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第7話 神バイトを見つけた

 月曜の夜、隆史は机の上に財布をひっくり返した。


 千円札が一枚。百円玉が三枚。十円玉と一円玉が少し。


 それだけだった。


「……終わってるな」


 思わず口に出る。


 昨日のうちに分かっていたことを、数字で見せられた感じだった。


 この体は、人体をいじるたびに肉を欲しがる。


 パンでは弱い。米でも足りない。


 噛んだ瞬間に、これは肉だと分かるものが要る。


 そのくせ、あの顔を作れば世界の反応が変わる。


 見られる。


 話しかけられる。


 空気が変わる。


 あれを知ってしまった以上、やめる気にはなれなかった。


「……働くしかないか」


 今のバイトを辞める気はなかった。


 お好み焼き屋には世話になっているし、香織さんにもかなり助けられている。


 だが、小さい店だから人も少ない。注文を取って、運んで、片づけて、鉄板まわりも見て、空いたら洗い物までやる。


 正直きつい。


 それでいて、まかないは粉もの中心だ。


 腹はふくれる。


 でも、違う。


 今の体が欲しがっているものとは、明らかに違った。


 スマホを開いて、バイト情報を検索する。


『高時給 学生歓迎』

『土日 バイト』

『食事つき バイト』

『まかない 多い』


 少し考えてから、さらに打つ。


『肉 食える バイト』


「最後のは違うだろ……」


 自分で打っておいて、少し笑った。


 だが、笑ってごまかせる話でもない。


 平日は大学がある。お好み焼き屋のシフトもある。だから増やすなら土日だ。短時間でもいいから、時給がよくて、できれば飯の出る仕事がいい。


 焼肉屋、居酒屋、弁当工場、スーパーの総菜。


 いろいろ出てくる。


 だが、時給が安かったり、場所が遠かったり、深夜ばかりだったりで、なかなかちょうどいいものがない。


 画面を見ながら、ふと鏡に目が行く。


 そこに映っているのは、いつもの小野隆史だ。


 人混みに立てば、簡単に埋もれる顔。


 今日学校で使った、あの宝塚みたいな顔じゃない。


 そこで、自然に思った。


 面接のときだけ、変えればいいんじゃないか。


 その発想は、自分でも驚くほどすんなり腹に落ちた。


 見た目で反応が変わる。


 それは今日一日で、嫌というほど分かった。


 なら、仕事でも使えばいい。


「……ありだな」


 小さく言う。


 そこに後ろめたさがないわけじゃない。だが、別に学歴を盛るわけでも、経験を偽るわけでもない。ただ、見た目を整えるだけだ。


 ……いや、それも十分おかしいけど。


 でも、この力を使うなら、それくらいはありな気がした。


 条件を少し変えて検索し直す。


『ホテル 配膳 バイト 学生歓迎』

『ブライダル 土日 高時給』


 そのとき、一件の募集が目に止まった。


 駅前のシティホテル。宴会・披露宴スタッフ。土日中心。時給高め。制服貸与。食事補助あり。


「食事補助」


 そこだけ、強く目に入った。


 ホテルなら、料理に近い場所だ。


 少なくとも、肉と無関係ではない。


 しかも、ホテル。


 大学では少し浮くあの顔も、こういう場所ならむしろ馴染みそうだった。


「これだな」


 つぶやいてから、応募画面を開く。


 名前、住所、電話番号。


 本名で入力しながら、少し妙な気分になる。


 本名で応募して、面接には別の顔で行く。


 冷静に考えれば、かなり変だ。


 でも今さらか、と思う。


 俺はもう、自分の顔を作って学校に行ってるんだから。


     ◇


 面接の日の朝、隆史は鏡の前に立った。


 大学に行くときより、少しだけ抑える。


 いかにも舞台役者みたいに強くしすぎると浮く。ホテルに合う、整った若い男くらいに寄せた方がいい。


