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第九話 妖気

 やがて姿を現した妖怪は、美しい女の姿をしていた。腰まで伸びた艶やかな黒髪。雪を思わせる純白の肌。白い衣をたっぷりと押し上げ、大胆に谷間を晒す豊かなふくらみ。長い睫毛に彩られた深紅の瞳と、ぷっくりとした桜色の唇は、妖艶な色気を湛えている。ただ一つ人と違うのは、その前頭部から白い角が長く伸びていること。磨き抜かれた刀のように輝くそれは、実に寒々とした不気味な存在感を放っている。


 背筋が凍えた。本能的な恐怖を感じる。人間と変わらぬ姿をしているはずの女怪が、さながら天を衝く巨人のように感じられた。何と言う圧倒的な存在なのだろう。俺なんて、虫を払いのけるように殺されてしまうに違いない。恐い。恐い恐い恐い――!


「小僧に小娘か。娘の方が、柔らかくてうまそうじゃの」


 タッタッタッとテンポよく歩いてくる女怪。彼女は振り返った状態で動けなくなっているククの顎に手を掛けると、スウッと下から上へ撫で上げる。その様子は優美で、退廃的な色気を感じさせた。が、今の俺には恐怖の対象としてしか見えない。クソ、動け! 早くククを助けなければ……!


「はな……れろ……!」

「ん? 何か言いたそうじゃのう。ひょっとしてこの娘はお前のこれか?」


 女怪はカラカラと笑うと、右手の小指を突き上げた。目元をいやらしく緩めたその様子は、何とも愉しげだ。俺を嘲笑して楽しんでやがる――! 悔しさで頭が一杯になるが、一向に身体が動いてくれない。もどかしさばかりが加速していく。心は爆発しそうだというのに、俺ができたのは「うっ! うっ!」とうめき声を漏らすことだけだ。クソ、クソクソクソ……!


「情けないのう、小僧。この肌に触れることすらできぬか。はははッ!」

「う……おおッ!!」


 全身が石化したように動きづらい。だが、動くしかなかった。ククを助けなければ。こいつを倒さねば。熱い思いが徐々に凍ついた身体を溶かし始める。腕が僅かに動くようになった。俺は腰の刀に手をやると、どうにかこうにか抜刀して構える。


「驚いた、動くのか。どれ、かかってこい」

「はああッ!」


 笑いながらこいこいと指を振る女怪。俺は一歩足を踏み出すと、勢いよく刀を振り下ろした。けれど、その御世辞にも滑らかとは言い難い攻撃はひょいとかわされてしまう。


「ほれほれ、もっとやらぬのか?」

「なにクソ……!」


 無理やりに身体を動かし、その後もどうにか攻撃を続ける俺。けれど、全く勝負にならない。こいつ、俺の攻撃を完璧に予想しているのか? 最小限の動きで俺の攻撃をかわしていくその様は、さながら未来でも見えているかのようだった。チッ、レベルが違い過ぎる……!


「そろそろ飽きたの。ほれ」

「あぐァ!」


 軽い調子で振り下ろされた手刀。しかしそれは驚くほど鋭く正確に、俺の首筋を穿った。激痛。俺はその場に立っていることすら辛くて、思わず膝をついてしまう。


「さて、お前から先に喰うとするか」

「やめて!」


 不意に聞こえたククの声。それは小さかったが、きちんとした言葉になっていた。女妖怪はほうっと感嘆したように息を漏らすと、彼女の方へと振り向く。


「ほう、そなたもその状態で話せるのか。見たところ半妖のようだが、なかなかやるのう」

「私を……舐めるなッ!」


 ククの角が黄金色の光を放った。その瞬間、硬直していたはずの彼女の身体が勢いよく躍動し、女怪の脇腹めがけて強烈な一撃を放つ。とっさのことで防御が遅れた女怪は、それをまともに食らった。細い身体がぐっとくの字に曲がり、足がたたらを踏む。


「バカな、それにこの気配は……」

「うおりゃァ!!」


 戸惑ったような顔をして、反撃をしない女怪。その隙をククは見逃さなかった。彼女は普段は決して見せないような凄みのある顔をすると、咆哮を上げながら抜刀する。刀気に満ち、黄金色の輝きを帯びる刃。それが女の身体を目がけて一気に振り下ろされた。


「ふんっ!」


 振り乱された着物の袖と、刀が真っ向から衝突する。炸裂する火花。激しい金属音が響き、刀の方が払い飛ばされた。その衝撃でククはバランスを崩し、僅かな隙を作ってしまう。その間に女怪はククとの距離を詰め、その襟元をしっかと掴んだ。


