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だが、翔平が怒るより一瞬早く、リビングの扉が開いた。
「………ただいま。」
哲平が帰ってきたのだ。翔平を見て笑顔に変わる。
「やっぱり兄さんだったんだね。バイクが家の前にあったから、もしかしてって思ったんだけど。」
「久し振りだな、哲平。悪かったな、ずっと家を空けて。」
「ううん。」
微笑み合う兄弟に目もくれず、彗は部屋を、家を出て行った。
「………親父のことも、悪かった。」
「兄さん。それ、彗にも言った?」
「いや。言う前に家を出るとか、アパートを探す時間をくれとか言われて………。」
哲平は呆れ顔になった。
「兄さん。彗がいなかったら、俺一人でお父さんのこと、全部こなすのは無理だったんだよ?ちゃんとお礼、言っといてよね。」
翔平はため息をついた。
「……分かったよ。で、アイツはどこ行ったんだ?」
「アルバイトさ。家庭教師の。」
「ふうん。」
「平日の夜は家庭教師に行ってるんだ。女の子ばっかり。」
地元で最高の学力を誇る高校の生徒だ。しかも、相手が女の子であれば、この容貌が武器になる。アイツを喜ばせる為、醜い姿を見せない為、更に結果を出さないことで家庭教師を変えられない為にも、女の子達は必死に勉強するに違いない。だから親もバイト料をはずむのだろう。割の良いアルバイトかもしれなかった。
「………兄さん。彗を追い出すの?」
「まだ考えて無いが……。」
「なら、追い出さないで。」
翔平は弟を見つめ返した。
「俺さ、彗を見てると凄く可哀想になるんだ。だって、自分の父親が亡くなって、その財産目当てに親戚が雇った暴力団に追い回されて、挙げ句に目の前でお母さんが死んじゃったんだよ?この家に来て、相続放棄してからは狙われることも無くなったけど、親の命と財産、そして自分の居場所さえ奪われて、それなのに、自分のせいでウチの家族まで崩壊させたって責任を感じて、自分の人生も楽しみも、何もかも諦めてしまってる。じゃあ彗自身の幸せはどうなるのって、俺はいつもそう思うんだ。」
「ちょっと待て。暴力団に追い回されてってどういうことだ?」
哲平は少し微笑んだ。
「やっぱり知らなかったんだね?俺も、お父さんが兄さんにちゃんと話さなかったんじゃないかと思っていたけど……。彗のお父さんはパソコンのソフトで有名な株式会社根本の社長だったんだ。そのお父さんが亡くなった途端に、財産を狙う親戚筋が雇った暴力団に追われるようになって……。彗と彗のお母さんは逃げている途中、道路に飛び出してお父さんの車にぶつかったんだよ。」
「そう、だったのか………。」
「その結果、お父さんは望みもしなかった養子を迎えることになり、大切な長男も出て行くことになった、って、そう彗は思ってるんだ。だから、兄さんが帰って来たら、今度は自分が出て行こうって最初っから思ってたみたい。アルバイトもその為だよ。中学の間は新聞配達をやってた。校則違反にはならない唯一のアルバイトだからって。そうやって貰ったお金の一部を生活費にってお父さんに言ったけど、お父さんがいらないって言ってたから、多分全額貯金してるんじゃないかな。いつでも出て行けるように。一人になっても生活できるように。」
弟から明かされる事実に、翔平は目を伏せた。事故があった四年前は、彗は今の哲平と同じ小学校六年生だったのだ。まだまだ親の愛情も庇護も必要な年齢だ。多分、先程のやり取りも、自分の心を隠し、自分を嫌ってもらうことで、自分自身の未練も断ち切るつもりの行動なのだろう。そう考えると、翔平もこのまま彗を追い出してはいけない気持ちになっていた。
「解った。追い出したりしない。」
「………良かった。」
哲平もようやく安心したような笑顔になった。
「兄さんも帰ってくる?」
「その方が良いだろうな。お前のことも心配だし、それに、そうしなかったら結局彗はいずれ、自分で出て行ってしまうだろう?」
「うん。」
その後、翔平はアルバイトから戻ってきた彗を呼び付けた。
「彗。親父のことでは世話を掛けた。ありがとう。」
彗は瞳を伏せたまま、微かに頷いた。だが、それを無視するように翔平は言った。
「だが、言っておく。親父が亡くなった以上、この家の主は俺だ。今後、俺の命令は絶対だと思え。良いな?」
「……話した筈です。私はここを出て行くと………。」
「赦さない。俺もこの家に戻るから、三人でここで暮らす。以上。」
彗は驚いた表情で瞳を上げた。ここに来て初めて瞳を見た気がする翔平だ。
「ですが、私は。」
「却下。」
何か言い掛けた彗を、翔平は強引に押し止めた。そしてニヤリと笑う。
「横暴だと思うか?だが、今のお前の保護者は俺だ。お前は俺に従う義務がある。」