 鼻筋を通す。


 目元を少しだけ締める。


 頬から顎へ落ちる線を整える。


 首を長く見せる。


 肩の位置も、ほんの少し。


 鏡の中の男は、やはり普通じゃなかった。


 普段の俺が「悪くない」で止まるなら、こっちは最初から「目に留まる」側の顔だ。


「……よし」


 そう言って、駅前のホテルへ向かった。


 ロビーへ入った瞬間、空気が違った。


 磨かれた床。低い照明。花の匂い。抑えた声。


 ここを歩くだけで、自分まで少し上等な人間になった気がする。


 受付で名を告げると、案内の女性が一瞬だけ顔を上げ、それから丁寧に微笑んだ。


「少々お待ちください」


 それだけなのに、少し効いた。


 見た目が通ると、こういう小さな反応まで変わる。


 待っているあいだ、通りすぎるスタッフが何人かこちらを見るのも分かった。


 やっぱりこの顔、強い。


 面接に出てきたのは、会場責任者らしい中年の男だった。


 目が細くて、少し厳しそうに見える。


「小野くん?」


「はい」


「学生?」


「はい。大学二年です」


「飲食の経験は?」


「お好み焼き屋で働いてます」


 そこは本当だ。


 仕事内容、出勤可能日、通学との兼ね合い。聞かれたことに答えていく。途中までは普通の面接だった。


 ただ、相手の目が何度かこちらの顔や立ち姿を測るように動くのが分かった。


 最後に、責任者が履歴書を机に置く。


「君、立ってみて」


「はい?」


「姿勢、見たいから」


 言われて立つ。


 背筋を伸ばす。肩を開きすぎない。首の力を抜く。視線は少し高め。


 大学の門の前でやったのと同じことを、そのままやる。


 責任者は数秒こちらを見て、ふっと口元を動かした。


「うん。悪くない」


 それから、あっさり言った。


「採用でいいよ」


「……え?」


「土日入れるなら助かる。会場にも合うし」


 会場にも合う。


 見た目のことだと、すぐに分かった。


 うれしい。


 というより、妙に痛快だった。


 作った顔そのものが評価された。ずるい気もする。だが、今はそのずるさごと気持ちいい。


「ありがとうございます」


「細かいことは更衣室で説明受けて。今週末から来られる?」


「はい」


「じゃ、制服合わせも今日やっとこう」


 ホテルの制服は、黒を基調にしたすっきりしたものだった。


 鏡の前で着てみると、思った通りよく似合う。


 いや、似合うように顔を作ってきたんだから当然かもしれない。


 それでも、少し笑いそうになる。


「小野くん、モデルみたいだね」


 制服担当の女性に言われて、隆史は「ありがとうございます」と返した。


 中身は普通の大学生なのに、外側だけ別人みたいだ。


 けれど、その外側が金を運んでくる。


 だったら、使わない手はない。


     ◇


 土曜の朝、初出勤の日。


 ホテルの会場は思っていたよりずっと忙しかった。


 白いクロスを敷く。グラスを並べる。皿の位置を揃える。先輩の指示を聞いて動く。


 きらびやかな披露宴会場も、準備の段階ではひたすら手順の積み重ねだった。


 それが少しだけ面白い。


 フィギュアの展示台を整える感覚に似ていた。見せ方が決まると、空間の印象が変わる。


「小野、そっち持って」


「はい」


「歩くとき、客席側に尻向けすぎない」


「はい」


 怒鳴られるほどではないが、甘くもない。


 新人だから当然だ。


 ただ、その合間にもやっぱり視線はある。


 先輩の女性スタッフが説明の途中で少しこちらを見直したり、休憩に入るときに「学生さんなんだ」と話しかけてきたりする。


 披露宴の客側でも、新婦の友人らしい女たちが料理より先にこっちを見てくる瞬間があった。


 宝塚隆史、やっぱり効く。


 そう思うと、少し気分がよくなる。


 問題は、昼を過ぎたあたりから腹の奥がざらつき始めたことだった。