「駄目ッ、思ったより強い……!」

「ク……ク……!」


 女怪の目つきがにわかに鋭くなる。これは……俺は、視界が暗くなるのを感じた。ククが殺されてしまう。ずっと一緒だったのに。これからも一緒だって約束したのに。ククが、ククが……! 絶望が際限なく膨らみ、心が闇に呑まれていく。俺は刀を杖代わりにして重い体を引きずると、どうにかそれを阻止するべく女怪のもとへと歩み寄る。ククを、ククを守らなければ……! 思いが少しずつ身体を加速させていく。


「ククゥ……!」


 するとその時だった。場の雰囲気を一変させるような、穏やかな声が聞こえてくる。


「良く見ればこの顔立ち、この懐かしい気配……そなた、もしや鈴鹿様の娘か?」

「……そうよ。だけど何か」

「おお、やはり! これは失礼を致した」


 女怪はさっと身を引くと、ククに頭を下げた。彼女の指がパチンっと弾かれる。たちまち、俺の体を押さえつけていた不可視のエネルギーが消えた。俺はよろとバランスを崩しつつも、ククの方へと走りより、その身体をグッと抱きしめる。


「クク、大丈夫だったか!?」

「ええ、まあ。それより、一体なぜ?」


 ククは女怪の方を見ると、首をかしげた。すると女怪は穏やかな笑みを浮かべて、彼女に語りかける。


「うむ。私の名は朱音、かつて鈴鹿様の側仕えをしておった――」



 朱音と名乗った妖怪の話を総合すると、こうだった。

 彼女はかつて、この霧海の森から遥か北方にある鬼々島と呼ばれる隠れ里で、ククの母親である鈴鹿という鬼のもとに仕えていた。朱音が言うには、鈴鹿は女ながらも鬼々島の里長として、それはそれは見事な善政を布いていたそうだ。その時点では朱音や里の鬼たちも特に殺しなどせず、非常に穏やかに暮らしていたらしい。けれど今から八年前、サムライたちが里を襲撃した。これによって里は壊滅し、見目の麗しかった鈴鹿はサムライたちに連れ去られたと言う。


「ここからは噂だが、鈴鹿様はそのすぐ後にサムライの子を孕まされそうじゃ。生き残った私はずっと、各地を転々として鈴鹿様やそのお子を探していたのだがのう……クク、そなたがそのお子であるようじゃ」


 朱音はふうっと息を漏らすと、瓦礫に腰掛けたククの顔を見た。俺もまた、そうなのかと確認する意味でククの顔を見る。すると彼女は、普段はなかなか見せないような戸惑った顔をした。


「私、何も知らなかった……。父さんは、母さんのことを何も話さなかったから……」

「無理もないの。あのサムライどもは、我らのことを盗人と嫌っておったからな」

「盗人?」


 思わず俺がそう問いかけると、朱音は心底忌々しげな顔をした。唇をグッと噛みしめたその表情は、まさに鬼だ。先ほどまでの恐怖がよみがえった俺は、腰かけていた大きな瓦礫からずり落ちてしまいそうになる。


「ふん、我らからしてみれば謂われのない話であるがの。そなた、神刀を知っておるか?」

「はい、まあ……」


 神刀――正式な名を七天神刀というそれは、今から千年前、七人のサムライによって造られた別天神の力を封印した刀である。その名の通り全部で七本存在し、それぞれに銘が与えられている。これらは単体でも他とは別格の力を持つ最高峰の妖刀とされているが、何より恐ろしいのは七本すべてを揃えると別天神が蘇るという点である。そのため本来は、七人のサムライが創設した七つの流派にそれぞれ一本ずつ、大切に受け継がれていたのだが、長年の戦乱によって流派が途絶えるなどして、今では何本かが行方知れずであるとされている。


「実は、鬼が島は神刀の一振りを百年ほど前から保管しておったのじゃ。無論、奪った物ではない。先の大戦の折に、人間の醜さに嫌気が差したサムライがおってな。そやつが我ら鬼の一族に、刀を守ってほしいと預けて行ったものじゃ。それを人間どもは、勝手に奪った物だと断じての」

「なるほど、それで盗人と」

「うむ。八年前の襲撃も、刀を持っていることがばれたのが原因じゃったわ。あれは春のことだったかの、急に刀がおびただしい刀気を放ち始めてな。それにつられてサムライどもが次々と押し寄せてきて……。我らを盗人と呼ぶのであれば、あのときの自分たちの方がよほど盗人であろうに……」


 朱音は深い深いため息を漏らした。まったく、どこの世界でも人間は業の深い生き物であるようだ。俺も今世での数々の出来事を思い出して、思わず肩を落とす。シチヘイたちには災難だったが、朱音が人を襲うようになってしまったのも、無理はないことかもしれない。かといって、そのことについては彼女を許す気にはなれないが。


