第3話 部屋に戻って、朝まで実験した
「よくぞ唱えきった、小野隆史」
声は耳から聞こえたんじゃなかった。
頭の内側に、直接落ちてきた。
腹の底まで響くような低い声なのに、鼓膜は震えていない。目の前にいる黒い影――いや、もう影なんて言葉では足りない。俺の影から立ち上がったそれは、完全に“そういう形をした何か”として、そこにいた。
巨大な角。
厚い胸。
背中から広がる黒いマントみたいなもの。
そして、赤い目。
ジャンク屋で三百円で買ったフィギュアと同じ姿だった。
同じ、なのにまるで違う。
安っぽい塗装やだるい輪郭なんか一つもない。もっと凶悪で、もっと濃くて、もっと――本物だった。
膝が笑う。
「う、わ」
情けない声しか出ない。
逃げろ、と頭のどこかが叫んでいる。けれど足は動かない。魔法陣の前に立ったまま、指先一本まともに言うことをきかなかった。
魔王はそんな俺を見下ろしていた。
「恐れるな」
いや無理だろ、と思った。
恐れない要素がひとつもない。深夜の公園。固まったまま動かない松岡。消えた焼肉セット。目の前には三メートルはありそうな魔王。どう考えても人生で一度も遭遇するはずのない状況だ。
「……松岡」
やっとのことで横を見る。
松岡はまだ止まっていた。腕を組みかけた半端な姿勢のまま、まばたきもしない。冗談でもなんでもなく、時間ごと切り取られたみたいだった。
「そやつは案ずるな。余計な時を止めているだけだ」
余計な時。
意味が分からない。
「おまえと我が語るに、邪魔だったのでな」
さらっと言うな、と思う。
だが抗議する余裕はなかった。
魔王は一歩、こちらへ近づいた。
地面が揺れたわけじゃない。でも空気が押し寄せてきた。夜の冷たさとは違う、重くて乾いた熱。錆びた鉄と焦げた肉の匂いが、一瞬だけ鼻をかすめる。
思わず息を止める。
「我を解いた褒美をやろう、小僧」
その言葉で、胸の奥が妙にざわついた。
怖い。
怖いのに、聞きたい。
夢で言われた通りだ。力をやる、と。
「……本当に」
声がひっくり返りそうになるのを、なんとか堪える。
「本当に、何かくれるのか」
魔王の赤い目が細くなった。
「ここまでしておいて何も与えぬほど、人の悪い存在ではない」
絶対そんなことはないだろ、と頭の中でだけ思う。
「ただし」
その一言で心臓が跳ねる。
「力には代償がいる」
やっぱり来た。
そういうのはあると思った。こんなものがタダでもらえるわけがない。
魔王は俺の全身を眺めるみたいに視線を落とした。値踏みされている感じがして、妙に腹が立つ。怖いくせに。
「おまえに与えるのは、“造形の魔法”」
その単語が出た瞬間、背筋がぞくりとした。
造形。
夢の中でも聞いた言葉だ。
「触れたものの形を、おまえの意に沿って変える力だ」
「……形を」
「そうだ」
魔王が杖を持ち上げる。その先が、足元の砂場の縁を指した。
「見よ」
次の瞬間だった。
砂場のコンクリートの縁が、音もなくへこんだ。
いや、へこんだんじゃない。粘土みたいに柔らかく崩れ、押し広げられ、ねじれていく。見えない巨大な指でつままれているみたいに形が変わり、数秒後には、そこに角の生えた獣みたいな頭部が出来上がっていた。
コンクリートでできた彫刻。
目も鼻も口も、粗いのに妙に迫力がある。
「うわ……」
思わず一歩前へ出た。
魔法より先に、形そのものへ目が行ったのだ。
頬の張り。
額の傾斜。
口元のえぐれ方。
短時間で作ったにしては、妙にまとまりがいい。
魔王が笑った気配がした。
「やはり、おまえはそこを見るか」
言い返せなかった。
その通りだったからだ。
「他の人間なら、まず値段や兵器としての使い道を考える。おまえは違う」
少しだけ、嫌な言い方だった。
「……悪いかよ」
「よい」
即答だった。
「おまえは形に執着している。歪みに目が留まり、直したくて仕方がない。だからこそ、この魔はおまえに馴染む」
喉の奥がつまる。
