表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第3話 部屋に戻って、朝まで実験した

「よくぞ唱えきった、小野隆史」


 声は耳から聞こえたんじゃなかった。


 頭の内側に、直接落ちてきた。


 腹の底まで響くような低い声なのに、鼓膜は震えていない。目の前にいる黒い影――いや、もう影なんて言葉では足りない。俺の影から立ち上がったそれは、完全に“そういう形をした何か”として、そこにいた。


 巨大な角。


 厚い胸。


 背中から広がる黒いマントみたいなもの。


 そして、赤い目。


 ジャンク屋で三百円で買ったフィギュアと同じ姿だった。


 同じ、なのにまるで違う。


 安っぽい塗装やだるい輪郭なんか一つもない。もっと凶悪で、もっと濃くて、もっと――本物だった。


 膝が笑う。


「う、わ」


 情けない声しか出ない。


 逃げろ、と頭のどこかが叫んでいる。けれど足は動かない。魔法陣の前に立ったまま、指先一本まともに言うことをきかなかった。


 魔王はそんな俺を見下ろしていた。


「恐れるな」


 いや無理だろ、と思った。


 恐れない要素がひとつもない。深夜の公園。固まったまま動かない松岡。消えた焼肉セット。目の前には三メートルはありそうな魔王。どう考えても人生で一度も遭遇するはずのない状況だ。


「……松岡」


 やっとのことで横を見る。


 松岡はまだ止まっていた。腕を組みかけた半端な姿勢のまま、まばたきもしない。冗談でもなんでもなく、時間ごと切り取られたみたいだった。


「そやつは案ずるな。余計な時を止めているだけだ」


 余計な時。


 意味が分からない。


「おまえと我が語るに、邪魔だったのでな」


 さらっと言うな、と思う。


 だが抗議する余裕はなかった。


 魔王は一歩、こちらへ近づいた。


 地面が揺れたわけじゃない。でも空気が押し寄せてきた。夜の冷たさとは違う、重くて乾いた熱。錆びた鉄と焦げた肉の匂いが、一瞬だけ鼻をかすめる。


 思わず息を止める。


「我を解いた褒美をやろう、小僧」


 その言葉で、胸の奥が妙にざわついた。


 怖い。


 怖いのに、聞きたい。


 夢で言われた通りだ。力をやる、と。


「……本当に」


 声がひっくり返りそうになるのを、なんとか堪える。


「本当に、何かくれるのか」


 魔王の赤い目が細くなった。


「ここまでしておいて何も与えぬほど、人の悪い存在ではない」


 絶対そんなことはないだろ、と頭の中でだけ思う。


「ただし」


 その一言で心臓が跳ねる。


「力には代償がいる」


 やっぱり来た。


 そういうのはあると思った。こんなものがタダでもらえるわけがない。


 魔王は俺の全身を眺めるみたいに視線を落とした。値踏みされている感じがして、妙に腹が立つ。怖いくせに。


「おまえに与えるのは、“造形の魔法”」


 その単語が出た瞬間、背筋がぞくりとした。


 造形。


 夢の中でも聞いた言葉だ。


「触れたものの形を、おまえの意に沿って変える力だ」


「……形を」


「そうだ」


 魔王が杖を持ち上げる。その先が、足元の砂場の縁を指した。


「見よ」


 次の瞬間だった。


 砂場のコンクリートの縁が、音もなくへこんだ。


 いや、へこんだんじゃない。粘土みたいに柔らかく崩れ、押し広げられ、ねじれていく。見えない巨大な指でつままれているみたいに形が変わり、数秒後には、そこに角の生えた獣みたいな頭部が出来上がっていた。


