一章 『再会』と良く似た『何か』 五話目
Wrote:RIL
件の月の無い夜。
地べたに座り込み、ぶつぶつと何か呟きながら考え事を始めたベルクを前に、サヤはベルクと扉の外とを見て比べて少し迷った後、回廊の方に向かった。
回廊の片付けに向かったんだろう。ベルクの思案の邪魔をしてはいけないし、私もサヤに続こうとすると、ベルクに呼び止められた。
「リル」
ベルクは部屋の隅に置かれた机に向かい、羊皮紙に何事かを書いて私に渡した。
「初代ミア・フォルトの生家の住所だ。誰か使いが来るかどうか…何にせよ、変化があるまで暫くここに滞在してくれないか?」
見ると、セルリアの首都からは随分と離れた処だ。
しかし幸いな事に、汽車が通る街だから難しい注文ではない。
「この状況で俺がここを離れるわけにいかない…が、そっちもかなり事は重大だ。必要ならいくらでも呪言を使って良い」
視線が揺れた。
……ベルクは、嘘をついている。
意訳すると、本来なら呪言を使って欲しくない任務。ただし、呪言を出し惜しみするにはあまりにも危険な任務ということか。
私は、こくりと頷いた。
出来るだけ、ベルクの本心を優先しよう。
「とりあえず銀貨が10枚あればいいか……っと、一応金貨を1枚用意しよう」
ベルクはがさごそと机を漁り、幾つかの硬貨を準備する。
皮で出来た袋に入れて、手渡される。私が大きなお金を持たされる事は珍しい。
普段の買い物は、サヤの仕事だからだ。
「……まぁ、夜は汽車も動いてないから今夜は回廊の片付けだけどな……」
はぁ、とベルクは大きくため息をついた。
翌日、屋敷の片付けはサヤに任せ、ベルクは教会へと昨日の被害の報告に向かった。
「教皇の小言を聞きにわざわざこっちから出向くのが面倒だ」
と、ぶつくさ文句を言いながらも、とぼとぼと歩いていくベルクを見送ってから、私もサヤに向き直った。
指先で宙に描く。
『行ってきます』
「はい、行ってらっしゃい。気をつけて下さいね」
サヤは笑顔を浮かべて、左手で私の右手を取る。
私は左手でサヤの右手を取った。
両の掌を合わせ、目を閉じてお祈りをする。
「『エンゲージ』」
お祈りをすませると、軽く手を振って駅の方へと歩き始めた。
きっと、いつも通りサヤは私の姿が見えなくなるまで屋敷の前で小さく手を振り続けるんだろう。
それがわかるから、私は足早に駅へと向かった。
『ミアキャベルまで子供一人』
駅員は職業柄、全員筆談が通じるのが楽な所だ。ある程度教養のある人間しかなれない職だから、やれ喋れないのか何とかと詮索されて面倒な事も無い。
流石に、家出じゃないかとかあれこれと聞かれたが、「田舎へ祖母に会いに」という設定を貫いた。
子供料金でこのような施設が使えるのはありがたいが、こういう時にこの身体の不便さを感じる。
それに、いつもながらベルクは詰めが甘い。ベルクは司教なのだから、紹介状の一つでも用意してくれれば、鶴の一声でこんな面倒な詮索もされずに済むというのに。
銀貨を5枚渡し、お釣りに銅貨を2枚貰う。
確かに転移魔法を使う触媒代よりは安いとはいえ、大人の料金の半分でこれとはかなりの額だ。
この儲けの上前を教会がはねている事から逆算すると、ベルクの稼ぎがいかに安いのかが窺い知れる。
駅で暫く待ち、この駅に止まった汽車の行き先が逆方向ではない事を確認してから乗り込んだ。
ベルクはいやに汽車を気に入っているが、私はこのごつごつとした安い造りの椅子も、走るときの振動も苦手だ。
とはいえ三代目の時代に汽車があったら、おそらくはあの科学かぶれはベルク以上に私達を連れて無意味に乗り回るだろう。そこの所を考えると、変に付き合わされない分ベルクの方が大分マシかもしれない。
思わぬ所でベルクの良い所を見付けてしまった。
……いや、ベルクは先代に比べあらゆる点で劣っている。
そもそもこういう物を相手に、はしゃがない大人な精神を持ち合わせていないベルクがいけないのだ。
受け継いだ名に相応しくない破天荒なのは3代目と4代目だけで十分以上だ。
思い出すと、アレにつき合わされていた義妹が少々哀れに思えてくる。
