第1話 ジャンク屋で三百円の魔王を買った
ジャンク屋で、魔王を三百円で買った。
正確には、魔王のフィギュアだ。
このときの俺は、まだそれが本物だなんて思っていなかったし、ましてそいつのせいで人生が変になるとも思っていなかった。
ただ――妙に、目が離せなかった。
◇
その店は、駅前の再開発から置いていかれたみたいな路地にある。
看板には一応「リサイクル 山下」と書いてあるが、外から見ても何の店かよく分からない。古いラジカセ、黄ばんだゲーム機、箱の潰れたプラモデル、片足だけのマネキン。売り物というより、行き場をなくした物が最後に流れ着く場所みたいな店だった。
俺はそういう店が好きだ。
大学帰りに、たまに寄る。
経済学部二年。講義はそこそこ出ている。友達はいる。彼女はいない。顔も身長も、たぶん平均。要するに、特に説明することのない大学生だ。
ただ、昔から立体物だけは妙に好きだった。
フィギュア。ガチャ。食玩。プライズ。中古屋の投げ売りコーナー。出来のいいやつはもちろん見るし、出来の悪いやつも逆に気になる。目の幅が少し広いとか、顎の線が甘いとか、髪の流れが惜しいとか、そういうのが勝手に目に入る。
別に原型師でも何でもない。
ただ、見ていると頭の中で「ここをこうしたらもっとよくなる」が勝手に始まるだけだ。
だからジャンク屋は宝探しだった。
たまに、変な値段で、変な刺さり方をするものが転がっている。
その日も、そういうつもりで棚を見ていた。
「おい、小野。今日もガラクタ漁りか?」
店の奥から、店主の爺さんが声をかけてくる。
山下さんというらしいが、俺は心の中でずっと店主と呼んでいる。片目だけ妙に鋭くて、いつも古いラジオを鳴らしている。
「漁ってないですよ。見てるだけです」
「見るだけのやつが毎回一周して帰るか」
「今日は時間ないんで」
「時間ないやつほど何か買うんだよ」
失礼だな、と思いつつ、ちょっとだけ笑う。
実際、当たっていた。
時間がない日に限って、変なものを見つける。
その日もそうだった。
店のいちばん奥、プラケースと古本のあいだに押し込まれたダンボール箱をのぞいたとき、それは箱の底にいた。
黒っぽい肌。頭の左右に張った角。片手を前に突き出し、もう片方に杖を持っている。背中のマントみたいな造形は、正直ちょっと甘い。塗装もところどころ剥げていて、左の角の先が少し欠けていた。
古いゲームのフィギュアだと、すぐ分かった。
『DBクエストⅢ』の中盤に出てくる魔王ガルグァス。
人間界と魔界の門をどうこうする、やたら芝居がかった口調のボスだ。人気があったのは勇者側で、こいつの立体物なんて昔の食玩か雑誌付録くらいでしか見たことがない。はっきり言えば、プレミアがつくような代物じゃない。
でも、妙だった。
造形がいいわけじゃない。
むしろ微妙だ。胸の鎧の線はだるいし、口元も少し潰れている。目の塗りも右だけわずかにズレていて、見ようによっては間抜けだ。
なのに、目が離れない。
他の物が急に背景みたいに遠のいて、そいつだけ輪郭が濃く見える。
そんな感じがした。
手に取る。
軽い。
安っぽいPVCの感触。ざらついた塗装。どこにでもある中古フィギュアのはずだった。
なのに、妙にしっくりきた。
前から自分の棚にいたものを、やっと回収したみたいな感覚。
「……何だこれ」
思わずつぶやく。
「何だそれ」
店主が近づいてきた。
「昔のゲームの敵キャラです」
「へえ。人気あるのか?」
「いや、たぶん全然」
「じゃあ三百円でちょうどいいな」
台座の裏に貼られた値札には、油性ペンで三〇〇円と書いてあった。
正直、相場で見れば安いかどうかも怪しい。
でも棚へ戻す気になれない。
珍しいから、でもない。
ネタになるから、でもない。
ちょっと直したら面白そうだから、でもない。
理由なんて後からいくらでもつけられる。
でも本当は、単純だった。
欲しい。