「……さてと、そろそろ夜が明けるの。して、そなたたちはどうする? また里へ戻るのか? 私がしばらく面倒を見てやっても良いが」

「そうだなぁ……」

「うーん……」


 朱音の申し出に、俺とククは顔を見合わせた。このまま彼女についていけば、安全に里を抜けることが出来るだろう。間違いなく追手が放たれるだろうが、朱音の実力であれば遅れを取ることもあるまい。俺たちは風迅流から解放されて、晴れて自由の身となることができる。けれど……


「……俺は、里に戻るよ」

「何故じゃ? あの里はそなたにとって生き地獄のような場所であろうに」

「あの里にはまだ学ぶべきことがあるんだ。俺はもっともっと強くならなきゃならない! それに、あのチルって宗主も気に入らないからな。一発ギャフンと言わせてからでなきゃ、里は抜けない」

「……小五郎が戻るなら、私も戻るわ」

「な!? お前は別に、逃げてもいいんだぞ。付き合う義理なんてない」


 俺がそう言うと、ククは俺の顔をジロリと睨んできた。彼女は口を小さく開くと、はっきりとした口調で言う。


「どこまでも付き合うって言ったはず。それにあなただけ強くなるなんて、許さないわ」

「クク……! でも、朱音さんはきっとお前のことを――」

「小五郎だからいいのよ、小五郎だから」


 そう言われて、俺は言葉に詰まってしまった。胸がいっぱいで、何と言ってよいのかわからない。今までククは、「自分に構ってくれる人」ということで俺についてきていたはずだ。少なくとも俺はそう捉えている。けれどこれは、はっきりと俺のことを意識した言葉だ。今までのとは明らかに質が違う。俺は照れなのか何なのかは分からないが、思わず顔を紅くしてしまった。するとここで、朱音が高らかに笑う。


「はははッ! 熱いのう。しかしよう言った、逃げぬのは立派じゃぞ」

「ど、どうも」

「ふふ、そなたらにこれをやろう。持っていくと良い」


 朱音は懐に手を伸ばすと、金色の腕輪を二つと鈴を一つ取りだした。彼女はそれを俺たちの方にひょいと投げてよこす。受け取ってみると、なかなかどうして立派な品だ。特に腕輪は、紅い玉がいくつもはめ込まれている上に鬼の顔を模したような精緻な細工が施されている。


「それは御妖輪という宝具じゃ。それがあれば妖気の制御がしやすくなる」

「待ってくれ、ククはわかるけどなんで俺にもくれるんだ?」

「なんだ、気づいておらぬのか。そなたの身体からも量は少ないが妖気が溢れておるぞ」

「えッ!? 俺は生粋の人間だぞ、そんなはずはない!」

「そう言われてもの、実際に出ておる物は出ておるとしか。どれ、その御妖輪を早速つけてみると良い。もし無駄な妖気が出ておるのであれば、それで多少は動きやすくなるはずじゃ」

「あ、ああ……」


 半信半疑ながらも、俺は朱音に言われるがままに御妖輪を腕にはめてみた。すると、確かに体が軽くなったような気がする。常に身体に感じていた僅かな重み。これを俺は、ずっと筋肉の酷使による疲労だとばかりに思っていたのだが……そうではなかったようだ。現に今、身体全体が非常にすっきりとしてすこぶる体調がよくなっている。


「そんな、何で俺に妖気が……!」

「さあのう。だが、悪いことではあるまい。妖気が使えればいろいろ役に立つからの。では、私は行くか」


 そう言うと、朱音は再び遺跡の奥へと戻っていこうとした。俺は彼女を見送ろうとして、ここでふと思い出す。


「あ、ちょっと待ってくれ!」

「なんじゃの?」

「さっき朱音さんが殺した連中なんだけど……俺の知り合いなんだ。その……もし気が向いたらでいいから……弔ってやってくれないか? バカだけど、根っからの悪人ではないんだ」

「……花ぐらいはおいてやるかの」

「ありがとう! ほんとは人間のことなんて、大嫌いだろうに」

「別にいいのじゃ。そうそう、言い忘れておったが鈴の方は私との連絡用じゃからの。もし何か困ったことがあれば、思いっきり振るが良い。では、今度こそまたの」


 そう言うと、すたすたと歩き始める朱音。だんだん小さくなっていくその姿に、俺たちが手を振ると、彼女はニッと笑って手を振り返した。始めに見た時とは違う、見ていて気持ちのいい頬笑みだった。こうして俺とククは彼女の姿を見送ると、拠点に戻るべく遺跡を後にする。


「妖気か……上手く使わなきゃな」


 何の因果かは分からない。けれど、この手に力があると言うのならば、使わない道理はないだろう。俺は強くならねばならないのだ。まだまだ、もっともっと。誰よりも――!


「よし、クク。里に戻ったら、夜の間に少しずつ妖気を扱う練習もしよう!」

「ん、わかったわ」


 こうして俺たちの討伐演習は、大きな収穫と共に終わったのであった――。

※思うところがあり、小五郎の戦闘シーンを加筆修正しました。

よろしくお願いします。

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