言葉が妙に正確だった。
店でフィギュアを見るときもそうだ。完成品を見て終わらない。ここを少し削れば、目の幅を寄せれば、重心を変えれば、そういうことばかり考える。
「無機物はもちろん、自らの肉体すら変えられる」
「……自分の」
「いずれは他人もな」
その一言に、背中が冷えた。
自分の顔。
体。
他人の体。
そこまでできるのか。
「ただし、万能ではない」
魔王の声が少し低くなる。
「形を変えるには、元となるものがいる。無からは作れぬ」
「……それは、まあ」
「そして、大きく変えるほど、おまえ自身から補われる」
嫌な予感しかしない。
「俺自身から?」
「そうだ。質も量も、おまえの肉と力を削って帳尻を合わせる」
寿命とか魂とか、そういうのを想像しかけた俺に、魔王は平然と言った。
「つまり、使えば腹が減る」
「……腹?」
「強くな」
思ったより直球だった。
「石をいじれば石に寄る。鉄をいじれば鉄に寄る。肉をいじれば肉に寄る。おまえの身は、造り替えたものに引かれて飢える」
それを聞いて、俺は少しだけ現実感を取り戻した。
命を取られるとか寿命が縮むとか、もっと大げさな方向を想像していたからだ。腹が減る、は拍子抜けでもあり、逆に妙に具体的でもある。
「……それだけか」
つい口に出すと、魔王はまた笑った気配を見せた。
「試してみれば分かる」
その言い方が、少し気になった。
「あと、人の肉体を造形するときは時間がかかる」
「え」
「物のように一瞬では済まぬ。粘土をこねるように、少しずつだ」
そこで初めて、この魔王がちゃんと説明しているのだと気づいた。
人間も造形できる。
でも時間がかかる。
妙に納得できた。骨格、肉付き、皮膚、全体のバランス。フィギュアだって顔ひとつ直すだけで印象が変わる。人間ならなおさらだ。
「じゃあ、簡単にはできないのか」
「簡単ではない。だが、おまえには向いている」
またそれだ。
向いている。おまえだから。
そう言われるたび、気味が悪いのに少しだけ気分がよくなる自分がいる。最悪だった。
魔王は杖の先を俺へ差し出した。先端には、赤い石みたいなものが埋まっている。火種みたいに脈打っていた。
「受け取れ」
「どうやって」
「触れろ」
正直、触りたくなかった。
呪われそうだし、火傷しそうだし、もっとひどいことが起きそうでもある。
でも、ここまで来て手を引くのも違う気がした。
俺はゆっくり右手を伸ばし、杖の先に触れた。
熱い、と思う前に、何かが指先から腕へ流れこんできた。
痛みではない。熱でもない。もっと直接的な、“形の情報”みたいなものだった。線。面。厚み。重さ。骨格。肉。比率。削り、盛り、引き延ばし、押し込む感覚。
「っ――」
頭の中に一気に流れこんできて、膝が折れた。
地面に手をつく。
吐きそうになる。
でも吐けない。代わりに、腹の奥が急激に熱くなっていく。
「う、ぐ……!」
空腹だった。
それも普通じゃない。今日まともに食べていないとか、バイト上がりで腹が減ったとか、そんなレベルじゃない。胃の内側を紙やすりでこすられているみたいに、腹が空っぽで、何かを入れろと全身が怒鳴っている。
「は、ら……」
思わず前を見る。
さっきまで消えていたはずの、生肉の皿が戻っていた。
鶏。
豚。
羊。
牛。
見た瞬間、喉の奥が勝手に鳴った。
焼いていない。普通なら絶対に食いたいと思わない。なのに今は、たまらなくそれが欲しかった。
魔王が見下ろしている。
「それが代償の始まりだ、小僧」
俺は答えられなかった。
腹が減りすぎて、それどころじゃなかったからだ。
◇
結局、俺は生肉を食った。
思い出したくないが、食った。
うまいわけがない。最悪だった。冷たいし生臭いし、噛むたびに理性が「やめろ」と言っていた。なのに、飲み込むと少し楽になった。
それを何切れか繰り返したところで、公園の空気が急に軽くなった。
魔王の輪郭が薄れる。
「話はここまでだ」
「は?」
