第214話:初めての平日と、クッキー&クリーム
部活に入っていない俺が学校からアパートに帰宅したのは、夕方の五時半頃だった。
凛は俺より一足早く帰宅し、自分の部屋でイラストレーターとしての仕事を進めているはずだ。
着替えを済ませた俺は、夜の七時頃の夕食を目指してキッチンの前に立った。
昨日の晩御飯はがっつりおでんを食べたし、土日明けの月曜日で少し疲れもある。
今日は少し軽めで食べやすいものにしようと考え、『カレイのムニエル』とコンソメスープを作ることにした。
カレイに軽く塩こしょうを振り、小麦粉を薄くまぶしてバターでじっくりと焼いていく。
香ばしい匂いがキッチンに漂い始めた六時半頃、ガチャリと玄関のドアが開いた。
「……お疲れ様、朝陽くん」
「お疲れ。仕事、一段落したか?」
振り返ると、少しだけ疲れた顔をした凛が立っていた。
彼女はそのままゆっくりとキッチンへ歩いてくると、火を使っている俺の背中に、後ろからそっと身を預けてきた。
そして、俺の腰のあたりに両腕を回し、背中にぎゅっと顔を押し付ける。
「……学校とお仕事で、ちょっと疲れちゃった。朝陽くん、充電させて」
「はは、お安い御用で。肩、凝ってるんじゃないか?」
「うん……ずっとペン握ってたから、バキバキかも」
付き合い始めてから、こうして背中にくっついてくるのが彼女の新しい癖になりつつあった。
勢いよく飛びついてくるわけではなく、じんわりと体重を預けてくるこの感じが、なんだかくすぐったくて心地いい。
「もうすぐご飯できるからな」
「うん。……いい匂い」
結局、カレイがこんがりと焼き上がるまでの間、凛は俺の背中から離れようとしなかった。
「いただきます」
「いただきます」
ダイニングテーブルに向かい合って座り、出来立てのムニエルに箸をつける。
「ん、美味しい。お魚ふわふわだね」
「よかった。昨日は結構重めだったし、今日はあっさりした方がいいかなって」
「うん、ちょうどいいかも。バターの風味もすっごく美味しい」
ご飯を食べながら、俺たちは自然と今日の学校での出来事を振り返った。
「今日、学校だと全然話せなかったな。」
「うん……。付き合って初めての学校だったのに、ちょっと寂しかったかも。」
凛が少しだけ口を尖らせて、フォークで付け合わせのブロッコリーをつつく。
「本当は、お昼休みも毎日みんなで一緒に食べられたら楽しいのにな」
「そうだね。でも、今日はいきなり五人で食べたから、周りの人に『おや?』って顔されちゃったし。……少しずつだね」
「ああ。焦らず、少しずつ周りを慣らしていこう。いつか普通に一緒に過ごせるようにな」
秘密の恋人だからこその少しの歯がゆさを共有し合いながら、俺たちは温かい夕食をゆっくりと楽しんだ。
食後、俺たちはソファでブランケットにくるまりながら、お風呂が沸くのを待っていた。
「今日は同じタイミングでお風呂入れるね」
「だな。じゃあ、上がったらまた集合するか」
「うん!」
凛は自分の部屋に戻り、俺も自宅の風呂で一日の汗を流した。
お風呂上がり、お揃いで買ったパジャマ(俺はダークグレー、凛はオフホワイト)を着て、再び俺の部屋で合流する。
「そういえば、肩バキバキなんだろ。ちょっと揉んでやるよ」
「本当? ありがとう」
ソファに座った凛の後ろに回り、彼女の肩を軽く揉みほぐす。
イラストレーターという仕事柄、どうしても肩や首周りに負担がかかる。
「あっ……そこ、すごく気持ちいい」
「結構張ってるな。少し腕も伸ばしてストレッチするか」
「うん、イタタ……でもスッキリする」
一通りマッサージとストレッチを終えると、体がポカポカしてきた。
「なんかちょっと暑くなってきたな。……そういえば、冷凍庫にアイス余ってたの食べるか?」
「食べる! アイス食べたい!」
俺は冷凍庫から、カップアイスを二つ取り出してきた。
バニラ味と、クッキー&クリーム味だ。
「どっちがいい?」
「うーん……じゃあ、クッキー&クリームで」
蓋を開け、二人で並んでソファに座りながら冷たいアイスを頬張る。
お風呂上がりの火照った体に、アイスの甘さが染み渡る。
「朝陽くん、バニラ美味しい?」
「おう。そっちも美味いか?」
「うん。……はい、朝陽くん、あーん」
凛が自分のスプーンでクッキー&クリームをすくい、俺の口元に差し出してきた。
昨日のケーキの時もそうだったが、こういう時の彼女は少し悪戯っぽく笑う。
「……あーん」
俺が少し照れながらパクリと食べると、凛は嬉しそうに目を細めた。
「どう?」
「……美味い。じゃあ、俺のも」
俺もバニラアイスをすくい、凛の口元へ運ぶ。凛は小さく口を開けて「あーん」と食べた。
「ん、美味しい! なんだか、二つの味を楽しめて得した気分」
そんな他愛のないやり取りをしているうちに、時刻は夜の十一時を回ろうとしていた。
「ふわぁ……」
「そろそろ限界みたいだな。送っていくよ」
欠伸を我慢しきれなくなった凛を連れて、二〇二号室へと移動する。
凛がベッドの布団に潜り込むのを見届け、俺はその頭を優しく撫でた。
「じゃあな。おやすみ、凛」
俺がそう言って立ち上がろうとすると、凛が布団の隙間から上目遣いでこちらを見てきた。
「……今日は、添い寝してくれないの?」
「……さすがに毎日それは、俺の心臓が持たないから勘弁して」
俺が苦笑いしながら断ると、凛はくすっと小さく笑った。
「ふふっ、しょうがないなぁ。じゃあ、今日は勘弁してあげる。……おやすみなさい、朝陽くん」
「ああ、おやすみ」
穏やかな寝顔を見届け、俺は静かにドアを閉めて自分の部屋へと戻った。
月明かりに照らされた自分の部屋で、小さく息を吐き出す。
学校では少し我慢が必要だけど、家に帰ればこんなに幸せな時間が待っている。
お互いの仕事を尊重し、美味しいご飯を食べて、眠る前に少しだけ触れ合う。
俺はこの穏やかで完璧な日常が、これから先もずっと、静かに続いていくものだと信じて疑っていなかった。
――でも、俺たちはまだ分かっていなかった。
凛の持つ『氷の令嬢』という影響力や、彼女自身の魅力が、そう簡単に俺たちを隠れさせてはくれないということを。
明日、このささやかな秘密の生活に、最初の波紋が広がることになるとは、この時の俺は知る由もなかったのだ。
第214話、ありがとうございました!
学校で堂々と話せない分、お家でのスキンシップが甘々ですね。




