第4話 少しだけイケメンになって大学へ行ってみた
朝、目が覚めた瞬間から、頭の中に同じ考えが居座っていた。
――これ、自分の顔もいじれるんじゃないか。
昨夜、机の上のガチャも、壊れたロボの腕も、安いプライズフィギュアも直した。
だったら自分の顔だって、理屈の上ではできる。
理屈の上では。
「……いや、怖えな」
布団の上でそう呟いてみる。
顔だ。
フィギュアじゃない。
失敗したら笑えない。いや、フィギュアでも笑えないんだけど、人間の顔はさすがに別だ。やり直せるのかどうかも分からない。
俺はベッドから起き上がって、机の上の魔王フィギュアを見た。
三百円の中古フィギュア。
こいつが全部の元凶だ。
「お前、何か言うことないのかよ」
もちろん返事はない。
ただの玩具みたいな顔をしている。
でも、黙って見下ろされている感じだけはあった。
洗面所へ行く。
鏡の前に立つ。
そこにいるのは、いつもの俺だった。
悪くはない。
でも、良くもない。
女子にきゃーきゃー言われる顔ではないし、合コンにいたら「いい人そう」で終わるタイプだと思う。顔も身長も平均。人生で何度も自分にそう言い聞かせてきた、あの感じだ。
ただ、フィギュアを見る目で自分の顔を見ると、色々見えてしまう。
「鼻、もうちょい通ってたほうがいいな……」
高くしたいわけじゃない。中央の流れを少しだけ整理したい。余計な丸みがあるせいで、正面から見たとき顔の中心が弱い。
「顎も、少し」
尖らせたいわけでもない。でも今の俺は、下半分が少しぼやけている。輪郭があと少し締まれば、印象は変わるはずだ。
目元も気になる。
でも、いきなりそこを触るのは怖かった。失敗したら一番目立つ。
「……少しだけだぞ」
誰に向かって言っているのか分からないまま、俺は右手を自分の顎へ当てた。
集中する。
物を触ったときの、あの感覚を思い出す。表面の向こうに厚みが見える感じ。どこを押せばどこが逃げるか、どこを少し動かせば全体のバランスが整うか、頭の中に立体の設計図みたいなものが浮かぶ感じ。
自分の顔でも、同じだった。
「うわ……」
皮膚の下にある骨の位置が、妙にはっきり分かる。
気持ち悪い。
でも、分かる。
俺は慎重に、ほんの少しだけ顎のラインを触った。
ぐに、と静かに動く感触がした。
「っ!」
思わず手を離す。
鏡を見る。
「……え」
変わっていた。
ほんの少しだけ。本当に少しだけ。
でも、自分で見れば分かる。
顎の線が前よりすっきりしている。それだけで、顔全体の印象が変わっていた。
「マジかよ……」
怖い。
でも、もう少しだけやりたくなる。
俺は今度は鼻筋へ触れた。
高くするんじゃない。中央の流れを少しだけ整理する。丸みを逃がして、影が落ちる線を整える。それだけでいい。
指先の下で、また小さく形が動いた。
鏡の中の俺が、少しだけ変わる。
「……うわ、これ」
やりすぎてはいない。
でも、ちゃんと違う。
元の俺の顔だ。
それは間違いない。
なのに、前より少しだけ見栄えがいい。加工アプリみたいな不自然さはない。元からこういう顔でした、みたいな範囲で、数段ましになっている。
「いけるな……」
言った瞬間、腹が鳴った。
いや、鳴ったというより、腹の奥を誰かが雑に引っかいたみたいな空腹が来た。
「うっわ、来た来た来た」
昨日も味わった、あの妙な空腹だ。
しかも今回は体の造形だ。物より重い。明らかに昨日のプラスチックいじりより減り方が早い。
俺は急いで冷蔵庫を開けた。
食パン。
ハム。
卵。
昨日の残りの惣菜。
手当たり次第に食う。
ハムをそのまま口へ入れ、食パンに折りたたみ、卵を焼いて流し込む。朝食というより補給だ。味わっている余裕なんかない。
「人体……燃費悪すぎだろ……」
半分泣きそうになりながら食べ続け、ようやく少し落ち着いた。
もう一度、洗面所へ戻る。
鏡を見る。
「……悪くない」
正直に、そう思った。
イケメン、というほどではない。
でも、昨日までの自分より明らかに見栄えがいい。大学で女子に「あれ、なんか今日ちょっと違くない?」と思わせるには十分かもしれない。
その想像をした瞬間、胸の奥が妙に熱くなった。
「学校、行ってみるか」
俺は思わず笑った。
◇
家を出る前に、スマホのインカメでも顔を確認した。
やっぱり違う。
見慣れた自分なのに、見慣れていない。
階段を下りながら、また確認する。
「……やりすぎではないよな」
たぶん大丈夫だ。これで「整形した?」と言われたら困るが、そこまで劇的には変えていない。寝不足が抜けたとか、髪型が少し良くなったとか、そのくらいで通る範囲……だと思いたい。
大学までの道を歩きながら、すれ違う人の反応が気になって仕方なかった。
見られた気がする。
いや、気のせいか。
いや、今のは見たよな?