「今宵は初めてゆえな。檻の外に長く留まれば、余計な目を呼ぶ」
「待て、まだ聞きたいこと」
「焦るな、小僧。力はすでにおまえのものだ」
最後に、赤い目だけが細くなる。
「飢えを忘れるな、小野隆史」
次の瞬間、魔王は消えた。
完全に、何の跡もなく。
残ったのは夜の公園だけだった。街灯の白い光。風に鳴る葉の音。遠くの道路を走る車の音。
「……は?」
間抜けな声が出る。
直後だった。
「さっむ!」
松岡が突然、ぶるっと肩を震わせた。
腕をほどき、首を回し、何も知らない顔で辺りを見る。
「え、何。今何時? つーかお前、何でそんな顔してんの」
心臓がどっと跳ねた。
「松岡」
「何だよ」
「お前、今……」
「今?」
きょとんとしている。
本当に何も知らない顔だった。
「いや、何でもない」
説明できる気がしない。
というか、説明しても絶対信じない。
松岡は怪訝そうに眉を寄せたが、すぐに別のことに気づいた。
「……あれ?」
「何」
「肉」
「え?」
「肉どこ?」
俺も反射的に周りを見た。
魔法陣はまだ砂の上に残っている。中央には魔王フィギュア。だが、その周囲に置いていたはずの皿がない。鶏も、豚も、羊も、牛も。きれいさっぱり消えていた。
松岡がゆっくり俺を見る。
「……おい」
「いや、待て」
「待つのはこっちだろ」
「違う、俺も今気づいた」
「気づいたじゃねえよ。肉どこ行った」
声のトーンが本気で低くなった。
まずい。
松岡は細かいことは気にしないが、食い物の恨みだけは妙にしつこい。しかも今日は羊まで買っている。大学生にとって、あれは地味に高い。
「猫とか……?」
「一瞬で皿ごとか?」
「いや」
「お前、何した?」
「してない」
「じゃあ何でないんだよ」
ものすごく正しい追及だった。
俺は答えに詰まる。
魔王が出てきて、時間が止まって、そのあいだに俺が少しコンクリートを造形して、生肉を何切れか食ったからです――などと言えるわけがない。
「……マジで知らない」
正直に言ったつもりだった。
だが松岡の目は完全に疑っている。
「お前さ」
「うん」
「俺が止まってるあいだに食った?」
「止まってるあいだって何だよ」
「知らんけど、そういう顔してる」
「そんな顔してない」
「してる。あと口元」
どきっとした。
反射的に口元をぬぐう。さっき、生肉を食った。まさか血の跡が残っていたのか。
「やっぱ何か食ってんじゃねえか!」
「違う違う違う!」
「何が違うんだよ! 牛も豚も鶏もラムも全部消えてんだぞ!」
公園に怒声が響く。
「静かにしろって」
「静かにできるか! お前が焼肉おごるって言ったから来たのに、現地で肉が消えるってどういうことだよ!」
「俺だって知らねえよ!」
しばらく言い合ったあと、結局、俺は明日焼肉をおごる約束をさせられた。
意味が分からない。
でも反論の余地もなかった。
◇
部屋に戻っても、眠れるわけがなかった。
玄関のドアを閉めた瞬間、ようやく静かになったはずなのに、頭の中だけがうるさい。さっきまで近所の公園にいた。魔王が出た。時間が止まった。俺は生肉を食った。松岡はラム肉の恨みで怒っている。
全部まとめて、現実感がない。
なのに、右手の指先だけは妙に生々しかった。
硬いものが粘土みたいに沈む感触。
押したぶんだけ別の場所が持ち上がる感触。
立体の重心を、指の腹で探る感覚。
「……夢じゃ、ないよな」
小さく呟く。
返事はない。
机の上に、魔王フィギュアを置く。ジャンク屋で三百円で買った古いゲームの敵キャラ。ほんの少し前まで、あれと同じ姿をした“本物”が俺の目の前に立っていたはずなのに、今はただの中古のフィギュアにしか見えない。
だが、見れば見るほど落ち着かなかった。
腹が鳴る。
いや、鳴ったというより、腹の奥を誰かが雑に引っかいたみたいな空腹が来た。
「っ……」
おかしい。