それだけだった。
「これ、買います」
「毎度」
店主は興味なさそうにレジへ戻る。
俺はもう一度だけ、その魔王を見た。
欠けた角。剥げた塗装。少しずれた目。
なのに、変だ。
こっちが見ているはずなのに、向こうからも見返されている感じがある。
疲れてるのかもしれない。
財布から小銭を出して払う。ビニール袋はいらないと言って、そのままバッグの内ポケットへ入れた。なんとなく、他の物と一緒にしたくなかった。
店を出ると、外は少し暗くなっていた。
焼き鳥の匂いがする。腹が鳴る。そういえば昼は学食のうどんだけだった。
スマホが震える。
松岡からだ。
『今日シフト終わり飲む?』
飲む、というのは大抵、コンビニで酒を買ってだらだらするだけのことだ。俺は歩きながら返す。
『今日は無理。お好み焼き』
『じゃあ終わりに肉』
『金ない』
『お前いつもないじゃん』
『うるせえ』
返して、少し笑う。
松岡は高校からの付き合いだ。今は別の学部だが、大学も同じになった。細かいことは気にしないくせに、妙なところでしつこい。俺が中古屋やジャンク屋を覗くのも、「また変なもん拾ってくる」と笑いながら付き合ってくる。
各務と吉田も、その延長みたいな友達だ。
各務は軽口ばかりで、女子の話になると急に元気になる。吉田は理屈っぽくて、「そのソシャゲのガチャ設計は経済学的に」とか言い出す。全員オタクで、方向性だけ違う。
そんなことを考えながら、俺はバイト先へ向かった。
そのあいだも、バッグの中身が妙に気になった。
中に入っているだけのフィギュアが、存在感を主張してくる。信号待ちのとき、一度だけ取り出して見ようかと思った。さすがにやめた。道端で魔王フィギュアを見つめる大学生は、だいぶ見栄えが悪い。
店に着くと、すぐ忙しくなった。
「小野くん、キャベツ追加!」
「はい!」
「ソース切れそう!」
「補充します!」
鉄板の熱気。油の音。客の声。マヨネーズ。かつお節。
バイト中はだいたい無心になれる。
手を動かしていれば時間は過ぎるし、余計なことも考えずに済む。なのにその日だけは、ふとした瞬間に頭の隅へ黒い角が浮かんだ。
マントの流れが甘いな、とか。
胸の鎧はもう少し左右差を抑えたほうが締まるな、とか。
そんなことばかり考えてしまう。
「小野くん」
「はい?」
「今、ヘラ止まってたよ」
「あ、すみません」
社員の女性に笑われて、慌てて手を動かす。
自分でも変だと思う。
たかが三百円の中古フィギュアだ。気になるにしても限度がある。
シフトが終わったのは二十二時過ぎだった。
制服を脱ぎ、店の裏で髪についた匂いを軽く払う。まかないのお好み焼きを持ち帰り用に包んでもらって、夜道を歩き出した。
そこでとうとう我慢できなくなって、バッグからフィギュアを取り出す。
街灯の下で見ると、昼よりさらに妙だった。
黒だと思っていた肌は、完全な黒じゃない。深い赤茶みたいにも見える。雑なはずの目の塗りも、光の加減によってはまっすぐこっちを見ているように感じる。
「……何なんだよ、お前」
もちろん答えはない。
でも、指先に触れた表面は、冷たいのに妙に湿り気がある気がした。
思わず手を離す。
「気持ち悪……」
言ってからもう一度見る。
ただのPVCだ。たぶん手汗だろう。バイト上がりだし。
アパートに着いたのは二十三時前だった。
六畳一間。男の一人暮らしとしては、まあ普通だと思う。机の上には教科書よりフィギュアが多いし、本棚の半分は漫画と設定資料集で埋まっている。冷蔵庫の中身はだいたい空だが、今日はまかないがあるからまだましだ。
鍵を閉め、靴を脱ぎ、バッグを置く。
それから机の上を少し片づけて、魔王フィギュアを置いた。
いちばん見やすい位置に。
「……似合うな」
自分でも何を言ってるんだと思う。
でも、そこに置くと妙に収まりがよかった。周りの勇者やロボットや美少女キャラより、むしろ自然に見える。