 コンクリートでできた彫刻。


 目も鼻も口も、粗いのに妙に迫力がある。


「うわ……」


 思わず一歩前へ出た。


 魔法より先に、形そのものへ目が行ったのだ。


 頬の張り。


 額の傾斜。


 口元のえぐれ方。


 短時間で作ったにしては、妙にまとまりがいい。


 魔王が笑った気配がした。


「やはり、おまえはそこを見るか」


 言い返せなかった。


 その通りだったからだ。


「他の人間なら、まず値段や兵器としての使い道を考える。おまえは違う」


 少しだけ、嫌な言い方だった。


「……悪いかよ」


「よい」


 即答だった。


「おまえは形に執着している。歪みに目が留まり、直したくて仕方がない。だからこそ、この魔はおまえに馴染む」


 喉の奥がつまる。


 言葉が妙に正確だった。


 店でフィギュアを見るときもそうだ。完成品を見て終わらない。ここを少し削れば、目の幅を寄せれば、重心を変えれば、そういうことばかり考える。


「無機物はもちろん、自らの肉体すら変えられる」


「……自分の」


「いずれは他人もな」


 その一言に、背中が冷えた。


 自分の顔。

 体。

 他人の体。


 そこまでできるのか。


「ただし、万能ではない」


 魔王の声が少し低くなる。


「形を変えるには、元となるものがいる。無からは作れぬ」


「……それは、まあ」


「そして、大きく変えるほど、おまえ自身から補われる」


 嫌な予感しかしない。


「俺自身から?」


「そうだ。質も量も、おまえの肉と力を削って帳尻を合わせる」


 寿命とか魂とか、そういうのを想像しかけた俺に、魔王は平然と言った。


「つまり、使えば腹が減る」


「……腹?」


「強くな」


 思ったより直球だった。


「石をいじれば石に寄る。鉄をいじれば鉄に寄る。肉をいじれば肉に寄る。おまえの身は、造り替えたものに引かれて飢える」


 それを聞いて、俺は少しだけ現実感を取り戻した。


 命を取られるとか寿命が縮むとか、もっと大げさな方向を想像していたからだ。腹が減る、は拍子抜けでもあり、逆に妙に具体的でもある。


「……それだけか」


 つい口に出すと、魔王はまた笑った気配を見せた。


「試してみれば分かる」


 その言い方が、少し気になった。


「あと、人の肉体を造形するときは時間がかかる」


「え」


「物のように一瞬では済まぬ。粘土をこねるように、少しずつだ」


 そこで初めて、この魔王がちゃんと説明しているのだと気づいた。


 人間も造形できる。


 でも時間がかかる。


 妙に納得できた。骨格、肉付き、皮膚、全体のバランス。フィギュアだって顔ひとつ直すだけで印象が変わる。人間ならなおさらだ。


「じゃあ、簡単にはできないのか」


「簡単ではない。だが、おまえには向いている」


 またそれだ。


 向いている。おまえだから。


 そう言われるたび、気味が悪いのに少しだけ気分がよくなる自分がいる。最悪だった。


 魔王は杖の先を俺へ差し出した。先端には、赤い石みたいなものが埋まっている。火種みたいに脈打っていた。


「受け取れ」


「どうやって」


「触れろ」


 正直、触りたくなかった。


 呪われそうだし、火傷しそうだし、もっとひどいことが起きそうでもある。


 でも、ここまで来て手を引くのも違う気がした。


 俺はゆっくり右手を伸ばし、杖の先に触れた。


 熱い、と思う前に、何かが指先から腕へ流れこんできた。


 痛みではない。熱でもない。もっと直接的な、“形の情報”みたいなものだった。線。面。厚み。重さ。骨格。肉。比率。削り、盛り、引き延ばし、押し込む感覚。


「っ――」


 頭の中に一気に流れこんできて、膝が折れた。


 地面に手をつく。


 吐きそうになる。


 でも吐けない。代わりに、腹の奥が急激に熱くなっていく。


「う、ぐ……!」


 空腹だった。


 それも普通じゃない。今日まともに食べていないとか、バイト上がりで腹が減ったとか、そんなレベルじゃない。胃の内側を紙やすりでこすられているみたいに、腹が空っぽで、何かを入れろと全身が怒鳴っている。