いちいちそんなことを考えている時点で、だいぶ挙動不審だったと思う。
駅前の信号で止まっていると、向かいから来た女子高生二人組の片方が、こっちを見てから何かを小声で言った。もう片方も見る。すぐに視線は逸れたけど、たしかに一度見られた。
「……おお」
小さく感動する。
別にナンパされたわけでも告白されたわけでもない。ただ見られただけだ。
でも今までの俺は、すれ違いざまにわざわざ見られるタイプではなかった。少なくとも、自分の中では。
大学の正門が見えてくる。
ここからが本番だった。
学生が多い。
顔見知りもいる。
反応があるなら、一番分かりやすく出る場所だ。
俺は少しだけ背筋を伸ばして校内へ入った。
するとすぐ、前を歩いていた女子二人組の片方が、通り過ぎるときにちらっとこっちを見た。
もう片方も見た。
しかも、一瞬だけ振り返った。
「……」
平静を装う。
内心はだいぶ浮かれている。
そのまま経済学部の棟へ向かう途中でも、何回か似たようなことがあった。明らかに知らない女子がこっちを見る。見たあと、もう一回見る。そこまでだ。話しかけられるわけじゃない。でも、昨日までより「視界に入っている」感じがある。
すごいな、これ。
俺は歩きながら、にやけそうになる口元を必死で抑えた。
教室に入ると、松岡が先に来ていた。
椅子を後ろ向きにして座り、だるそうにスマホを見ている。こいつは朝からだいたい同じテンションだ。
「おはよ」
俺が声をかけると、松岡は顔を上げた。
「おー……」
そこまでは普通だった。
そのあと、松岡の目が少しだけ細くなる。
「……何か、お前、今日違くね?」
心臓が跳ねた。
「え?」
「え、じゃねえよ。何か違う」
松岡はスマホを置いて、俺の顔をじろじろ見た。
「髪切った?」
「切ってない」
「寝た?」
「いや、そんなに」
「じゃあ何だ」
「知らねえよ」
できるだけ自然に答えたつもりだったが、自分でも少し声が硬いのが分かった。
松岡は首をひねる。
「いや、でも違うんだよな……」
「気のせいじゃね?」
「気のせいかな」
言いながらも、まだ見ている。
やめろ、そんなに観察するな。
こっちは初めての実戦でだいぶ緊張してるんだ。
俺は席に座り、鞄を机へ置いた。
「昨日ちゃんと焼肉おごれなかったから、機嫌悪いだけだろ」
「あ、それは悪い」
「認めるなよ」
松岡は笑ったが、まだ少し納得していない顔をしていた。
「まあでも、何かちょっとだけマシになってる感じはある」
「ちょっとだけって何だよ」
「ちょっとだけはちょっとだけだろ」
「腹立つ言い方だな」
「イケメンになったわけではない」
「お前な」
「でも前よりはマシ」
「そこまで言う?」
「言う」
失礼なやつだ。
だが同時に、少し安心もした。
松岡みたいな近いやつから見ても、「何か違う」くらいで済むなら、今の変化はちょうどいいのかもしれない。
講義が始まるまでのあいだも、何人か女子が教室に入ってきた。
その中の一人が、ちらっと俺の方を見た。
別の子も見た。
席に着いてから、また一度だけ見た。
全部、気のせいと言われればそれまでのレベルだ。
でも、今までよりは確実に多い。
「……」
ノートを開きながら、内心で笑ってしまう。
なるほど。
こういう感じか。
派手に人生が変わるわけじゃない。いきなりクラスの女子に囲まれるわけでもない。でも、世界がほんの少しだけ、こっちを見始める。
それが妙に気持ちよかった。
◇
一限が終わったあと、移動のために廊下を歩いていると、向こうから来た女子二人組の会話が耳に入った。
「え、あの人って前からいたっけ」
「経済の人じゃない?」
「新しくなくない?」
「でもちょっと雰囲気違くない?」
俺のことかは分からない。
分からないけど、たぶんそうだ。
俺はできるだけ何も聞こえていない顔で通り過ぎた。