俺は持ち帰ったお好み焼きを食べ、シャワーを浴び、ベッドに入った。
寝る前に、もう一度だけ机のほうを見る。
暗い部屋の中で、魔王フィギュアの輪郭だけがうっすら見えた。
電気を消したはずなのに、目だけがほんのわずかに赤い気がした。
「……気のせいだろ」
自分にそう言い聞かせて、布団をかぶる。
大学は一限からだ。寝ないとまずい。
そう思って目を閉じた。
その夜、俺は妙な夢を見た。
◇
何もない場所だった。
上下も奥行きも分からない黒い空間で、自分の足元だけがぼんやり赤く光っている。
気がつくと、俺はその赤い光の上に立っていた。
円だった。
いや、円の中に、見たことのない線が何重にも走っている。幾何学模様みたいで、どこか手描きっぽい。魔法陣、と呼ぶのがたぶんいちばん近い。
そして、その向こうにいた。
あのフィギュアが。
……ではない。
形は同じなのに、大きさが違う。見上げても角の先が見えない。背中のマントみたいなものは夜そのものみたいに広がり、赤い目だけがずっと下にいる俺を見下ろしていた。
喉が鳴る。
足が動かない。
魔王が、ゆっくり口を開く。
「ようやく届いたか」
声は大きくない。
なのに、頭の内側で響いた。
「……は?」
情けない声しか出ない。
巨大な影が、少し笑った気がした。
「我を拾った褒美だ、小僧」
その瞬間、足元の魔法陣の光が強くなる。
赤い線が、血みたいに脈を打つ。
逃げなければと思った。
でも動けない。
魔王はゆっくり杖を持ち上げ、その先を俺へ向けた。
「我を解放してくれれば、おまえに力をやろう」
その言葉を聞いた瞬間、夢の中なのに妙に現実的なことを考えた。
――これ、絶対ろくでもないやつだ。
でも同時に、胸の奥の変な場所が熱くなった。
力。
そう言われたとき、怖さより先に知りたいと思ってしまったのだ。
何の力だ。
どういう力だ。
俺に、何ができる。
魔王の目が細くなる。
見透かされたような気がした。
「よい顔だ」
低い声が笑う。
「次の夜までに備えよ。鳥、豚、羊、牛……そして二人分の人間の血を用意しろ」
「二人分?」
聞き返した俺を無視して、魔王は続ける。
「我が言う形に陣を描け。像を中央に置け。真夜中に唱えよ」
魔法陣の線が足元から這い上がり、熱い情報みたいに頭へ流れ込んでくる。図形。位置。順番。置くもの。線の重なり。見たこともないのに、なぜか理解できる。
そして最後に、魔王は言った。
「呪文はこうだ。忘れるな」
その声が耳元まで近づいた気がした。
「――ベントラ、ベントラ、魔王様」
あまりにも間抜けで、俺は夢の中で一瞬だけ素に戻った。
「いや、ダサ……」
「百回だ」
かぶせるように言われる。
「繰り返し百回唱えよ。さすれば我は檻を破り、おまえに造形の魔を授ける」
造形。
その単語だけが、妙に鮮明に残った。
形を作る。
変える。
直す。
俺の好きなものに、あまりにも近い言葉だった。
巨大な魔王が、最後にゆっくり口を開く。
「我を解放せよ、小野隆史」
どうして名前を知っている。
そう思った瞬間、赤い目が真っ直ぐこちらを射抜いた。
「おまえは、形を欲しがる人間だ」
そこで、目が覚めた。
天井が見える。自分の部屋の、見慣れた白い天井だ。
心臓が馬鹿みたいに速い。喉が渇いている。背中には汗がにじんでいた。
「……夢」
口に出すと、声が少しかすれた。
カーテンの隙間から朝の光が入っている。スマホを見ると、六時四十分。
最悪だ。一限の日に限って、変な夢のせいで変な時間に起きた。
上半身を起こし、息を整える。
ただの夢だ。
昨日、あのフィギュアを見すぎたせいだろう。
そう思って、机のほうを見た。
魔王フィギュアは、昨夜置いたままの場所にあった。
それだけならよかった。
問題は、その台座の下に、見覚えのない赤い粉がうっすら落ちていたことだった。
まるで、乾いた血を誰かが指先ですり潰したみたいに。