「は、ら……」


 思わず前を見る。


 さっきまで消えていたはずの、生肉の皿が戻っていた。


 鶏。


 豚。


 羊。


 牛。


 見た瞬間、喉の奥が勝手に鳴った。


 焼いていない。普通なら絶対に食いたいと思わない。なのに今は、たまらなくそれが欲しかった。


 魔王が見下ろしている。


「それが代償の始まりだ、小僧」


 俺は答えられなかった。


 腹が減りすぎて、それどころじゃなかったからだ。


     ◇


 結局、俺は生肉を食った。


 思い出したくないが、食った。


 うまいわけがない。最悪だった。冷たいし生臭いし、噛むたびに理性が「やめろ」と言っていた。なのに、飲み込むと少し楽になった。


 それを何切れか繰り返したところで、公園の空気が急に軽くなった。


 魔王の輪郭が薄れる。


「話はここまでだ」


「は?」


「今宵は初めてゆえな。檻の外に長く留まれば、余計な目を呼ぶ」


「待て、まだ聞きたいこと」


「焦るな、小僧。力はすでにおまえのものだ」


 最後に、赤い目だけが細くなる。


「飢えを忘れるな、小野隆史」


 次の瞬間、魔王は消えた。


 完全に、何の跡もなく。


 残ったのは夜の公園だけだった。街灯の白い光。風に鳴る葉の音。遠くの道路を走る車の音。


「……は?」


 間抜けな声が出る。


 直後だった。


「さっむ!」


 松岡が突然、ぶるっと肩を震わせた。


 腕をほどき、首を回し、何も知らない顔で辺りを見る。


「え、何。今何時? つーかお前、何でそんな顔してんの」


 心臓がどっと跳ねた。


「松岡」


「何だよ」


「お前、今……」


「今?」


 きょとんとしている。


 本当に何も知らない顔だった。


「いや、何でもない」


 説明できる気がしない。


 というか、説明しても絶対信じない。


 松岡は怪訝そうに眉を寄せたが、すぐに別のことに気づいた。


「……あれ?」


「何」


「肉」


「え?」


「肉どこ?」


 俺も反射的に周りを見た。


 魔法陣はまだ砂の上に残っている。中央には魔王フィギュア。だが、その周囲に置いていたはずの皿がない。鶏も、豚も、羊も、牛も。きれいさっぱり消えていた。


 松岡がゆっくり俺を見る。


「……おい」


「いや、待て」


「待つのはこっちだろ」


「違う、俺も今気づいた」


「気づいたじゃねえよ。肉どこ行った」


 声のトーンが本気で低くなった。


 まずい。


 松岡は細かいことは気にしないが、食い物の恨みだけは妙にしつこい。しかも今日は羊まで買っている。大学生にとって、あれは地味に高い。


「猫とか……?」


「一瞬で皿ごとか?」


「いや」


「お前、何した?」


「してない」


「じゃあ何でないんだよ」


 ものすごく正しい追及だった。


 俺は答えに詰まる。


 魔王が出てきて、時間が止まって、そのあいだに俺が少しコンクリートを造形して、生肉を何切れか食ったからです――などと言えるわけがない。


「……マジで知らない」


 正直に言ったつもりだった。


 だが松岡の目は完全に疑っている。


「お前さ」


「うん」


「俺が止まってるあいだに食った?」


「止まってるあいだって何だよ」


「知らんけど、そういう顔してる」


「そんな顔してない」


「してる。あと口元」


 どきっとした。


 反射的に口元をぬぐう。さっき、生肉を食った。まさか血の跡が残っていたのか。


「やっぱ何か食ってんじゃねえか!」


「違う違う違う!」


「何が違うんだよ! 牛も豚も鶏もラムも全部消えてんだぞ!」


 公園に怒声が響く。


「静かにしろって」


「静かにできるか! お前が焼肉おごるって言ったから来たのに、現地で肉が消えるってどういうことだよ!」


「俺だって知らねえよ!」


 しばらく言い合ったあと、結局、俺は明日焼肉をおごる約束をさせられた。


 意味が分からない。


 でも反論の余地もなかった。


     ◇


 部屋に戻っても、眠れるわけがなかった。


 玄関のドアを閉めた瞬間、ようやく静かになったはずなのに、頭の中だけがうるさい。さっきまで近所の公園にいた。魔王が出た。時間が止まった。俺は生肉を食った。松岡はラム肉の恨みで怒っている。


 全部まとめて、現実感がない。


 なのに、右手の指先だけは妙に生々しかった。


 硬いものが粘土みたいに沈む感触。


 押したぶんだけ別の場所が持ち上がる感触。


 立体の重心を、指の腹で探る感覚。


「……夢じゃ、ないよな」


 小さく呟く。


 返事はない。


 机の上に、魔王フィギュアを置く。ジャンク屋で三百円で買った古いゲームの敵キャラ。ほんの少し前まで、あれと同じ姿をした“本物”が俺の目の前に立っていたはずなのに、今はただの中古のフィギュアにしか見えない。


 だが、見れば見るほど落ち着かなかった。


 腹が鳴る。


 いや、鳴ったというより、腹の奥を誰かが雑に引っかいたみたいな空腹が来た。


「っ……」


 おかしい。


 公園で肉を食ったはずだ。生のまま何切れか口に放り込んだ。最悪だったが、腹には入れた。それなのに、空腹が戻ってくる。しかも普通の空腹じゃない。胃袋の中身が足りないんじゃなくて、体の内側の何かが少し減っている感じだった。