ベルクも、はやく精神的に成長してくれないものだろうか。
考える。
無理だな。
アレはもう、何故何処が先代の目に適ったのかが不思議なくらいの男だ。
首都から辺境のミアキャベルまではかなり時間が掛かる。
うるさい騒音を鈴の音で私に届かぬようにして、眠りにつく事にする。
『おやすみ、サヤ』
いつも通り宙に描いてから、私は目を閉じた。
揺さぶられて、目を覚ました。
汽車の車掌が切符の確認に来たのだ。
自分で遮音をしておきながら、しばらく何故何も聞こえないのかがわからなかったのは、失態だ。
ベルクやサヤが居なくて良かった。
車掌に切符を見せ、筆談で現在地を聞く。
全く知らない地名を言われたのでミアキャベルまでの時間を聞くと、残り1時間かそこらという事だった。
眠るには短く、起きて待つには少々長い時間だ。
「おはよう、お嬢さん」
声を掛けられて気付いたが、汽車の座席の相乗りに妙齢のご婦人が座っていた。
私がこの汽車に乗った時には居なかったから、私が眠っている間に乗ったんだろう。
小さく会釈すると、何処から来たのかを聞かれた。
面倒を嫌って宙に描こうとしたが、少し迷った末筆談を選んだ。
セルリア公国の辺境は教会の力が余り強くない。魔法使いだという事をひけらかす事は無いだろう。
『メルラ』
「それはまた、随分遠くへ行くのね」
婦人は先ほどの車掌と私とのやり取りを見ていたのだろう。行き先は聞かれなかった。
私は、こくりと頷いた。
「私はね……」
穏やかな顔をしながら、婦人は私に自分の目的地や出身地、家族……特に、最近生まれたという息子の事を話し始めた。
私が喋らない事、筆談を多用する事から気を回して自分が喋る側に回ってくれたのだろう。
まだ小さいという婦人の息子を祝福したかったが、それはサヤの担当だ。逆の事しか出来ない私は、何もしない方が良いだろうと結論付け、作り笑いを浮かべながら時々相づちを打つだけに留まる事にした。
「そうだ、貴方にも分けてあげる」
半ばぼんやりと聞いていた為、話の繋がりを見失っていた。
「夏になると、常に太陽を向いて花を咲かせる不思議な花の種よ」
婦人はバックから細長い花の種を出すと、私に2,3粒分けてくれた。
「実は食べられるのよ、その種。殻を吐き出すのがちょっと難しいけれど」
『ありがとう』
婦人は笑いながら言った。
「お嬢さんはその年で落ち着いていて、しっかりしててお利口で偉いわね」
私は、苦笑しながら頷いた。
褒められたのは嬉しいが、こういう時に自分の年を言ってしまいたくなる衝動は何年経っても変わらない。
流れる外の風景を見た。
初代ミア・フォルトの眠る遺跡が、遠くに見えてきた。
ミアキャベルの駅で婦人に別れを言って、切符を駅員に渡して降りる。
初代ミア・フォルトとの直接の関わりすらある私も、その生家には行った事が無い。
もっと言えば、ミア・フォルトにあやかって付けられた名を持つこの街に来た事すら、無い。
何事にも例外は存在するものだが、ミアキャベルは辺境ではほぼ唯一、住んでいる人々が教会の魔法使いに対して友好的な街と言えると聞いている。
辺境には辺境のルールがある。
ここでは道中と違って気兼ねなく宙に文字を描いて『会話』が出来るので、かなり楽だ。
基本的に誰にでも習得出来る『文字描き』である。
少々驚かれこそするが、驚かれる内容は『文字描き』を扱う事よりも、それを扱う私の見た目の年齢に対して、だ。
首都のメルラ以上に、魔法使いに対して寛容なのが窺い知れる。
それにしても笑ってしまう。
道行く人々にミア・フォルトの生家について訪ねると、決まって返される返答。
ミアが不老不死だとか、全知全能だとか、魔物を2体使役しているだとか。
噂も案外馬鹿に出来ないものだ。しかし噂は所詮噂でしかなく、ベルクが全知全能などヘソで茶を沸かせる。
しかし私は100歩譲ってそうだとしても、人に祝福を与えるサヤを魔物呼ばわりとは良い度胸をしている。
駅から小一時間程歩き、ミア・フォルトの生家にたどり着くと、まず笑った。
完全に観光地化されてしまっている。
銅貨を一枚入れる料金箱が設置されているが、私はそれを無視して家の中に入った。
