隣に母さんという順番で食卓に付いている。上流の家庭では家族のそれぞれにお膳を用意するそうだが、貧乏人である俺の家では大きなテーブル一つで済ませていた。ただし家族の序列を現す席順は厳格に守られ、さらにメニューもきっちり区別されている。


 例えば、俺に用意されているご飯はほぼ雑穀なのに対して、母さんは半々、嫡男の弟は三割、当主である父はほぼ混ぜ物なしと言った具合になっている。栄養的には雑穀の方が良いらしいので不満はないが、同じ家族なのになかなか酷い差別だ。特に俺の場合、ご飯が違うだけでなくおかずも他の家族と比べて明らかにランクが落とされている。序列三位の母さんと最下位である俺の間には、超えられない壁があるようだ。


 けれど文句を言っても仕方ない。俺はうっすい味噌汁を啜りながら、無言でご飯を口に入れて行く。するといつもは俺のことなど全く気にしない父が、珍しくこちらの方へ視線を向けてきた。


「のう、小五郎よ」

「なんでございますか?」

「そなた、米が食いたいか?」

「はい?」


 俺は一瞬、父の言葉の意味がわからなかった。箸を動かす手が止まり、茶碗を持ったまま静止してしまう。すると母さんが、にわかに顔を曇らせる。


「あなた、いくらなんでもそれは体裁が悪うございます。私は反対です」

「だがなあ、このままでは持たんだろう。今年もこの調子では……」

「落ちぶれたとはいえ、当家は数百年の歴史がある名家。みっともないこと真似できませぬ!」


 母さんはいつになくヒステリックな声を上げた。生まれてこの方、初めて聞いた母さんの怒鳴り声である。俺のことを嫌ってはいても、元々気性が穏やかな人だったらしく、激しく怒鳴り散らすようなことはこれまで一度もなかったのだ。そんな母さんが、顔を歪めて怒りを露わにしている。これはよほどの大事と見て良いだろう。しかし、父はそんな母さんの様子に眉をしかめると一喝する。


「うるさい! そなたは黙っておれ! 家のことはわしが決める、女は口を出すな!! ……して小五郎、先ほどの続きだがお前は米を喰いたいか?」


 俺の顔を黙って覗きこんでくる父。その刀の切っ先のようなのっぴきならない気配に、俺は彼が何をしようとしているのかだいたいの察しが付いた。おそらく、家の状況が苦しくなってきたので俺を里子か何かに出すつもりなのだろう。さて、どう答えるべきか……。俺は必死で頭をひねる。けれどこの状況では、答えなど決まっているも同然だった。


「……そうですね、できれば」

「そうかそうか! では、冬になったら米が喰えるところへ連れて行ってやろう! 期待して待っておれよ」

「はいッ!」





 そうして数カ月が過ぎ、冬がやってきた。誕生日が秋に来たので、六歳の冬である。

 夏場に予想した通り、収穫は乏しく我が家の食糧事情は悪化の一途を辿っていた。今では父さんも雑穀混じりのご飯を食べている。それも茶碗に半分ほどで、俺に至っては粒の数を数えられるんじゃないかと言うぐらい少ない。子どもだと言うのに手足が細くなってしまって、かなりまずい状態だ。鍛錬の量を減らして何とか凌いでいるが、すぐに状況を改善してもらわないと飢え死にもありうる。


 そんな折だった。普段は外出を許さない父が、急に自ら俺を外に連れ出したのである。いよいよ、俺が里子に出される日が来たらしい。俺は覚悟を決めると、ここ数年間潜ったことのなかった門を超えて村へ出る。収穫が終わった村は閑散としていて、これからやってくる厳しい冬に備えてひたすら耐え忍んでいるかのようだった。通りや田畑に人はなく、それを取り囲む山々もすでに紅葉が終わって、白く枯れた木々ばかりとなっている。このさびしい限りの村の様子が、現在の俺の状況と重なって何とも言えない感傷的な気分となった。俺は顔を下に伏せ、黙って父の背中を追う。


「お、見えてきたぞ」


 さびれた村の通りを歩くこと数分。村の入り口付近に、大きな馬車が停められているのが見えた。その脇には派手な色彩の着物を着た、見るからに金回りの良さそうな男が立っている。贅肉でたるんだその腹が、今の俺には何ともうらやましい限りだった。彼が、俺の里親だろうか? 何だかひどく嫌な予感がするが……もう時すでに遅し。


「桑名屋どの!」

「おお、これは佐々山様ではありませぬか。お久しゅうございます」

「うむ。お前が来るのを待っておったぞ。少し、買ってほしい物があってな」

「ほうほう。お着物ですかな? それとも、装飾品か何かで?」

「いや、そのだな……。そう言った物ではなく、お前でなければ扱えぬ物だ」


 父がそう言うと、桑名屋はスッと俺の方に視線を下げた。彼は一瞬、鋭い目つきをして俺の身体を見回すと、再び父の方へと視線を戻す。


「なるほど、わかりました。ここではお話がしにくいでしょう、ささ、馬車の陰へ」

「すまぬな。小五郎はここで話がすむまで待っておれ。くれぐれもどこかへ行くでないぞ」


 人目をはばかるようにして馬車の陰へと消えた桑名屋と父。これは……! まさかそこまではしないだろうと思っていたが、親父のやつ、俺を売るつもりだったのか! クソ、なんで油断してたんだ。今までの親父の様子からすれば、こうなることもあり得なくはなかったのに! クソ、クソクソクソ――!


 頭が爆発しそうな気分だが、とにかく逃げなければ! 俺は急いでその場から駆け出そうとした。だがそんな俺の前に、二人の男が立ちふさがる。腰に刀を携えた彼らは、筋骨隆々としていてとても並みの人間には見えなかった。眼光もいやに鋭く、気配がどことなく違う。


「坊主、どこへ行くんだ?」

「えっと、用を足したくなって……」

「なら俺たちが付いててやるよ。大か、小か?」


 言葉に詰まってしまった俺。そんな俺に、男たちはほれほれどうしたと尋ねてくる。その顔には下卑な笑みが張り付いていた。既に、俺の考えなどわかっているようだ。どうすれば……俺は必死に思案を巡らせるが、妙案などそう簡単には出てこない。そうしているうちに、馬車の陰から父と桑名屋が出てくる。


「いやはや、実にありがたい。これで今年も冬を越せる」

「なんの、私と佐々山様の付き合いではございませんか」

「これからもそうありたいものよ。では、わしはこれにて失礼する。小五郎よ、達者で暮らせよ」

「父さん、父さんッ!!!!」


 俺は走り出すと、遠ざかっていく父の袖にしがみつこうとした。だがその身体を、男たちががっしりと捕まえてしまう。いくら鍛えているとはいえ大人と子ども、しかもここ最近の俺は飢えている。情けないまでにあっさりと抑え込まれた俺は、何の抵抗もできず、その場でただただ絶叫した。そのとき口に入った土の味は、涙に濡れてしょっぱくて、この上なく屈辱的だった。


 こうして六歳の冬、俺は寒空の下で奴隷となった――。

※主人公の年齢を修正

三歳→五歳にしました

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