 冷蔵庫を開ける。


 お茶。持ち帰ったお好み焼きの残り。開けかけのハム。卵が二個。


 とりあえず、お好み焼きを冷たいまま食う。


「……違う」


 飲み込めないわけじゃない。味も分かる。でも、欲しいものがそこにない。


 ハムも食う。水も飲む。


 それでも駄目だった。


 口の中が、じゃり、としたものを求めている。


 乾いた感じ。粉っぽいもの。砂。石。セメントの匂い。


 そこまで考えて、背筋がぞっとした。


「まさか……」


 公園で、俺が最初にまともに変形させたのは、砂場の縁のコンクリートだった。


 魔王は言っていた。


 造形したものに、身が引かれる、と。


 さすがに無理だろ、と頭では思う。


 コンクリートを食うなんて人間のやることじゃない。


 でも体は正直だった。


 結局、俺はベランダの隅に落ちていた小さな欠片を拾った。壁際に転がっていた、灰色の、乾いたモルタルみたいな塊だった。


 指でこすると、白っぽい粉が落ちる。


「……ほんとに最悪だ」


 自分で言ってから、その粉をほんの少しだけ舌にのせた。


 まずい。


 当たり前だ。


 食い物じゃない。土っぽくて、粉っぽくて、口の水分を全部持っていく。


 なのに――


 胃の奥のざらつきだけが、少し静まった。


「うそだろ……」


 すぐ流しへ駆けこんで、水で何度も口をゆすぐ。


 何やってるんだ、俺は。


 でも、分かってしまった。


 この力は本当に代償を取る。


 しかも金や寿命みたいな遠い話じゃない。もっと気持ち悪くて、もっと具体的な形で。


 コンクリートをいじれば、コンクリートに近いものを体に入れたくなる。


 それがルールなら――


 この先、何を変えたら、俺は何を食うことになるんだ。


 そこまで考えて、背中が冷えた。


 それでも。


 それでも俺は、机の上を見た。


 六畳一間。教科書。漫画。食いかけのスナック菓子。百均の小物入れ。ガチャの景品。壊れたロボの腕。試すものには困らない部屋だった。


「……少しだけだぞ」


 誰に向かって言い訳しているのか分からないまま、俺は机の端に転がっていた安いガチャのキーホルダーへ手を伸ばした。


 アニメのマスコットキャラだ。頭が大きくて体が小さい、よくあるデフォルメ造形。でも顔のバランスが微妙だった。目の位置が少し高く、口が中央に寄りすぎていて、どうにも幼すぎる。前から少し気になっていた。


 右手で持ち、左の親指を顔に当てる。


 その瞬間、あの感覚が戻ってきた。


 表面の向こうに厚みが見える。どこを押せばどこへ逃げるか、どこを少し動かせば全体のバランスが整うか、頭の中に立体の設計図みたいなものが浮かぶ。


「うわ」


 思わず声が漏れる。


 さっきのコンクリートより、ずっと分かりやすい。材質が軽くて量も少ないからか、手に伝わる感覚が細かい。


 頬をほんの少し押す。


 目尻をわずかに下げる。


 口の位置をほんの少しだけ下へ逃がす。


 ぬる、と動いた。


「やっぱりだ」


 俺は一気に集中した。


 左右差を揃える。


 鼻先を少しだけ立てる。


 頬の丸みを削りすぎないように注意する。


 元のデフォルメ感は残しつつ、子供っぽさだけを抜く。


 手を止めたのは、たぶん三分後くらいだった。


 見比べる。


「全然違う……」


 同じキャラだ。でも前よりずっとまとまっている。安っぽい顔が、ちゃんと“狙ったデフォルメ”に見える。量産品の適当な可愛さじゃなく、造形としての意図が通った顔になっていた。


