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第17話:蘇る拒絶と、見えない境界線

いつも応援ありがとうございます!

前回、大仕事を終えたお祝いに、つい冬月さんの頭を撫でてしまった朝陽。

甘すぎる夜の余韻に浸る間もなく、彼を襲ったのは、心の奥底に封印していたはずの「凄惨な過去」の悪夢でした。

それは、深い闇の底から這い上がってくるような悪夢だった。


鼓膜を突き刺す、急ブレーキの金切声。

雨の匂いと、混ざり合うガソリンと鉄の臭い。

昨日まで温かかった両親の身体が、冷たいアスファルトの上で動かなくなったあの日から、僕の時計は一度壊れてしまった。


独りになった僕に、周囲が向けたのは同情ではなかった。

「あいつ、親が死んでから気味悪いよな」「不幸自慢でもしたいわけ?」

教室の片隅で、寂しさを紛らわすように一生懸命作ったお弁当。


『……うわ、男子が自炊? 親がいねーからって、女に媚び売ってんの? マジでキモいんだけど』


笑い声と共に、僕の作ったお弁当はゴミ箱へと放り込まれた。

ぐちゃぐちゃになった卵焼き。踏み潰されたご飯。

僕の「好き」も「努力」も、この世界には必要ないと宣告された気がした。


誰からも必要とされない。誰にも触れられたくない。

絶望に耐えかねて、カッターを握りしめた夜。

左腕に刻まれた、一生消えない醜い赤黒い筋。

それを隠すために、僕はどんなに暑い日でも長袖を脱げなくなった。


「……はぁっ、はぁっ……!」


激しい動悸と共に、僕は飛び起きた。

全身が嫌な汗で濡れている。無意識に左腕の袖を強く握りしめていた。


(……そうだ。僕は、壊れているんだった)


昨夜の、あの柔らかな髪の感触。

自分の作った料理を「美味しい」と言って笑ってくれた彼女の顔。

そんな光の中に、僕のような欠落した人間が居座っていいはずがない。

あんな綺麗な子に、僕のこの汚れた手で触れていいわけがないんだ。


「おはよ、瀬戸くん! 見て、今日はちゃんと時間通りに準備できたよ!」


久々の土曜登校。

廊下で待っていたのは、昨夜の余韻をそのままに、頬を林檎のように赤らめた冬月さんだった。

演技ではない、年相応の明るい笑顔。

「~だわ」なんて武装を脱ぎ捨てた彼女は、眩しいほどに可愛らしかった。


けれど、今の僕にはその光が痛すぎて、見ていられない。


「……これ、今日のお弁当。あと、昨日のことだけど」


僕は目を合わせず、声のトーンを意識的に低く、冷たく突き放すように言った。


「……ごめんな。嫌だったろ、あんなことされて」


「え……?」


「気持ち悪かったよな。自分でもどうかしてたと思う。……もう二度としないから、ごめんな。……じゃあ…」


彼女の表情が、見る間に凍りついていくのがわかった。

「嫌」でも「気持ち悪い」でもなかったと、彼女の瞳が揺れて何かを訴えようとしていた。

けれど、僕はそれに気づかないフリをして、逃げるようにその場を去った。


自分を「気持ち悪い」と定義することでしか、僕は彼女を守れないと思ったんだ。



昼休み。2組の教室で、佐藤陽菜さとう ひなは呆れたように親友の顔を覗き込んだ。

「……凛、さっきからノート、一文字も進んでないよ」


冬月凛は、彫像のように固まったまま、開いた教科書の一点をじっと見つめている。


「陽菜……。私、何か悪いことしたかな」


「は? 何が」


「……ううん。……何でもない。……ただ、少しだけ、世界が終わったような気分…」


これほどまでに弱気な言葉を漏らす。

陽菜はそれ以上深くは追求しなかったが、その鋭い瞳は事の本質を見抜いていた。

何かがあった。それも、凛の心が粉々になるような何かが。


「……よし、決めた! 凛、今日の放課後は付き合いなさい。駅前に新しいショップができたんだって。買い物行けば、少しは気も晴れるでしょ!」


「……え、でも……」


「拒否権なし! まずはご飯!ほら、行くよ!」


強引に手を引かれ、凛は力なく頷くことしかできなかった。


放課後、駅前のショッピングモールは、土曜日ということもあって多くの人で賑わっていた。

けれど、可愛い服を見ても、美味しそうなスイーツを眺めても、凛の心に色は戻らない。

頭の中ではずっと、彼のあの冷たい拒絶の言葉が繰り返されていた。


『気持ち悪かったよな』


(……違う。……違うのに。どうして、あんなに悲しい顔で謝るの……?)


トボトボと歩く凛の背後から、下卑た笑い声が近づいてきた。


「ねぇねぇ、お姉さんたち超可愛くない? この後、俺らと楽しいことしようよ」


立ち塞がったのは、見るからに質の悪そうな男二人組だった。

陽菜が即座に凛の前に割って入る。


「はーい、無理無理! 今忙しいのー! 邪魔、どいて!」


「おっ、威勢いいねぇ。でも俺らはこっちの大人しそうな子に用があんだよ」


男の一人が、怯えて固まっている凛の腕に手を伸ばした。

普段の凛なら、氷のような視線で一蹴できただろう。けれど、今の彼女は精神的に限界だった。

朝陽に拒絶されたショックで、身体に力が入らない。


「……っ、やめて……離して……」


「いいじゃん、ちょっと遊ぶだけだって!」


陽菜が必死に男を押し返そうとするが、体格差はどうしようもない。

凛の瞳に、絶望的な恐怖が滲んだその時だった。


「……その汚い手を、離せよ」


低く、地這うような冷酷な声が、駅前の喧騒を切り裂いた。


男たちが反射的に振り返る。

そこに立っていたのは、片手にスーパーの買い物袋を提げた、瀬戸朝陽だった。


けれど、その姿はいつもの「世話焼きなお隣さん」ではなかった。

前髪に隠れた瞳は、深い闇を湛え、かつて自分を壊した世界への殺意すら感じさせるほどに冷え切っている。


「……あ? 何だお前、死にたいのか?」


男が凄むが、朝陽は一歩も引かない。むしろ、一歩、また一歩と、距離を詰めていく。


「三秒以内に離せ。……さもないと、お前のその腕、二度と使い物にならなくしてやる」


その声に含まれた圧倒的な怒気に、男たちの背筋に戦慄が走る。

朝陽の瞳には、かつての自分をゴミ箱に捨てた連中への怒りと、それ以上に、震える彼女を傷つけた者への、赦しがたい憎悪が宿っていた。

あまりの迫力に、男は凛から少し離れる。

その隙に朝陽が凛と陽菜の前に庇う様に立ち塞がった。


「……あ、瀬戸……くん……」


凛の瞳から、堪えきれなくなった涙が溢れ出した。

自分を突き放したはずの、あの冷たい彼が。

今、世界で一番恐ろしく、そして誰よりも頼もしい背中で、彼女を守っていた。

お読みいただきありがとうございました!


朝陽くんの凄惨な過去と、それゆえの「拒絶」。

けれど、凛ちゃんの危機を前にして、彼は自ら作った壁を飛び越えてしまいました。

買い物袋を提げながらも、その瞳に宿る冷たい怒り……。

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