内心は、だいぶ来ていた。
やばい。
面白い。
ただ、同時にもう一つ気づく。
今の俺は、別に完成形ではない。
少しだけ整えただけだ。
それでもこれだけ反応があるなら、もう一段やったらどうなる。
鼻筋をもう少し。
輪郭をもう少し。
目元も。
そこまで考えたところで、自分の思考がだいぶ危ない方向へ滑っているのが分かった。
「……落ち着け」
小さく呟く。
でも、落ち着けるわけがなかった。
俺は今、自分の顔を自分の好きなように調整できる。
フィギュアを見るのと同じ目で、自分の見た目を組み直せる。
そんなもの、ハマらない方が無理だろ。
昼休み、学食で松岡と飯を食いながらも、意識は半分そっちに持っていかれていた。
「お前今日、やけに静かだな」
松岡が言う。
「そうか?」
「女子に見られて調子乗ってる?」
危うく味噌汁を吹きそうになった。
「は?」
「いや、何か見られてたぞ、お前」
「……見られてた?」
「うん。二限のあと廊下で」
そう言って、松岡はにやっとした。
「よかったな。ついに春か?」
「違うだろ」
「違うの?」
「いや、違うとかじゃなくて」
「何だよその反応」
こいつ、変なところで鋭い。
俺は定食の唐揚げを一個口へ放り込み、誤魔化すように言った。
「たまたまだろ」
「たまたまにしては、ちょっと見られてたな」
「お前いちいち見てたのかよ」
「友達の数少ないモテ期候補だぞ。見るだろ」
「候補って何だよ」
「まだ確定ではない」
腹立つ。
でも、否定できない。
俺は唐揚げを噛みながら、ふと思う。
今のは「少しだけイケメン」だ。
元の俺をちょっと整えた程度。
それでこれだけ違う。
じゃあ、別の系統の顔を作ったらどうなる。
優しい感じ。
ワイルドな感じ。
もっと華やかな感じ。
昨日までの俺なら、そんなの妄想で終わっていた。
でも今は違う。
できる。
たぶん。
「……何にやついてんだ、お前」
「にやついてない」
「口元緩んでるぞ」
「うるせえ」
松岡が笑う。
俺も少しだけ笑った。
でもそのときにはもう、頭の中で次の実験が始まっていた。
◇
帰り道、駅前の店のガラスに映る自分の顔を、何度も確認した。
やっぱり悪くない。
かなり気分がいい。
部屋に戻ると、すぐに机の前へ行った。
魔王フィギュアは変わらずそこにいる。
「お前の力、やばいな」
言うと、当然返事はなかった。
でも、何となく見下ろされている感じがする。
俺は椅子に座り、今日一日の反応を思い返した。
女子が見る。
松岡が気づく。
廊下で噂される。
たったそれだけだ。
でも、そのたったそれだけで、昨日までの世界とはかなり違う。
「……もっとやったら、どうなるんだろうな」
思わずそう口にした。
そのまま机に肘をつき、なんとなくテレビをつける。
夕方の情報番組では、芸能ニュースのあとに舞台特集をやっていた。
大階段。
拍手。
派手な照明。
画面に出てきた男役のスターを見た瞬間、俺は少し身を乗り出す。
普通のイケメンとは違う。
顔だけじゃない。立ち方も、首の角度も、全部が「そういう形」として完成している。線は細いのに弱く見えず、むしろ人の目を引く。
「……こういうのも、ありか」
思わず呟く。
その瞬間、頭の中で勝手に分析が始まった。
鼻筋。
顎の線。
目元の強さ。
首の見え方。
今の俺を、ああいう方向へ寄せたらどうなる。
どこをどう触れば、近づく。
胸の奥が熱くなる。
「……こんな顔にも、できるのか?」
テレビの中のスターを見ながら、俺は小さく笑った。
腹が、鳴った。
さっき食べたばかりなのに、
さっきとは違う空腹が、ゆっくりと広がる。
もっと削れば、もっと変わる。
その代わりに、
何かが減っていく感覚だけは、確かにあった。
「……まあ、いいか」
そう言って、俺は鏡の前に立った。