公園で肉を食ったはずだ。生のまま何切れか口に放り込んだ。最悪だったが、腹には入れた。それなのに、空腹が戻ってくる。しかも普通の空腹じゃない。胃袋の中身が足りないんじゃなくて、体の内側の何かが少し減っている感じだった。
冷蔵庫を開ける。
お茶。持ち帰ったお好み焼きの残り。開けかけのハム。卵が二個。
とりあえず、お好み焼きを冷たいまま食う。
「……違う」
飲み込めないわけじゃない。味も分かる。でも、欲しいものがそこにない。
ハムも食う。水も飲む。
それでも駄目だった。
口の中が、じゃり、としたものを求めている。
乾いた感じ。粉っぽいもの。砂。石。セメントの匂い。
そこまで考えて、背筋がぞっとした。
「まさか……」
公園で、俺が最初にまともに変形させたのは、砂場の縁のコンクリートだった。
魔王は言っていた。
造形したものに、身が引かれる、と。
さすがに無理だろ、と頭では思う。
コンクリートを食うなんて人間のやることじゃない。
でも体は正直だった。
結局、俺はベランダの隅に落ちていた小さな欠片を拾った。壁際に転がっていた、灰色の、乾いたモルタルみたいな塊だった。
指でこすると、白っぽい粉が落ちる。
「……ほんとに最悪だ」
自分で言ってから、その粉をほんの少しだけ舌にのせた。
まずい。
当たり前だ。
食い物じゃない。土っぽくて、粉っぽくて、口の水分を全部持っていく。
なのに――
胃の奥のざらつきだけが、少し静まった。
「うそだろ……」
すぐ流しへ駆けこんで、水で何度も口をゆすぐ。
何やってるんだ、俺は。
でも、分かってしまった。
この力は本当に代償を取る。
しかも金や寿命みたいな遠い話じゃない。もっと気持ち悪くて、もっと具体的な形で。
コンクリートをいじれば、コンクリートに近いものを体に入れたくなる。
それがルールなら――
この先、何を変えたら、俺は何を食うことになるんだ。
そこまで考えて、背中が冷えた。
それでも。
それでも俺は、机の上を見た。
六畳一間。教科書。漫画。食いかけのスナック菓子。百均の小物入れ。ガチャの景品。壊れたロボの腕。試すものには困らない部屋だった。
「……少しだけだぞ」
誰に向かって言い訳しているのか分からないまま、俺は机の端に転がっていた安いガチャのキーホルダーへ手を伸ばした。
アニメのマスコットキャラだ。頭が大きくて体が小さい、よくあるデフォルメ造形。でも顔のバランスが微妙だった。目の位置が少し高く、口が中央に寄りすぎていて、どうにも幼すぎる。前から少し気になっていた。
右手で持ち、左の親指を顔に当てる。
その瞬間、あの感覚が戻ってきた。
表面の向こうに厚みが見える。どこを押せばどこへ逃げるか、どこを少し動かせば全体のバランスが整うか、頭の中に立体の設計図みたいなものが浮かぶ。
「うわ」
思わず声が漏れる。
さっきのコンクリートより、ずっと分かりやすい。材質が軽くて量も少ないからか、手に伝わる感覚が細かい。
頬をほんの少し押す。
目尻をわずかに下げる。
口の位置をほんの少しだけ下へ逃がす。
ぬる、と動いた。
「やっぱりだ」
俺は一気に集中した。
左右差を揃える。
鼻先を少しだけ立てる。
頬の丸みを削りすぎないように注意する。
元のデフォルメ感は残しつつ、子供っぽさだけを抜く。
手を止めたのは、たぶん三分後くらいだった。
見比べる。
「全然違う……」
同じキャラだ。でも前よりずっとまとまっている。安っぽい顔が、ちゃんと“狙ったデフォルメ”に見える。量産品の適当な可愛さじゃなく、造形としての意図が通った顔になっていた。
胸が熱くなる。
やばい。
これはやばい。
だがその直後、また腹の奥がざわついた。
今度はさっきとは少し違う。じゃりじゃりした感じじゃない。もっと、軽くて、つるっとして、薄いものが喉の奥に引っかかっているような違和感だった。
視線が自然に机の上をさまよう。
止まったのは、ガチャカプセルの透明な殻だった。
「……嘘だろ」
透明の、薄いプラスチック。
食い物には一ミリも見えない。