家の中は中で、家中にロープで部屋の中に観光道を造り、ミアが当時使っていたとされる家具が展示されている。
全体を見渡して、ミアの生家の様子を見ていてくれというベルクの依頼は最優先事項に変わり無いが、ミアの生家の中に住む事は無理があると結論付けた。
しかしコテージにはロープも無く、芝生の庭がある為、家に入らずコテージで生活をする事にした。
私は純粋な人間とは違うから、別にその位問題無い。
「……」
コテージから芝生の庭を見ていて、思い出した。
初代ミア・フォルトは何かの花の畑を造りたがっていた。
ただの一度だが、聞いた事がある。
畑と言うのにはあまりに小さいが、婦人に種を貰ったのも何かの縁だ。
それに、ただの飾りとしての意味合いしかない遺跡の方に置いてくるよりも、生家で咲いて貰った方が彼女への供養になるだろう。
私は、貰った3つの種のうち、2つを地面に埋める事にした。1つはベルクの屋敷で育ててみよう。
「……」
花の種を育てた事など無いから、いまいちどれくらいの深さで埋めたら良いかわからない。
適当に間隔を開けて穴を開け、種を入れて土をかぶせた。
祝言の一言でも言えたら良いのだが、それは生憎と私には縁遠い物だ。
この種には自力で頑張ってもらう事にしよう。
井戸を探して、ミアの生家からカップを一つ拝借し、水をかけてやる。
……私が手伝えるのはこのくらいだ。
「誰か使いが来るか何か変化があるまで」の、暇つぶしになるものを見付けた。
月が、顔を覗かせ始めた夜の事だった。
変化があったのは、土の中から芽が出た頃の事だった。
花に水をやって成長具合を確かめて、次は何をしようかと考え始めた時だった。
「あ、あぁ!ちょっとまって!」
背後から聞こえた声に、振り返る。
少女が、居た。
土色の髪の毛にキャスネット帽をかぶり、まだあどけない顔をした少女。
いや、そんなことは、どうでもいい。
手に持っていたマグを投げ捨てた。
今はその少女の外的特徴などに目を向ける時ではない。
少女に憑いたモノは……アレは、一体、何物だ!?
「あの、あなたがミア・フォルトさん?私-」
獲物を見付けて猛った『何か』に憑かれたまま近づいてくる少女を、私は鈴を使って制した。
不味い。
不味い。
不味い。
不味い。
不味い。
頭の中で警笛が鳴り響く。
なんだ?「アレ」は。あんなものに憑かれて、平然としているあの少女は何者だ?
私の所作に、少女は困惑しているようだ。
……少女が「アレ」を使役しているわけでは、ないようだ。
どうすれば良い?
私が相手をするには、危険すぎる相手だ。
闇が、濃すぎる。底知れない魔力と、殺気を感じる。
一目でわかる。この悪霊は、神格化された精霊と同等の力を持っている。
こんな街の中に、平然と居る事から想像つく。
こいつは、エサを見付けるまで、じっと少女の中に潜んでいたんだ。
私の持つ魔力に惹かれて正体を現した。
この私をすら兎のように捕食する、獅子だ。
「か、勝手に入っちゃってごめんね?でも、ちゃんと銅貨を入れてきたんだよ」
何事かを言いながら、少女が私に近づいてくる。
少女は何も気付いていない。
よほど強い抵抗力の魔力持ちなのか、異常な程に鈍感なのか、あるいはその両方か。
どちらにせよ今は、そんな事を聞いている状況じゃない。少女の言葉は耳に入れず、一歩下がる。
こんなもの、どうしようもないじゃないか。
サヤが居なければ、祝言で断ち切る事は出来ない。
……いや、サヤをこんな危険なモノにぶつけるわけにはいかない。
ベルクが居なければ、強引に倒す事も出来ない。
……いや、ダメだ。武芸に秀でた三代目ですら倒しきれなかったシーラ・ル・レッドよりも、余程不味い威圧感を放つ相手だ。
あの軟弱なベルクごときが一人居てもどうにかなるとは思えない。
ここにはあいつも居ない。
いつもいつも、大事な時に限って居ない奴だ。力はあってもそれが役に立った試しが無い。
この状況と、義妹を連想するように、不意に『血塗れシーラ』の一件を思い出した。
あの時と同じ。
神格化された精霊は伝承の中にある竜族と同じだ。人間がどうにか出来る領分ではない!