「……っ」


 来た。


 今日は朝から少し顔を整えている。首も肩も、ホテル用に少し触った。


 そのぶん減る。


 しかも、会場の料理は嫌でも目に入る。


 肉料理の皿が通るたび、鼻じゃなく体の奥が反応する。


 ローストビーフ。


 ハム。


 ソーセージ。


 皿の上で切り分けられた肉が、妙に鮮明に見えた。


 食いたい。


 かなり食いたい。


 でも客の料理だ。さすがに手は出せない。


 唾を飲み込みながら動いていると、披露宴が終わったあと、先輩に厨房の手伝いへ回された。


「残り片づけるから、皿運んで」


「はい」


 厨房は会場と別世界だった。


 熱気。湯気。皿の音。短い指示。


 その中で、大皿に残った料理がまとめられていく。


 ローストビーフ。


 切り分けられたハム。


 ソーセージ。


 まだきれいなまま残っている肉が、そこにあった。


 腹が鳴りそうになる。


 そのとき、白衣の男がこちらを見た。


 料理長らしい。


 顔は怖いが、手の動きは速い。


「新人か」


「はい」


「食えるもんは、邪魔にならん範囲で食っていいぞ。捨てるだけのもあるからな」


「……え?」


「ただし仕事の手を止めるなよ」


 ぶっきらぼうに言って、また別の皿へ向いた。


 隆史は一瞬だけ固まる。


 食っていい。


 今、そう言った。


 視界の端に、ローストビーフがある。


 まだ十分うまそうなやつがある。


「小野、ぼさっとすんな」


 先輩に言われ、慌てて皿を動かす。


「はい」


 だが頭の片隅では、その言葉が残り続けていた。


 食っていい。


 捨てるだけ。


 仕事の手を止めないなら。


 その日の仕事終わり、厨房の隅で口に入れたローストビーフは、信じられないくらいうまかった。


 冷めている。


 でも、そんなことは関係なかった。


 噛んだ瞬間、腹の奥のざらつきが静まる。ハムもソーセージも同じだ。体が「これだ」と言ってくる。


 本当に助かった。


 何食わぬ顔で仕事を終えて更衣室へ戻る。


 バッグを持ち、ホテルを出て、駅まで歩く。


 夜風に当たりながら、隆史はさっき食った肉の味を思い出していた。


 食っていいと言われたのは、その場でだ。


 勝手に持ち帰るのは違う。


 違うのは分かっている。


 分かっているのに、頭の片隅には妙な考えが残っていた。


 余りの量。


 ラップの位置。


 更衣室までの動線。


 バッグの脇ポケットの大きさ。


「……いや」


 小さくつぶやいて、自分で打ち消す。


 だが、完全には消えなかった。


     ◇


 部屋へ戻ってからも、その考えは消えなかった。


 財布を開く。


 やっぱり軽い。


 冷蔵庫を開く。


 やっぱり肉は少ない。


 ベッドに座り、今日のホテルを思い出す。


 仕事はきつい。


 でも時給はいい。


 制服は似合う。


 見た目も効く。


 しかも、余りの肉が出る。


 そこまで考えてから、隆史はゆっくり息を吐いた。


「……神バイトかもしれないな」


 ぽつりとつぶやく。


 時給だけじゃない。


 今の自分にとって必要なものが、かなりそろっている。


 金。


 ホテルの空気。


 宝塚隆史が映える場所。


 そして、肉。


 最後の一つだけ、だいぶ危ない気もする。


 でも、その危なさごと魅力に見えてしまっている時点で、もう少しまずいのかもしれない。


 隆史はベッドに倒れ込み、腕で目を隠した。


 次の土日も入ろう。


 そう考えるのは自然だった。


 自然すぎるのが、少しだけ怖かった。


 けれど、その怖さより先に来るのは期待だった。


 ホテルの余り肉は、使えるかもしれない。

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