なのに今の体は、それを“必要なもの”として見ていた。
さすがにそのまま噛む気にはなれない。
俺は棚の上のサプリ瓶を見つけた。ゼラチンっぽいソフトカプセルの安いビタミン剤だ。成分がどうこうじゃなく、外側のあの人工的なつるっとした感じに、妙に意識が向いた。
一本取り出して口に放りこみ、水で流す。
完全に思い込みの可能性もある。
でも、飲みこんだあと、さっきのプラスチックっぽい違和感が少しだけ薄れた。
「……代用でもいいのか?」
少し希望が見えた。
毎回ほんものの樹脂片を食う羽目になるなら、さすがに終わっている。
俺は少し息をつき、今度は棚に飾ってあった壊れたロボの腕を手に取った。ジャンク箱から拾ってきたやつだ。関節のあたりがひび割れて、パーツの噛み合わせも少しずれている。
これも前から気になっていた。
接続部の角度がおかしい。外装のラインも甘い。本来もっと、前腕から手首まで一直線に力が流れる形のはずなのに、途中で微妙にたるんでいる。
「ここだな」
指先を当てて、少し押す。
プラスチックの内部が頭の中で立体のまま分かる。ひびの入った箇所へ圧が逃げるのを避けながら、外装を少しだけ引き締め、接続部の受けを整える。割れ目そのものも、表面の量をならすように押し寄せていくと、つなぎ目が薄くなった。
「え、これ……」
見える傷が、ほとんど消えた。
完全に新品とは言えない。よく見れば跡はある。でも、ジャンク品だったものが、急に“少し古い中古品”くらいの見た目まで戻っている。
しかも見た目だけじゃない。
恐る恐る手首のパーツを差しこむと、さっきまでゆるかった噛み合わせが、かち、と気持ちよく入った。
「はは」
笑ってしまった。
深夜の部屋で一人で笑うのはだいぶ危ないやつだ。でも止まらなかった。
この力、面白すぎる。
触れば分かる。分かれば直せる。いや、直すだけじゃない。好きな形に寄せられる。
俺は机の上へ、次々に物を並べた。
百均のボールペン。
コンビニでもらったプラスプーン。
古いスマホスタンド。
ガチャの余りパーツ。
片っ端から触る。
ボールペンのグリップを少し細くする。スプーンの柄を少し反らせる。スマホスタンドの無駄に出っ張っていた部分を引き締める。
楽しい。
というか、止まらない。
今までどれだけの物を見て、「ここがこうなら」と思ってきたか分からない。その全部に、いま手が届く。
机の上には、俺が触ったものが少しずつ増えていく。
その中で、自然と目が止まるものがあった。
棚に飾っていた、安いプライズフィギュア。人気アニメのヒロインだが、量産品らしく全体に甘い。髪の束感は悪くないのに、顔の造形が弱い。顎が丸すぎて、首の角度も少し前へ出ているせいで、正面から見ると間延びして見える。
前から気になっていた。
でも、削って盛って塗って、そんな手間をかけるほどでもないとも思っていた。
今は違う。
「ちょっとだけ……」
その“ちょっとだけ”が危ないのは、自分でも分かっている。
俺はフィギュアの顎へ指を当てた。
少し絞る。ただし尖らせすぎない。元のキャラの柔らかさは残す。首の傾きをほんの少し戻し、頬から顎へ落ちるラインを整理する。目の位置は動かさない。その代わり、まぶたの厚みを少し整える。
時間を忘れた。
量産品の安い顔が、俺の指の下でじわじわ整っていく。
十分。
二十分。
三十分。
手を離し、机のライトを横から当てる。
「……やば」
元のフィギュアの面影はある。でも完成度が明らかに違う。正面だけじゃなく、斜めから見たときの流れがいい。鼻先から顎へ落ちる線に迷いがない。
安物が、“出来のいいフィギュア”になっていた。
そこで初めて、俺は自分の右手をじっと見た。
この手で、物の形が変わる。
好きなように。
少しずつ。
粘土みたいに。
そしてそこでようやく、頭の中にずっと避けていた考えが、はっきりした形を取った。
――これ、自分の顔もいじれるんじゃないか。
心臓が、どくんと大きく鳴った。