身体の震えが止まらない。
どうすれば良い?
どうすれば良い?
叫んではダメだ。声を発してはダメだ。『アレ』を攻撃する前に、少女が死んでしまう。
食いしばったはずの歯が、ガチガチと音を鳴らす。
生理的に流れる涙が、止まらない。
それでも、『アレ』から目を逸らすわけにはいかない。そいつは少女の肩口から、まるで脱皮でもするようにずるりと爬虫類の骸骨を象った半身を覗かせ、ケタケタと笑っている。
「え、えーと……お姉ちゃん怖い人じゃないよ?ちょっと、あなたのお母さんに用事があって……」
少女が……『ソレ』が、一歩、一歩と近づいてくる。
私は、じりじりと後ずさる。十分以上に、怖い人を連れているじゃないか!
「そ……そうだ、パン、食べる?美味しいのがまだ一つ残ってるんだよ」
今はそんな状況じゃない!
じりじりと後ろに下がる。
そのうちに、壁にぶつかって、逃げ道を失ってしまう。
反射的にそちらに目を向けると、出たばかりの芽を、片方踏み潰してしまっていた。
慌てて足をどけようとしたら、バランスを崩した。
「……ッ!」
「危ないっ!」
事もあろうに、少女が、その肩口から死神を覗かせ、私の腕を-よりによって鈴を持っている方の手を-掴む。
少女の腕を伝って、死が私の身体に這い寄ってくる。
「……ッ!」
ダメだ。声を上げては、ダメだ!
私の身体が、侵食されていく。
痛い。
痛い。
痛い。
「……あ……」
痛い。
痛い。
痛い。
「あぁ……」
痛い。
痛い。
痛い。
「あああああああああああああああああああぁっ!」
右腕が、勢いよく、『喰い千切られた』。
持っていかれた右腕を、死神が貪る。
しかし、無くなったはずの私の右腕が、手元にもある。
死神が腕を貪る度に、腕を喰われる鋭さも鈍さも解らない激しい痛みに、腕を振り回す。でたらめな呪言のこもった鈴が、鳴り響く。
助けて。
助けて。
助けて。
「あ、あの、ごめんね?お姉ちゃん別にあなたに何かしに着たわけじゃ……」
死ぬわけにはいかない。
死にたくない。
まだ、死んではいけない。
エンゲージを交わしたサヤを、残して逝くわけにはいかない。
私は、呪術師だ。
祝言のサヤとは違う。
人を呪い殺した事だって、ある!
リイィィン!
明確な意思を持って、呪う。
殺されるくらいなら、殺してやる!
何度も、何度も、ショックで死にそうな痛みを堪えながら、鈴を鳴らす。
「ああああああああああああああああああああっ!」
死んでしまえ!
死んでしまえ!
死んでしまえ!
鈴の音が鳴り響く毎に、目の前の少女から徐々に生気が失われていく。
死神が、私の腕を、とり落とした。
頭を押さえ、苦しみ始める。
瞬間。
腕の痛みが、殆ど嘘のように消え、ほんの一瞬だけ、冷静に。冷酷に。
私の意識が、一つに纏まる。
「滅せよ!」
明確な事の葉を、鈴の音に乗せて放つ。
死神は、苦しみながら少女の中にもぐり込んで行った。
少女は、人形のように……それこそ、本当に人形のように、どさりと倒れた。
肩で息を吐きながら、右手を見つめる。
在る。
指先も、動く。
痺れを残しながらも、痛みは残っていない。
さっきのは、幻覚だった……?
いや、奴は本物だった。確かに、そこに、『居た』ハズだ。
ありえない。一体どういう事だ……?
そこまで考えて、人としての理性を思い出す。
私は、何をやっていた!?
殺すべきを間違えて、何をしようとした!?
「……ッ!」
少女を抱き起こして、脈を測る。瞳孔が開いていない事を確認する。心の臓が動いている事を確認する。
「……」
私は、大きく息を吐く。
助かった。あの時と同じ過ちを、犯さずにすんだ。
少女は、生きていた。