第28話:ただ、癒すために。
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意を決して、隣の部屋のドアを開いた朝陽。
そこにいたのは、学校での凛とした姿とは正反対の、あまりにも無防備な「一人の女の子」でした。
「……お邪魔します」
何回も来ている部屋だが、先ほどの凜の言葉のせいで違う部屋に見えてしまう。
ほのかに絵の具の匂いと花の香りが混ざり合った不思議な空間。けれど、僕を一番驚かせたのは、その部屋の主の姿だった。
「あ、朝陽くん。……入って」
そこにいたのは、「氷の令嬢」なんて二つ名はどこへやら。
高い位置で適当にまとめられたお団子ヘア。そこから覗く真っ白なうなじ。
顔には普段かけない大きな黒縁のメガネ。
そして、身体をすっぽりと包むダボッとした半袖パーカーに、細い脚が露わになったショートパンツ。
(……これ、完全にオフの格好だ)
一瞬、思考が停止した。学校での彼女が「完璧に作り込まれた絵画」なら、今の彼女は「描きかけの、柔らかなラフ画」のようだ。
(……そっか。これだけ無防備ってことは、僕は男としてこれっぽっちも警戒されてないんだな。……いや、それでいいんだ。変に意識されるよりは、やりやすい)
僕はそれを「安心」という言葉で無理やり上書きした。
「……じゃあ、始めるよ。まずは座って、前屈から」
「うん。よろしくね、朝陽くん」
凛は素直に床にペタンと座る。
僕は彼女の背後に回り、その細い背中にそっと手を添えた。
「……っ」
パーカー越しでも伝わってくる、驚くほどの柔らかさと温かさ。
ゆっくりと体重をかけて背中を押していくと、彼女の小さな身体がぐーっと沈んでいく。
続いて、彼女の両手を掴んで後ろに反らせるストレッチ。
(……見ちゃダメだ。僕は今、トレーナーなんだ)
パーカーの広い襟元から覗く鎖骨や、ショートパンツから伸びる眩しいほどの白い脚が嫌でも視界に入る。僕は必死に視線を天井や壁のポスターへ逃がし、無機質なマシーンにでもなったつもりで淡々と作業をこなした。
「……朝陽くん、結構落ち着いてるんだね」
「え? まあ、マッサージだしな」
「……ふーん」
凛が少しだけ唇を尖らせて、不満げに僕を見上げた。
……僕、何か失礼なことしたかな?
「じゃあ、次は手だ。……貸して」
「……はい」
凛の隣に座り、彼女の右手を僕の手のひらに乗せる。
白くて、細くて、まるでガラス細工のように繊細な手。でも、ペンを握る中指の付け根には、小さなタコができていた。頑張っている人の手だ。
僕は大輝達から教わった通り、親指で手のひらのツボをじっくりと、円を描くように刺激していく。
「あ……っ、すごい。そこ、……すごく、気持ちいい……」
凛の口から、吐息が漏れる。
指の一本一本を丁寧に解し、手の甲の筋肉を伸ばしていく。
料理で培った指先の感覚が、彼女の凝り固まった筋肉の「芯」を捉えていくのがわかった。
「……癖になりそう。朝陽くんの手、本当に丁度いい。……強張りが、全部溶けていくみたい……」
幸せそうに目を細める凛。
さっきまでの不機嫌そうな顔はどこへやら、彼女は僕に完全に身を委ねていた。
「……よし、今日はこれくらいかな。……じゃあ、遅いし僕はもう帰るよ」
「……えっ、もう? もっとやってほしかったな」
名残惜しそうにしながらも、凛は玄関まで見送ってくれた。
パジャマ姿で「また明日、お願いね!」と手を振る彼女の笑顔は、学校での冷たい微笑みとは違う、太陽のような眩しさがあった。
「……ああ。また明日な」
自分の部屋に戻り、ドアを閉めた瞬間に大きな深呼吸をした。
心臓がうるさい。
男として見られていない、なんて自分に言い聞かせていたけれど。
……結局、振り回されているのは僕の方だった。
その夜。
凛は、ここ数年で一番深く、重力から解放されたような安らかな眠りに落ちた。
翌朝、鏡の前に立った彼女は、自分の肌のツヤと、驚くほどスッキリとした身体の軽さにびっくりしていた。
「こんなに変わるんだ…やっぱり朝陽くん凄いな……。」
今度朝陽くんにもやってあげようと決意したのだった。
お読みいただきありがとうございました。
「男として見られていない」と判断した朝陽くんでしたが、実際には凛ちゃんの心の中に、彼の「手」の感覚が強烈に刻み込まれることになりました。
お団子ヘアにメガネという、家でしか見せない姿を共有したことで、二人の関係はさらに強固なものに。
凛ちゃんにとって、朝陽くんはもう「食事をくれる人」以上の、なくてはならない存在になりつつありますね。
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