 胸が熱くなる。


 やばい。


 これはやばい。


 だがその直後、また腹の奥がざわついた。


 今度はさっきとは少し違う。じゃりじゃりした感じじゃない。もっと、軽くて、つるっとして、薄いものが喉の奥に引っかかっているような違和感だった。


 視線が自然に机の上をさまよう。


 止まったのは、ガチャカプセルの透明な殻だった。


「……嘘だろ」


 透明の、薄いプラスチック。


 食い物には一ミリも見えない。


 なのに今の体は、それを“必要なもの”として見ていた。


 さすがにそのまま噛む気にはなれない。


 俺は棚の上のサプリ瓶を見つけた。ゼラチンっぽいソフトカプセルの安いビタミン剤だ。成分がどうこうじゃなく、外側のあの人工的なつるっとした感じに、妙に意識が向いた。


 一本取り出して口に放りこみ、水で流す。


 完全に思い込みの可能性もある。


 でも、飲みこんだあと、さっきのプラスチックっぽい違和感が少しだけ薄れた。


「……代用でもいいのか?」


 少し希望が見えた。


 毎回ほんものの樹脂片を食う羽目になるなら、さすがに終わっている。


 俺は少し息をつき、今度は棚に飾ってあった壊れたロボの腕を手に取った。ジャンク箱から拾ってきたやつだ。関節のあたりがひび割れて、パーツの噛み合わせも少しずれている。


 これも前から気になっていた。


 接続部の角度がおかしい。外装のラインも甘い。本来もっと、前腕から手首まで一直線に力が流れる形のはずなのに、途中で微妙にたるんでいる。


「ここだな」


 指先を当てて、少し押す。


 プラスチックの内部が頭の中で立体のまま分かる。ひびの入った箇所へ圧が逃げるのを避けながら、外装を少しだけ引き締め、接続部の受けを整える。割れ目そのものも、表面の量をならすように押し寄せていくと、つなぎ目が薄くなった。


「え、これ……」


 見える傷が、ほとんど消えた。


 完全に新品とは言えない。よく見れば跡はある。でも、ジャンク品だったものが、急に“少し古い中古品”くらいの見た目まで戻っている。


 しかも見た目だけじゃない。


 恐る恐る手首のパーツを差しこむと、さっきまでゆるかった噛み合わせが、かち、と気持ちよく入った。


「はは」


 笑ってしまった。


 深夜の部屋で一人で笑うのはだいぶ危ないやつだ。でも止まらなかった。


 この力、面白すぎる。


 触れば分かる。分かれば直せる。いや、直すだけじゃない。好きな形に寄せられる。


 俺は机の上へ、次々に物を並べた。


 百均のボールペン。


 コンビニでもらったプラスプーン。


 古いスマホスタンド。


 ガチャの余りパーツ。


 片っ端から触る。


 ボールペンのグリップを少し細くする。スプーンの柄を少し反らせる。スマホスタンドの無駄に出っ張っていた部分を引き締める。


 楽しい。


 というか、止まらない。


 今までどれだけの物を見て、「ここがこうなら」と思ってきたか分からない。その全部に、いま手が届く。


 机の上には、俺が触ったものが少しずつ増えていく。


 その中で、自然と目が止まるものがあった。


 棚に飾っていた、安いプライズフィギュア。人気アニメのヒロインだが、量産品らしく全体に甘い。髪の束感は悪くないのに、顔の造形が弱い。顎が丸すぎて、首の角度も少し前へ出ているせいで、正面から見ると間延びして見える。


 前から気になっていた。


 でも、削って盛って塗って、そんな手間をかけるほどでもないとも思っていた。


 今は違う。


「ちょっとだけ……」


 その“ちょっとだけ”が危ないのは、自分でも分かっている。


 俺はフィギュアの顎へ指を当てた。


 少し絞る。ただし尖らせすぎない。元のキャラの柔らかさは残す。首の傾きをほんの少し戻し、頬から顎へ落ちるラインを整理する。目の位置は動かさない。その代わり、まぶたの厚みを少し整える。


 時間を忘れた。


 量産品の安い顔が、俺の指の下でじわじわ整っていく。


 十分。


 二十分。


 三十分。


 手を離し、机のライトを横から当てる。


「……やば」


 元のフィギュアの面影はある。でも完成度が明らかに違う。正面だけじゃなく、斜めから見たときの流れがいい。鼻先から顎へ落ちる線に迷いがない。


 安物が、“出来のいいフィギュア”になっていた。


 そこで初めて、俺は自分の右手をじっと見た。


 この手で、物の形が変わる。


 好きなように。


 少しずつ。


 粘土みたいに。


 そしてそこでようやく、頭の中にずっと避けていた考えが、はっきりした形を取った。


 ――これ、自分の顔もいじれるんじゃないか。


 心臓が、どくんと大きく鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