【118 竜の山脈(六) ~二つの声~】
【118 竜の山脈(六) ~二つの声~】
〔本編〕
白い仮面の騎士も躊躇していなかった。ヴァイスドラゴネットの手綱を引き、ハクビに正対するように向きを変え、ヴァイスドラゴネットを駆った。
両ドラゴネットは、吠え続けながらお互いの距離を縮める。
「グワァァァ~!」ハクビのドラゴネットが大きく叫んだ。
ハクビの乗った狂気のドラゴネットの首筋にヴァイスドラゴネットの鋭い牙が深々と突き刺さったのである。狂竜の断末魔の叫びであった。
狂竜の首の骨が砕かれる音が山々にこだまし、勝負はこれで決したかに見えた。
しかし、ハクビはヴァイスドラゴネットが狂竜に噛み付いた直後、その狂竜から白い小型竜に飛び移ったのである。
まず、自分の武器である両斧を二本とも白い仮面の騎士に向かって投げ、その直後にハクビ自身がその騎士に向かって飛び込んだのである。
白い仮面の騎士は、ハクビの両斧を投げる行動に少々戸惑いながらも、両手に持っていた槍と剣で、それらの二本の戦斧をはじいた。しかし、その後にハクビが飛び込んで来ることなど全く予想もしていなかった。
ハクビは、その騎士に思いっきり体当たりをすると、そのまま右手で騎士の左腕をつかみ、左手で騎士の喉元を絞めたのである。ものすごい力であった。
白い仮面の騎士は、飛び込んできたハクビを攻撃したいが、左腕は掴まえられているので、その腕が握っている剣では攻撃出来ない。右腕は掴まれていないので自由ではあるが、右手が握っている武器は二メートルに及ぶ槍のため、槍の柄でハクビの体を叩く程度の攻撃しかできないので、あまり攻撃としての効果はない。
『剣』という近接白兵戦用の武器が封じられたのは白い仮面の騎士からしたら大きな痛手であった。
今、両者の状態といえば、白い仮面の騎士の両足がヴァイスドラゴネットの鞍についている鐙に引っかかって、後ろに反り返る格好になっている。
そしてその上にハクビが馬乗りになっているのである。白い仮面の騎士が自由に動かせるのは四肢のうち――四肢とは両手両足のことであるが――槍を持った右腕のみである。
「ううぅ~」白い仮面の騎士が低く呻いた。
ついに彼は一つの選択を実行に移した。
右手が握っていた――今は全く役に立たない槍を手から放した。そして、右手をハクビの背中から左側に回し、左手が握っている剣を右手に受け渡そうとした。
それに対し、ハクビは右足の踵で、騎士の剣を握っている左の拳に何度も蹴りを繰り出した。
右手に受け渡す前に剣を左手から蹴り放そうとしたのである。蹴られた左の拳はみるみる血が滲んできた。
白い仮面の騎士は首を絞められ、唯一残った武器である左手の剣も失いそうになり、まさに絶体絶命の状態であった。
その時である。
白い仮面の騎士の両足に引っかかっていた鐙が急に外れた。しかしそれは偶然ではなく、何者かの意志によるものであることにハクビは後に気づくのであるが……。
とにかく、鐙が外れたことにより、ハクビと白い仮面の騎士は白い小型竜の背中から転がり落ちた。二人はそのまま組んだ状態で雪原の中を転げ回った。それでもハクビは騎士の首と左腕を押さえている両腕の力を抜かなかった。
だがしかし、ヴァイスドラゴネットの背中から落ちたことにより、ハクビの背後をヴァイスドラゴネットが襲いかかるという可能性が追加された。そう判断した時のハクビの行動は迅速であった。
転げ回りながら白い仮面の騎士の上に馬乗りになり、右足で剣を握っている騎士の左拳を踏みつけた。
それにより、白い仮面の騎士の左腕を掴んでいた自分自身の右腕を解放させ、解放させたその右腕を自分の右肩の鎧の隙間に入れた。そしてそこに装備していた『ある物』を引っ張り出してきたのである。
それは、一本の短剣であった。柄の長さが五センチメートル。刃の長さがやはり五センチメートルの非常に短い武器であった。
ハクビの両斧に続く第三の武器であった。
柄の長さが短いため、右の親指、人差し指、中指の三本の指でしか掴めない。そして残りの二本の薬指と小指は、中指に揃えるのである。今回のように両斧が手元から離れた場合の予備の武器である超近接用の『短い刃物』であった。
しかしこの武器は、大きさや重さからして、鎧を貫通して、その内側の体に損傷を与えるような代物ではなく、鎧の隙間から、直接体に突き刺すようにできている。
今回、ハクビがクルツシュナイデで狙った部分は、ハクビの左手が押さえている白い仮面の騎士の首筋である。首筋の部分は、兜によって普段は守られているが、ハクビが下側から首筋を絞めている関係で、兜が持ち上がり、隙間から無防備な首が露わになっているのである。
ハクビがクルツシュナイデをこの騎士の首に突きたてようとしたまさにその時……。
「そこまでだ! ハクビとやら! それ以上は無用だ!!」という声が聞こえた。
ハクビの後ろから聞こえたその声は、女性の声であった。もちろん先ほど聞いた白い仮面の騎士の男性の声とは違う。
しかし、ハクビはその声が聞こえた途端、白い仮面の騎士の首を絞めていた左手から力を抜き、何の躊躇もなく、騎士から離れたのであった。息も絶え絶えになっている白い仮面の騎士の前に白い竜がゆっくりと近づいた。
その間にハクビは素早く自分が投げた武器である両斧を拾った。しかし、もうハクビからは戦闘の気が全く無くなっていた。
「どうやらお前には全てが分かっているという感じだな」先程と同じ女性の声であった。
ハクビはニコリと笑い、しかし何も答えずにいた。
「うぅ~いつから分かっていたのだ!」途切れ途切れの息遣いの男性の声であった。
どちらの声も白い仮面の騎士から発せられている。
これは、ハクビは知りようもない事柄であるが、この戦いの前にハクビの様子を『天眼』によって見ていた白い仮面の騎士から、独り言のように発していた二つの声色がまさに今聞こえている男性と女性の二つの声であった。
〔参考一 用語集〕
(人名)
ハクビ(眉と髪が真っ白な記憶喪失の青年。ソルトルムンク聖王国の人和将軍)
(竜名)
ドラゴネット(十六竜の一種。人が神から乗用を許された竜。「小型竜」とも言う)
(付帯能力名)
天眼・千里眼スキル(十六の付帯能力の一つ。超長距離にある物体、超極小の物体、超高速の動きをする物体、他の物体に遮断されて直接見ることのできない物体等を見ることができる能力)
〔参考二 大陸全図〕




